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(続)絶句、青淵、あまりにも偉大な 津本陽「小説 渋沢栄一」を読んで(5)

銀行爆発から実業家へ

 時系列で語られる津本陽「小説 渋沢栄一」はしばしば金融危機に襲われる。小野組破綻のあと明治八年から九年、今度は当時金貨兌換銀行券を発行していた国立銀行の兌換制度そのものの破綻である。


深谷市渋沢栄一記念館で(ドア影から本人が?)

 明治七年に我が国の金銀貨幣の輸出超過が明治六年の204万5千円に対し7倍に急上昇、その後も大幅超過を続けた。夥しい金銀の流出である。これでは兌換制度が持たない。台湾征討による清国との紛議などで海外への支払金が増加し、政府紙幣が増発され日本の貿易バランスは悪化した。こうなると海外勢力からの紙幣の金貨への引換が増え兌換金貨払底となる。後に渋沢栄一は、日本政府の誰にも知識が無かった、知恵があれば金貨兌換制度はとらなかったと述懐している。
 このあたり、つくづく日本に出入りする海外諸勢力の不親切さを感じる。頼めばいろいろ都合してくれるが、日本が知らなければ黙って見過ごし、知らぬ顔でひたすら己の利を追求する。
 兌換金貨払底で銀行券の発行が著しく減った。そこへ金禄公債証書発行条例発布が重なった。これは政府が華士族に与えていた家禄、賞典録の制を廃止し、代わりに補償としてこの証書を与えるものである。その額、1億7,400万円、膨大である。この価値が低下すれば華士族の生活が窮迫し、国がもたない。政府は金貨兌換を不換通貨兌換に変え、華士族の公債を資本として紙幣を発行する国立銀行を設立させその資産を保護することとした。このための改正国立銀行条例を明治九年8月に布告、また銀行設立の条件を緩めた。
 第一国立銀行は新条例に沿って開業免許を受け、またこの条例を契機に、明治十二年までの4年間に全国で百十数行の国立銀行が創立された。国立銀行と言っても民間資本の株式会社で、その多くは第一国立銀行、あるいは渋沢栄一の指導・支援を受けることになり、第一国立銀行地方銀行に対する中央銀行の位置づけになっていった。
 ここで津本陽
 『栄一は……新分野開拓のためには、おどろくべき闘争心、執着をあらわすが、自己の資産をふやそうという欲望は、きわめてすくなかった』
 と結んでいる。
 そしていよいよ話題は「論語精神」、実業道の登場である。
 津本陽はそれを渋沢栄一の言葉を引用しながら、この大著のあたかも一挿話のように僅か3ページで表現している。しかしその内容は極めて重く、ここに渋沢栄一の活動の基本理念が凝縮されている。
 まずは渋沢栄一本人の言葉、
 『金銭資産は、仕事の滓(かす)である。滓をできるだけ多く貯えようとする者はいたずらに現世に糞土の牆(かきね)を築いているだけである』。
 次いで子息(四男)の秀夫の述懐、
 『父は金というものは、働きの滓だと言っていた。機械が絶えず運転していると滓がたまるように、人が一心に働いていると、自然に金がたまって来る。従って、金は溜まるべきもので、溜めるべきものじゃない。……父が真実からこう思って事業本位に働きつづけたことだけは確かであった。……』。
 現代社会で行き詰まりを見せているいわゆる強欲資本主義に対して、これほどクリアなアンチテーゼはないだろう。
 さらに昭和十六年出版の「攘夷論者の渡欧」からの引用がある。
 『……どんな賢い人間でも、社会というものが存在しなければ一人で富む訳けにはゆかんだろう。しからば冨は社会が与えてくれる恩恵とも見られる訳ではないか。その恩恵を受けた社会をほっておいて、我独り富んで宜しいという理屈は、ちと勝手な申分だと思うが、世間には存外この身勝手が多くてね』。
 なんとも、全く現代に通じる主張だ。「世間には存外多い」どころではない、拝金主義、強欲資本主義が全世界を覆っているのが現実だ。現代を支配している考えは「今日の儲けはわたしのもの、明日の損は君のもの」だ。ウォ−ル街で「渋沢栄一実業道講演会」をやったらどんな反応になるだろう。「ウォール街を占拠しよう」運動の面々、あるいは「ウォール街の大罪」のアーサー・レビットや「世界の99%を不幸にする経済」のジョセフ・E ・スティグリッツ渋沢栄一を勉強しているのだろうか、と思う。
 津本陽は語る,
 『栄一は日本実業界の重鎮となるにつれ、海外経済事情を研究し、早急にととのえねばならない部門の増強をはかるため、毎夜就床したのちも考えをめぐらし、眠る暇もなかった』と。

 もう一つ重要なことが示されている。渋沢栄一は合本主義、すなわち株式会社形態にこだわった。それは旧士族の能力を見極め、その長所を最大限に活かしながら次の時代へ組み込んで行く方策だった。実に優れた認識だ。明治維新は一つの革命だ。革命の成就にとって旧支配階級の能力の活用と既得権の帰趨、その新体制での居場所の作り方が大きな意味を持つ。
 渋沢栄一の言葉が引用されている、
 『旧幕時代からの町人は、利益を追求するばかりで、視野が狭く、世界貿易を経営できる才幹のある者は、めったにない。だが、士族は知識、決断力がともに見るべきものがあり、充分ヨーロッパ人と対抗しうる。しかし、彼らは軍人、役人の道を選んで商人とはならない。客をたぶらかしてもひたすら利益のみを追求する商人の配下となるのは、自尊心がゆるさないためである。士族が富裕な商人の番頭になることをいさぎよしとない心情は、よくわかる。だが合本組織、株式会社の社員となることは、実業界の一員としての、公的な立場を得ることになり、士族を会社に導入すれば、今後の経済発展のために、重要な人材になる』。
 新制度によるたくさんの国立銀行の開設はその考え実現の第一歩でもあった。
 かつてこれほどの革命思想とその実践があっただろうか。そして今日の日本の産業界に思いをはせると、そこにサムライ株式会社、サムライ社員と経営者、そして反対にサムライでない会社と社員・経営者が見える気がする。あるいはこうしたサムライやサムライ組織が往々にして西欧型の非サムライ、非サムライ組織の批判・攻撃を受けている場面、という現実が見えて来る。
 (注:『 』の引用文のなかで一部の漢字に新字体を使用しました)