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岩島の享保雛見学会に行ってきた

 3月1日(日)、群馬県東吾妻町岩島で開かれた「享保雛見学会」に行ってきた。見学会を企画・運営したのは国内1400社が採用しているビジネス向けインターネットツール「Biz/Browser」の開発者で「GO!農&どこでもオフィス」を提唱している片貝孝夫氏と、地域ソフトウェア連携機構の理事で「トキの野生復帰〜その教育効果とICT〜」を追求している高橋正視氏 。今回は田んぼ再生学会の一員としての参加だったが、IT/インターネット時代の地域再生の姿が垣間見えた。

スポイト効果とスルー現象
 JR高崎駅10時49分発の長野原草津口行き各停電車は11時16分、渋川駅吾妻線に入り、12時ちょうどに岩島駅に着く。時刻表のトリックを使ったサスペンスドラマのようだが、本稿はさほど面白い話ではない。ともあれ、筆者の自宅から目的地まで全行程4時間40分を各駅停車で、というのは、お金がなかった学生時代に乗った夜行各停の岐阜大垣行き以来であるに違いない。
 前日、主催側の中心人物である片貝孝夫氏から、
 ――10時19分着の電車があるんです。それで来ればコンニャク作りが体験できますよ。
 というメールが届いていた。
 う〜む、コンニャク作りは面白そう。しかし、ということは、逆算すると自宅を6時前に出なければならない。それはちょっと……、ということで12時着なのだが、湘南新宿ライン東海道線―山手線―赤羽線高崎線)に乗りながら考えたのは、
 ――ITに何ができるだろう。
 ということだった。
 少なくともコンニャク作りにITは全く役に立たないし、集落の過疎化や高齢化に歯止めをかけることはできていない。なるほど、徳島県上勝町の「いろどり」(葉っぱビジネスで有名)や神山町ベンチャー企業群、福島県会津サテライトオフィス構想など様ざまな取り組みが行われているけれど、愛媛県内子町の「内子フレッシュパークからり」や宮崎県の経済農業協同組合連合会のように、地に足がついたITとは言い難い。
 折から3月14日に北陸新幹線が金沢まで運行を始め、3月28日に首都圏中央連絡自動車道圏央道)のおおむね西半分が完成する。北陸新幹線は筆者が取り立てて云々するものではないけれど、圏央道は自宅から藤沢に出れば関越道まで一気通貫というメリットがある。とはいえ、受け入れる側から見たらどうなのか。
 ――IT化だベンチャー企業の誘致だといえばカッコいいのだが、高速道路や新幹線と同じではあるまいか。
 というのが、筆者の疑問である。
 どういうことかというと、「地域」(東京も別の見方をすれば地域の一つなのに地方を「地域」と言い換え、「中央と地域」などと言って自分たちは地方じゃないと誤解している)にとって高速道路や新幹線がやってことは自分たちの町が「都会」に一歩も二歩も近づくことを意味していて、そうなれば「都会」から大勢の人がやってくると考えている。その考えはほとんど信心といってよく、前者の「都会」は「きらびやかな街並み」を、後者の「都会」は「ごったがえす人の波」をイメージしているに違いなく、きらびやかな街並みがなく人通りも少ない「我が町」は、時代に取り残されていてどんどん寂れていく、という劣等感に似た認識が背景にある。
 ところが《福の神》のだったはずの高速道路や新幹線によって、地域の若者が「都会」に吸い込まれ、観光客はインターチェンジや駅がない場所を素通りする。結果、少子高齢化と過疎化がますます進み、地域の収入は決して増えることがない。擬似新幹線が通じた秋田、山形では若い世代が盛岡、仙台に真正新幹線が通じた新潟、長野は支社経済が壊滅し、おそらく青森、富山、金沢は観光収入のうち宿泊収入が激減する。スポイト効果とスルー現象が10年、20年の時間をかけて、地域を疲弊させていく。

ITに歯止めはあるか
 ITもよく似ていて、業務の効率化やコストの削減に効果があり、上手に使えば新しいビジネスを興したり人とのつながりを広げることができ、居ながらにして様ざまな情報を手に入れることができるのだが、結果として情報は中央に集約されていく。メインフレームが全盛だった1980年代末まで、ITは中央集権の権化のごとく振舞っていたが、分散処理とオープンシステムが登場した1990年代以後、あるいはパソコンとインターネットが普及した1995年以後、情報はどこにあってもよく、その処理は情報が発生する現場(最終的には個人)の所管に移行する、と考えられていた。
 ところが実際には、情報は集約管理され、処理はどこかのだれかにお任せしている。例えばfacebookやLINE、今年10月にスタートするマイナンバー制度、地下鉄のホームドアやETCゲートのバー、ここにきてにわかに喧しいIoT(Internet of Things)、M2M(Machine to Machine)などである。facebookやLINEが無料で利用できるのは、登録した利用者の個人情報やそこでやり取りされる情報を自動的に収集することができるからであり、地下鉄のホームドアやETCゲートのバーが自動で開閉するのは信号にセンサーが反応してモーターを動作させているのであり、IoTとM2Mはインターネットプロトコルと非接触型ICチップに拠っている。結果として「どこかで・誰かが・うまくやってくれている」ように見える。
 もっと分かりやすい例を示すなら、インターネット上のwikipediaは、インターネット以前の世代にとっては「手がかりの一つ」であって、調べものをする手間と時間を省略してくれる。これに対してインターネット後の世代は「答え」であって、考える手間と時間をかけずに済む。というように、スポイト効果とスルー現象が、ITでも起こっているのだが、それを誰も訝しく思わず、むしろ喜んでいるように見える。現段階では不自由さや窮屈さを利便性が上回っているからだが、実をいえばそれはまことに不思議なことといっていい。
 おそらく治安活動や戦闘行為にITが適用されることに歯止めをかけるのはほとんど不可能に近く、利便性や安全、安心を隠れ蓑にしてITを巧みに操作する者が支配力を強めていく。第2次大戦後の日本には、たとえ錯覚であったとしても平和憲法と民主主義があったので、経済至上主義の暴走に一定の歯止めをかけることができた。ところがITの世界では、憲法もなければ議会も選挙もなく、ITにかかわる専門家やITを利活用する人たちのモラルに依存する部分が大きいので、何が歯止めになののかが見えにくい。スポイト効果とスルー現象が起こるのはやむを得ないとして、しかし一方に「歯止めとしてのIT」があっていいのではないか。
 ここでいう「歯止めとしてのIT」とは、個人と個人の集合としての地域が自律的に、かつ相互に連携しつつ自立できるようにするITを指す。繰り返し確認しておくのだが、中央集約型のITを否定する必要は全くない。いいたいのは、
 ――それだけでいいのか?
 ということだ。

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