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絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(9)

改革のすがすがしさ

 渋沢栄一静岡藩の「常平倉」で奮闘したのは僅か10ヶ月、貸し付け(銀行業務相当)業務は、出資者に出資金額まで無抵当で、一般貸付けは商品抵当で農業その他諸産業の開発資金を村々へ有利子で貸し付けた。また藩政へも貸し付けた。商業では、各地の米穀、茶、蚕糸紙、繭、水油、塩、砂糖、半紙、下駄、鼻緒、干鰯、〆粕、油粕、砂糖などの買い入れと販売を行った。商圏は全国各地で、有力な廻漕業者に数艘の船を預け運送にあたらせた。


渋沢栄一記念館のバルコニーで赤城山方面を見つめる渋沢栄一像=深谷市、下手計(しもてばか)=

 渋沢栄一はヨーロッパでいわゆる「経済学」を身につける暇なく帰国したが、藍商人としての経験がフランスの経済構造の理解に役立っていた。加えて一行の庶務・会計担当としての実地の見聞が効力を発揮した。このあたり現代の留学にも大いに通じる教訓である。渋沢栄一は座学・学術としての「経済学」、机上ケーススタディの集積のようなMBA研修とは全く違う実学としての留学を行ったことになる。
 渋沢栄一は静岡を日本で最も豊かな県として徳川慶喜を喜ばせたい、と駿府での忠義の活動に固執したが明治の日本はそれを許さなかった。その活動は明治政府に知られるところとなり、推す者があって、半ば強制的に民部省への勤務を命じられる。時の担当は大蔵大輔(たゆう)、つまり大蔵大臣相当の大隈重信渋沢栄一国益を説く大隈重信に説得される。このときの説得が失敗していたら日本の近代化は大きく遅れたことだろう。大隈重信の業績には功罪様々な評価があるが、その中でこの渋沢栄一説得は最大の功といってもよいのではないだろうか。
 津本陽は文献を参照して大隈重信の渋沢評を伝えている。
 「(渋沢栄一は)当時まだ20歳時代で一見壮士の如く、……無論両刀を帯びていて、一つ間違ったら一本参ろうという剣幕(だった)。」

 それにしても当時の明治政府の人材を広く求める姿勢には感心する。そうした度量の背景には西欧列強の脅威への強い認識があったものと推定される。津本陽は「たちまち強国が植民地として併呑しかねない。」と表現している。まさに国家の存亡を懸けた挙国一致の人材登用姿勢である。近年、海外諸国で革命や選挙などによる国家権力の大きな移行後に挙国体制がとれず、かえって宗派対立や内戦の混沌に陥る例が数多く見られるのとは全く違う展開だ。
 最初の辞令は租税頭といい、知恵を出せという以外担務は本人にもはっきりしないものだった。渋沢栄一が状況を見ていわゆる組織整備を建言するとすぐに理解され、民部省内に改正局が設置されてその改正掛に任命された。津本陽は「大隈は言下に同意した。」と表現している。地方から中途採用した若者の大臣に対する組織整備の進言に言下に同意し、その若者を責任者に任じてこれを実行してしまう、信じがたい政府である。ここらあたりの国家運営、人材払底だったのだろうが明治政府の展開には目覚ましいものが感じられる。
 ここから大隈重信渋沢栄一二人三脚の快進撃が始まる。それは一人渋沢栄一の栄達といった意味ではなく、まさに近代国家建設に向かう日本という国家の進撃だった。
 渋沢栄一民部省、大蔵省という明治政府に在籍したのは3年半、この間にいったいどれだけのことが成し遂げられたのだろう。津本陽の記述から拾ってちょっと列記するだけで圧倒される。
まず民部省内に組織整備のための改正局を設置、改正掛に人材、それも旧幕府の能吏を登用した。この中には前島密などの顔ぶれが見える。そして次々と以下のような改革・改正案を作成、実施に導いた。
  全国測量案作成、これは測量準備作業の完了まですすめる。度量衡改正案作成。
  租税改正案、宿場伝馬の法改良案作成。
  貨幣制度改正。禄制の改革。
  鉄道敷設案。諸官庁建設案。
 いくら撃剣で鍛えた元勤攘の志士とはいえもの凄い実行力である。こうした中、箱館戦争が収束、日本の人口が3,362万人と記録されている。渋沢栄一30歳、租税正に、これは民部省租税司の長官でのちの大蔵省主税局長に相当する。徴税組織を構築し、以降、大蔵少丞、大蔵大丞、権大丞、制度取調御用掛、枢密権大史などと職位・担務が上がる。上司は租税頭の伊藤博文となる。
 津本陽は、明治二年11月から四年7月の1年8ヶ月に、租税制度改革、土地制度改革、殖産興業に関する新制度の取り決め160件、超人の獅子奮迅の努力だったと表現している。
 たとえば、明治二年の租税制度の整備は、12月の1ヶ月間に次の事が行われている。
  清酒、濁酒、醤油醸造税制の改正。
  北海道物産管理規則(物産税関連)の制定。
  旧幕府の慣用蔵米張紙直販法の廃止、租米石代金納法の施行。
  関東諸国各藩管轄地内の清酒、濁酒、醤油醸造戸の管理委任。
  士族の采地還納、官領郡村に準じた徴税命令。
  府県への(領主が取り立てる)年貢目録の禄上命令。
  外国型商船の税明の設定。
 ここで諸施策の説明は無いが、税の物納から金納への転換が実行された。いずれもその取り扱い内容は厖大で、これらを全くの前例の無い五里霧中のなかで推進するには強烈な指導力が不可欠だった、とのことである。「強烈」なんてものではないだろう。まだ帯刀している人間がうようよいる中で、もちろん命がけ、その実行力とともにそれを支える情熱に唯々敬服するしかない。今日の日本政府の諸改革、諸勢力間の利害調整、既得権との闘いと比べて、なんとすがすがしいことか。