兜町から 明治六年5月、渋沢栄一はいわゆる「在野の人」になった。大蔵省最後のひと仕事は銀行業務を監督する人材皆無の大蔵省に、横浜東洋銀行書記のイギリス人、アレクサンダー・アーレン・シャンドを紙幣頭付属書記官として3年契約で雇用することだった。…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。