IT記者会Report

オリジナルな記事や送られてきたニュースリリース、セミナーのプレゼン資料など

ちょっと休憩(EuroSPI2014)

 いろいろ雑用があってなかなか「ソフトウェアとコトバ」連載の筆が進まないのですが,先日ルクセンブルグで開かれた EuroSPI2014 Conference でソフトウェア・プロセスの技術革新 (Process Innovation) をテーマとするワークショップとパネル討論に参加してきたので,そのときに使ったプレゼン・スライドの要約をベースに若干書き足したものを以下にまとめておきます.これまで書いてきた連載エッセイの中間報告みたいなものになっています.

Linguistic Analogy for Process innovation
(プロセス革新のための言語学的アナロジー)

(1) なぜ言語学なのか
 ソフトウェアと言語とは,「変化をどう取り扱うべきか」という共通の問題を抱えている.
 だれもが認めているように,ソフトウェア・システムは,それが稼働する周囲の環境変化に対応して自らを変えてゆかなければうまく機能しない.言語もまたそれが用いられる社会環境に応じて変化し続ける.
 20世紀前半の西欧哲学における最大の事件といわれる「言語学的展開」を主導したルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは,その著書『論理哲学論考』の冒頭で次のように述べた: 
 ーーこの世界は,単なるモノ(オブジェクト)の集まりでなはい.世界は成立していることがらの総体である.
そして,どのようなことがらが成立しているか(あるいは成立していないか)は,すべてコトバによって記述される.

 また,アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンは,多くの論議を呼んだ著書『世界制作の方法』で,次のように述べている:
  ――人間はこれまでさまざまな記号(言語)を用いて無数の世界を創りだしてきた.しかし,無からではない.すべての(新しい)世界は,これまでに存在していた世界になんらかの変更を加えて作りだされた単なる新しい「バージョン」でしかない.
 ソフトウェアとは,われわれが,対象アプリケーション(それはわれわれを取り巻く世界の一部分でしかないが)をモデル化した仮想的なマシンを,なんらかの言語を用いて記述したものにほかならない.その意味では,まったくのゼロから創造されるということはなく,既存の類似システムに必要な変更を加えてグッドマンのいう「新しいバージョン」が創りだされるのである。その意味では,新規開発も既存システムのメインテナンスも,本質的には同じことだといえよう.両者の違いは,古い「バージョン」がすぐ手でさわることのできるコードのかたちで眼前に提示されているかどうかだけでしかない.
  グッドマンは,世界制作というこの営みにおいて,世界の構成要素の取り扱いに関して,次の5つの論理的ステップが存在すると述べている:
  1.構成と分解
  2.重みづけ
  3.順序づけ
  4.削除と補充
  5.変形
 世界制作(すなわちソフトウェアの概念設計)における革新(Innovation) は,上記の5つのステップのどこでも起こりうる.

(2)言語とソフトウェアにおける変化の問題
 20世紀言語学の潮流が,スイス生まれの天才フェルディナンド・ ディ・ソシュールによって決定づけられたという事実は否定できない.ソシュールの方法論は,そのユニークな二分法 (dichotomy)を特徴している. すなわち,Parole (発話) に対してLangue (言語),Signifie (能記) に対してSignifian (所記),Dyachrony (通時態) に対してSynchrony (共時態)といったぐあいに,考察・検討すべき対象を二分法でとらえるというアプローチである.
 ソシュールを祖とする20世紀の構造主義言語学のさまざまな流派が,コトバというものを科学的対象として分析するという意図のもとに, 発話ではなく言語を,そして通時態に関する歴史的・社会学的分析ではなく共時態に関する静的な言語構造の分析を専らにすることになったのは,当然の帰結であった.そこでは,言語変化の問題は,「なぜ言語は変化するのか」という設問によって,変化の外的原因を探るというかたちになっている.
 ソフトウェアについていえば,日常それぞれのプロジェクトにおいて実践されている開発プロセス(As-is Process)の状況を話題にして議論するのではなく,抽象化された静的なプロセス・モデルの構造を問題にするという現在のソフトウェア工学の風潮と似たようなものである.
 ルーマニア生まれで,ウルグアイおよびドイツの大学で教鞭をとった言語学者ユージェニオ・コセリウは,こういったソシュール流のアプローチに異を唱えている.
 ーー「言語はなぜ変化するのか」という問いかけは,その背後に,言語は本来変化すべきではないという仮設あるいは信念のようなものが存在する.そうではなく,変化というものを言語が本来備えている属性としてとらえるのが正しいアプローチなのだ
というのが,コセリウの主張である.
 なぜなら,言語はわれわれの言動を制約すべく外部から課せられたルールなどではなく,それはわれわれが外部世界を認識し他者とのコミュニケーションを行うための単なる道具として与えられたものにすぎないからである.その道具を使う上でなんらかの不都合を感じた場合,われわれにはそれを変更する自由が与えられている.言語の変化とは,それが何かの外的原因によって「変わる」のではない.そうではなくて,われわれがなんらかの目的でそれを「変える」という意思によって起こるのである.
 ソフトウェアも,人間がそれぞれの必要とする情報処理活動をサポートするための道具として作られたものである.したがって,それを使っているさいに何か不都合を感じたとしたら,ユーザにはそれを変える自由がある.多くの場合,そうした不都合は,そのソフトウェアが提供する機能(仕様)がユーザの活動環境と食い違っているために起こるのであろう.もしかしたら,以前はそうした齟齬は存在しなかったのだが,ユーザの仕事のやり方が変化した,あるいは環境が変わったために食い違いが生じたということもありうる.そのときユーザは自らの手でソフトウェアを変えるか,あるいは別の人間に変更を依頼することになるであろう.いずれにせよ,ソフトウェアの変化もまた,人間の意思によって引き起こされるのである.
 コセリウのいうように,言語の場合も,またソフトウェアの場合も,それが変化する原因を外部に求めることはまちがっている.変化やイノベーションの原因は,外部にそれを探し求めるのではなく,われわれ自身の心の中を探るべきなのである.小規模な変化の積み重ねによって,いずれは大規模なイノベーションが引き起こされる.そのことを留意しておかなければならない.

(3)ソフトウェア進化プロセスのメールシュトローム
 M.M.レーマン先生が Software Evolution Dynamics の理論で指摘されたように,時間の経過にともなうソフトウェア・システムの進化プロセスは,マルチレベル,マルチエージェント,マルチループのフィードバック・システムである.
 それは,まるでエドガー・アラン・ポーの小説『メールシュトローム』に描かれた大渦巻きのようなものであり,単に個々のソフトウェア・プロジェクトのエンジニアやマネージャがその渦に巻き込まれているだけではなく,さまざまなレベルでそのソフトウェアに関係しているユーザも,関連企業の経営者やソフトウェア・プロセス改善を考えているスタッフ,さらには,プロセスを調査分析している研究者たちも含めて,すべての人間を巻き込んだ大渦巻きなのである.
 したがって,その渦巻きの外側(上)に位置して,いわゆる「神の視点」から全体を眺めることは,本質的に不可能だといえよう.
 これまでのソフトウェア工学におけるプロセス論議は,もともと不可能である「神の視点」に立つものがほとんどであった.ソフトウェア・システムやその開発プロセスについて,共時態としての静的な構造を論じるのであれはそれでも十分かも知れない.しかし,本当の意味で有効なイノベーションを考えるためには,渦巻きの外側ではなく,内側の視点に立った考察や議論が必要だと考えられる.新しい時代のソフトウェア工学は,そうした研究にもとづいて構築されるのではないかと期待される.

 その意味で,18世紀日本が生んだ天才思想家・富永仲基(とみなが・なかもと)が遺した業績は大いに参考になると考えられる.当時,日本の経済的・文化的中心都市であった浪速(大阪)の豪商たちの手で創設された私塾「懐徳堂」で学んだこの青年哲学者は,わずか31歳の若さで夭折してしまったのだが,かれが儒教を初めとする古代中国の哲学書およびインドから中国を経て渡来した膨大な仏典を独自の文献学的手法で網羅的に分析した成果は.日本思想史上もっともユニークな功績として輝いている.
 仲基は3冊の著書を出版したが,中国思想史を分析した最初の著作『説蔽』は,儒教を批判したものとして誤解されて発禁処分になり,かれ自身が懐徳堂から放校されるというスキャンダラスな結果をもたらした.この本は版木も含めて完全に失われ,今日には伝わっていないが,その内容の概略は,後にかれが書いた第2の著書『翁の文』から推測することができる.
 諸子百家と称される古代中国の思想家たちが残した言説の時代的進展を分析して仲基が発見したのは「加上」と名づけられた原理であった.すなわち,時代的にみて後から登場する思想的な言説は,先発の古い言説には含まれていない何らかの新しいアイデアを提示して自らの優越性をあらわす.そしてそのさい先発の言説よりさらに古い時代に遡って自説の正しさ(正当性)の証拠とする.これは,荻生徂徠が説いた「勝上」の原理(単に新しい言説は古い言説を打倒する意思を持って説かれる)を修正したものだといえよう.
ソフトウェア工学の短い歴史においても,時代の移り変わりにともなってさまざまな開発方法論が登場してきた背景を眺めてみれば,この「加上」原理が働いていることは容易に分かるであろう.わたし自身が気づいた典型的な事例は2つある.

 1つは,20年ほど前にヨーロッパの国際研究プロジェクトを訪問したときのこと.そこで採用されている開発方法論の基本説明書を貰った.ノルウェイの大学の手になるもので,「オブジェクト指向の起源はかつてノルウェイで作られたシミュレーション言語 SIMULA だというのが通説だ.ノルウェイにとっては名誉な話だが,それは誤り.OOの思想的起源は19世紀末ドイツの社会学マックス・ウェーバーが提唱した理想的官僚制度である」と,その技術レポートのまえがきに書かれていた.
 第2は,一世を風靡したワッツ・ハンフリーのプロセス・モデル CMMである.CMM は Capability Maturity Model という名称が示すように,開発組織全体のプロセス成熟度を測るものだが,その基礎としてそれぞれの開発チームを対象とする TSP (Team Software Process) ,さらに個々のエンジニアを対象とする PSP (Personal Software Process)という枠組みが後に追加された.これは,12世紀の中国(南宋)において説かれ,その後,中国のみならず朝鮮や日本の支配階層が利用してきた朱子学のマネジメント・パラダイム「修身・斎家・治国・平天下」とまったく同型だという奇妙な一致が見られる.
 仲基が残した第3の著書は『出定後語』という.「釈迦が悟りを開いた後に語られたコトバ」という題名が示すように,この本では,小乗・大乗さまざまな仏教宗派の言説が分析に対象になっている.ここでも,時代の移り変わりにつえての仏教原理の思想的革新(Innovation)をめぐって,上述した「加上」原理が働いている事例が各所に現れるが,仲基はさらに,人間の説く言説に共通の一般原理「三物五類」を,かれがそれまでおこなってきた文献学的研究の成果として提示している.
 ーーおよそ,言に類あり,世あり,人ある.これを言に三物ありと謂ふ.一切の諸言,解するに三物を以てする者は,わが教学の立てるなり.いやしくも,これをもってこれを求むるに,天下の道法,一切の諸言は,いまだかつて錯然として分かれずんばあらざるなり.故に云く,三物五類は立言の紀と.これなり.

 あらゆる言説は,それが説かれる時代によって,また誰がどんな意図でそれを説くのかによって異なる.コトバというものの時間的・空間的変遷はだれもが認めるところであり,ことさら新味はない.仲基の「三物五類」テーゼのユニークさは,大別して5つのカテゴリに分けられる「類」すなわち「言説の説かれる文脈とそこで用いられているレトリック」とを,それに付け加えたことにある.
仲基が示した「五類」とは:
  1.張 (Expansion)
  2.偏 (Inclination)
  3.泛 (Afloat)
  4.磯 (Limitation)
  5.反 (Irony)
 である.それらがどのような文脈あるいはレトリックを意味するのかという説明は,『出定後語』のなかでは,仏典の例を引いて簡単に述べられているだけなので,なかなか理解することは難しいが,言説の革新性を表現し,コトバというシステムに変化をもたらすほんとうの要因が,「世」や「人」にあるのではなく,「類」の中に存在することは明らかである.そのことについては,別に稿をあらためて,ソフトウェア技術史の例を分析しながら詳しく書くことにしよう.

参考文献
1.ヴィトゲンシュタイン:『論理哲学論考』については,いくつもの翻訳あるいは解説書が出ている.
2.グッドマン:『世界制作の方法』(ちくま学芸文庫
3.ソシュール:数多くの解説書が存在する
4.コセリウ:『一般言語学入門』(三修社
5.レーマン:M.M.Lehman‘s Home Page http://www.eis.mdx.ac.uk/staffpages/mm/
6.富永仲基: 『日本思想大系 43』(岩波書店