IT記者会Report

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2015年夏の東吾妻(1) 経済価値から知縁価値へ


 八ッ場ダムが完成するのは2020年の予定。長野原地区と横壁地区の進入路建設に着手したのが1994年だから足掛け27年、途中2年間の空白を除いても四半世紀に及ぶ大工事だ。その妥当性は将来の評価に委ねられるとして、ただ、公共事業を誘致して雇用を生み出す地域振興策は、人口減と高齢化の歯止めにならない。ダム工事が最終局面に入ったのと入れ替わるように、地域の資源を再確認しようという「GO!農」プロジェクトがスタートしたのは、まさに時宜を得たものといえそうだ。

20世紀型地域振興の限界

 ITとは直接の関係がないのだが―。
 八ッ場ダム工事は総事業費が2110億円から2.2倍の4600億円に跳ね上がった2004年なら「中止」の判断が有効だった。2012年12月に工事再開となって以後、情報が極端に少なくなり、気がついたら最終局面に入っている。
 「なし崩し」という言葉は使いたくないのだが、430世帯の大半が高台の代替地に移転し、ダムの本体工事まで進んだいまになって、「引き戻す」という選択肢があるだろうか。ダムが完成した後、「ダムは必要」の根拠となった1都4県の治水と水利に資するとともに、地域にとってダム湖が大きな観光資源となることに期待するほかはない。
 そもそもの発端が1947年9月のカスリーン台風なので、約70年前のニーズに基づいた公共事業を「粛々と」継続するのはどうなのか―が、民主党政権が「中止」を表明した主な理由だった。まさにキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」の表徴だったからだが、真に議論しなければならなかったのは巨額の公的資金を誘導した地域振興の是非だったはずである。
 工場を誘致すれば雇用が生まれ、地方税収が増え、福祉や教育が充実する、というのは、20世紀の地域振興策。国内の消費と輸出が右肩上がりのときは”バラ色”の構図だったが、バブル崩壊で色褪せが目に付くようになった。製造現場の機械化は人の手を代替する段階を過ぎて、機械と機械が連動する自動化に進展し、21世紀に入って無人化を指向している。同時に景気の変動や生産の海外シフトで、工場そのものが統廃合される事態が全国で発生した。
 地域の視点で見れば、雇用は不安定になり、エネルギーと生活物資の受給バランスが崩れ、広大な空き地だけが残る。地域に工場誘致をするのは、新しい負債を背負い込むのとほぼ等しい。アベノミクスで声高に「地域創生」が謳われているが、地方の工場閉鎖に歯止めはかからず、労働者派遣法の改正(?)で雇用の不安定さは増すことになりそうだ。その中で進められる補助金頼み地域振興は、たぶんロクなことにならない。

次の世代に残すもの

 門外漢ながら、世の中一般でいえばそれなりの年齢なので、次の世代に何を残すか、何を残してはいけないかを考えることがある。その1つが知的で平穏な暮らしを続け、環境を守る仕組みということになるだろう。そしてもう1つは、世界のどこに対しても、誰に対しても「非戦」を説得することができる立ち位置だ。
 現在の政治・経済を主導している(しようとしている)考え方は金融帝国主義とでも言うものではあるまいか。制度でも収入でも中間層を細らせ、ごく少数の「勝ち組」と多数の「負け組」に分けていく。富裕と貧困が固定化され、議員やタレントのように、ある種の特権が世襲されていく。敵か味方かを瀬踏みし、「空気を読む」ことを求めていく。小泉政権が「抵抗勢力」をバネに国会で圧倒的多数を握った手法が社会全体に及んでいる。
 解釈改憲集団的自衛権(法律上、自衛隊は警察なので他国軍の連携して軍事行動を起こすには改憲が必要)で国民が巻き込まれるのは、20世紀型の戦争ではない。それは上陸用強襲艇で砂浜に戦車と大砲を押し上げ、その後ろに従う歩兵が塹壕を掘って銃を撃ち合うイメージだ。それによって悲惨な肉弾戦、籠城戦が発生したが、さて、21世紀の現在はどうか。
 実際に戦闘が起こるとしても局所的かつ短時間で、実態は敵味方とも早押しクイズのように、どちらがタイミングよく正確にボタンを押すかを競うだけになる。相手国の大都市を破壊するメリットはほとんどない。軍と軍が向かい合う戦闘が、ゲリラ戦や無差別テロというかたちで潜伏化する。
 想定されるのはサイバー戦争と金融支配が主体であって、軍備は脅しの道具に過ぎない。結果として多くの国民が、貧困による健康被害自死、ゲリラ的な暴力による死傷のリスクを負うことになる。

IT関係者の意思表示

 その要所要所にITがかかわっているのだが、IoT(Internet of Things)/CPS(Cyber Phisical Systems)の時代である。「何らかの形で」であるだけに、IT関係者は決定的な意思表示をする機会を持っていない。対して「GO!農」プロジェクトはIT関係者の発案で、賛同したり関心を示す人にIT関係者が少なくない。それはIT関係者の潜在的な意思表示と言えないこともない。
 別の言い方をすると、ITは効率化や省力化による経済価値の最大化を金科玉条にしてきたが、気がついたらそれが金融帝国主義といっていいような利益簒奪の構造を生み出していることに気がついた。さらに最近の政治の動きは、国民の生命を脅かしかねない暴力的で欺瞞的な状況に近づいているかもしれない、と考えるようになったのではないか。
 経済価値を軸とした価値観で見れば「非効率で非省力的なことこのうえない」であっても、そこに経済価値以上の価値がある。そのような考え方が広がっているように思われる。まさにそれが「知縁(知識・地縁・人縁)価値」を創造する「GO!農」プロジェクトというわけだ。