IT記者会Report

IT/ICTのこと、アレヤコレヤ

エッセイ

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(8)

神谷芳樹のオフィシャル・エッセイ 東洋国家の必死 次の話題は紡績業。これは当時の世界の覇者英国の産業革命の推進役となり、植民地経営の基盤となっていた産業である。渋沢栄一は訪欧時、世界の繊維産業の中心地フランスのリヨンで紡績業の実情を見学して…

「実践的プロジェクトマネジメント推進協会(PPMA)」セミナーに行ってきた

次世代定量的マネジメントプラットフォーム「EPM Base」発売へ 一般社団法人 実践的プロジェクトマネジメント推進協会(PPMA)が主催し、株式会社オリジネィションが共催、情報処理推進機構(IPA)が後援し、東京青山のTEPIAで開催された標記のセミナーに行…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(7)

将軍来日 実業家渋沢栄一の社会活動はその実業活動と密接に織り重なりながら次第に活発化した。まずは証券取引所の開設、ついで条約改正問題を背景とした世論吸い上げ機構としての商法会議所の開設、そして米国前大統領グラント将軍の来日歓迎とつづく。 東…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(6)

実業バトル、海運から 津本陽「小説 渋沢栄一」下巻の中段にさしかかったところでいよいよ実業のバトルが始まる。最初の相手は岩崎弥太郎。あのNHK大河ドラマ『龍馬伝』での香川照之の熱演が思い浮かぶ。以下、津本陽に導かれて壮絶なバトルを追ってみる。 …

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(5)

銀行爆発から実業家へ 時系列で語られる津本陽「小説 渋沢栄一」はしばしば金融危機に襲われる。小野組破綻のあと明治八年から九年、今度は当時金貨兌換銀行券を発行していた国立銀行の兌換制度そのものの破綻である。 深谷市の渋沢栄一記念館で(ドア影から…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(4)

紙からのはじまり 一般に実業家渋沢栄一というと「第一国立銀行の頭取になり、その立場から数々の会社設立に関わりその育成に尽力した」と伝えられるが、その草創期はそんなに甘くない。実際は苦心惨憺、もの凄いプレッシャーのなかでの汗まみれの激闘だった…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(3)

社会事業へ 津本陽「小説 渋沢栄一」は伝記作品で、その生涯をもっぱら時系列に追う。第一国立銀行の業務が波乱の中に新体制で滑り出しほっとしたところで、いきなり社会事業へ視点が移る。話は明治七年、渋沢栄一が銀行業務で多忙な中、東京府知事から「共…

(知働化フォーラム2015(横浜)に行ってきた 広汎なテーマの中に斯界の大きな「うねり」が

主催者の強いお薦めで、横浜市開港記念会館で終日開催された「知働化フォーラム2015」に行ってきた。主催はアジャイルプロセス協議会、知働化研究会、テーマは「ソフトウェアの未来」。 こうした知的なデイスカッションに申し分ない雰囲気の会場で、司会の大…

岸田孝一のエッセイ

ソフトウェアとコトバ(12) GOTO Letter をめぐって CACM誌でプログラム構造化定理に出会った1966年春からの数年間,わたし自身の個人的生活環境は目まぐるしく変化した.それまで5年ほど勤めていたコンピュータ・メーカの子会社を退職して某計算センター…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(2)

兜町から 明治六年5月、渋沢栄一はいわゆる「在野の人」になった。大蔵省最後のひと仕事は銀行業務を監督する人材皆無の大蔵省に、横浜東洋銀行書記のイギリス人、アレクサンダー・アーレン・シャンドを紙幣頭付属書記官として3年契約で雇用することだった。…

NTT R&Dフォーラム2015に行ってきた〜技術篇〜

新コンセプト『NetroSphere」(ネトロスフィア)構想』登場! 毎年恒例のNTT R&Dフォーラム、今年は80件の展示が行われた。その全体像をR&Dへの基本姿勢とともに聞けるのがR&D陣営の総帥、代表取締役副社長、研究企画部門長、篠原弘道氏の基調講演「NTT R&D…

NTT R&Dフォーラム2015に行ってきた

鵜浦博夫社長の基調講演 NTTの研究開発陣営恒例のR&Dフォーラムが武蔵野研究開発センタで開催され、初日に行ってきた。好天に恵まれたのか見学者の出足よく、開場時間を繰り上げるなど盛況だった。経営幹部はクリアなビジョンをしっかり見据えて自信に満ち、…

(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(1)

渋沢ビッグバン 渋沢栄一の生涯、Wikiの表現では「日本の武士(幕臣)、官僚、実業家」とあるが、津本陽の「小説 渋沢栄一」では下巻に突入してもいましばらく官僚生活が残る。その先どんな展開が待っているのだろう。それは決して「官僚だった渋沢栄一はそ…

ソフトウェアとコトバ(11) プログラムの構造

わたしがコンピュータ・ソフトウェアの世界に足を踏む入れたきっかけは,ただの学生アルバイトの仕事だった.大学をドロップアウトしなければならない期限が近づいてきたので,飯の種を探そうと考えていたとき,たまたま見つけたのが小さなセミナー会社での…

ソフトウェアとコトバ(10) 加上のパラドクス

富永仲基が言説の歴史的展開における「加上」の現象に関して発見したひとつの逆説的な事実がある.それは,新しい言説をとなえるとき,ひとは,自らの言説の正しさを証明するために,自分が打倒しようとしている言説よりさらに時代を遡った古い言説を引用す…

ソフトウェアとコトバ (9) 加上について

昨秋9月末の展覧会の1週間で何回分かの原稿が書けると考えていたのだが,みごとに予想が外れてしまった.どうやらわたしの頭から物書きとしての機能が失われ,完全に画家としての機能しか働かなくなってしまったのだ.おそらくそれは絵画に対するわたしの方…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(10)

乾坤一擲の改革と創造 明治三年そして四年、乾坤一擲、この時期、日本はまさに近代国家としての存亡を懸けた凄まじい闘いを展開していた。まず渋沢栄一がフランスで知った欧州各国政府の公債発行だが、それだけでは詳細が分からない。政府は大蔵少輔(しょう…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(9)

改革のすがすがしさ 渋沢栄一が静岡藩の「常平倉」で奮闘したのは僅か10ヶ月、貸し付け(銀行業務相当)業務は、出資者に出資金額まで無抵当で、一般貸付けは商品抵当で農業その他諸産業の開発資金を村々へ有利子で貸し付けた。また藩政へも貸し付けた。商業…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(8)

原点の弾込め 徳川昭武一行はイギリスからパリに戻り、費用の問題もあって、ロシア、プロシア、ポルトガル訪問予定を中止し、語学中心の勉学に精進することとした。徳川昭武は語学のほか、画学、馬術、運動術、射撃術などの勉学に励み、付き添いの者にもそれ…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(7)

欧州、地政学のなかで 渋沢栄一に厖大な知識を惜しみなく与えたフランスの銀行家へラルトは、結果的に日本の資本主義誕生の大恩人となった。その動機は親切心からだけだったのか。否、当時フランス政府はヘラルトを中心に、日仏共同の大規模商社ソシエテ・ジ…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(6)

欧州、乾いた砂が水を吸うように 徳川昭武一行がパリに着いたのが慶応三年3月、帰国のため最後にマルセーユを出港したのが翌四年9月、滞在は正味1年半だった。徳川昭武は日本国の大使だが、渋沢栄一はいかなる身分だったのか。庶務を扱う俗事方あるいは御勘…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(5)

井底の痴蛙(せいていのちあ)、欧州に立つ 第15代将軍徳川慶喜が誕生し、まだ新撰組が京都の街を疾駆しているとき、渋沢栄一はフランス国賓である日本政府代表団の一員としてパリ万国博覧会の会場に立つことになった。津本陽が描く渋沢栄一の心のそこまでの…

絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(4)

歴史舞台への登場 渋沢栄一は尊攘の志士として社会的な騒動を企てたが、おそらく日本の歴史に名を残すというようなことはずっと考えていなかっただろう。しかしながらその名は今となっては一橋慶喜のもとで京都で活動する中で、はやくもしっかりと歴史の歯車…

絶句、青淵、あまりにも偉大な(3) 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで

《行動の源泉》 人の行動原理は様々だ。私利私欲、立身出世から世界平和の追求、あるいは、芸術・学術の探求、はては趣味としての人生、といったものまでいろいろあるだろう。もちろん一個人の中ではいろいろな動機が入り交じり、また変化もしてゆくのが人生…

絶句、青淵、あまりにも偉大な(2) 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで

《時代環境と言い訳》 いつの世にも一個の人間にとって、その時代を生き抜いて行くにはそれ なりの難しさがある。その困難さは相対的には時々によって大いに異なる のだが、一回きりの人生の個人にとっては、生を得たとき、あるいは社会 に出るタイミ…

絶句、青淵、あまりにも偉大な(1) 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで

《はじめに》 首都東京の活力を象徴するかのように、最近激しくリニューアルされた東京駅八重洲口をやや北に進み、日本銀行や東洋経済新報社のほうへ向かうと、常盤橋という古めかしい橋の袂にコートを着て杖を突いた一人の男性の立派な銅像があるのに気づく…

「絵を描く」ということ

1969年の末に,ニューヨーク・メトロポリタン美術館で開かれた第2次大戦後のアメリカ美術回顧展に際して,評論家のヒルトン・クレーマーは,当時の流行であった抽象表現主義について,およそ次のように述べている: 「その原動力は,絵画をその美学的な本質…

ソフトウェアとコトバ(8)

月曜日(9/29)から始まる展覧会の作品飾付が無事に終わったので,しばらく中断していたこのエッセイの執筆を再開する時間がとれるようになった. http://www2.ocn.ne.jp/~g-hinoki/ これから1週間はギャラリーで暇をもてあますだろうから,お見えになったゲス…

ちょっと休憩(EuroSPI2014)

いろいろ雑用があってなかなか「ソフトウェアとコトバ」連載の筆が進まないのですが,先日ルクセンブルグで開かれた EuroSPI2014 Conference でソフトウェア・プロセスの技術革新 (Process Innovation) をテーマとするワークショップとパネル討論に参加し…

RFPで垣間見たソフトウェア・エンジニアリングの現実

未来に発生する要求への対応要求など無理難題が 筆者はここ10年余、IPA/SECや大学(情報科学研究科)でソフトウェア・エンジニアリングに関する調査・研究に従事してきた。今回のその活動の中で、地方自治体など公的な機関による調達仕様書、いわゆるRFPのい…