IT記者会Report

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東日本大震災・6回目の秋(4) 女川〜ほど遠い真の復興〜

鉄道は再開し商店街もできたけれど

 慰霊碑と震災遺構を巡る旅の最後は女川町だった。この地を訪れるのはIT記者会としては、2013年7月以来3回目。海抜17mの高台に建つ女川地域医療センター1階の床上1m92?まで到達した津波の被災地〈その後〉を確認するのが、13日のハイライトとなった。昨年5月の石巻線全線開通に合わせて女川駅前プロムナードが整備され、「復興の第一歩が踏み出された」とはいうものの、賑わいが戻るのは容易ではなさそうだ。


寳國寺は天童氏の菩提寺。本堂の裏(奥)に見えるのが「末の松山」とされる


2013年7月の女川地域医療センター。当時は見上げる高さだったが、現在その高低差は10mほど

貞観地震〜「末の松山」は海抜10m

 多賀城市八幡の寳國寺は平安朝貞観十一年五月(グレゴリオ暦869年7月13日)に発生した巨大地震後の津波が到達した「末の松山」で知られる。延喜元年(901)に成立した六国史の第6書『日本三代実録』には、〈海口哮吼/聲似雷霆/驚濤涌潮/泝芣漲長/忽至城下/去海數十百里(千百里)/浩々不辨其涯諸/原野道路〉(雷鳴のように海が吼え、潮が湧き上がり、川が逆流し、たちまち城下に達した。海から数十百里の内陸まで野原も道も大海原となった)とリアルな記述がある。多賀城の吏士が書き残した記録が元になったと思われる。
 津波は当時の波打ち際から5?を一気に走ったが、「末の松山」を越えることはなかったーーという。その言い伝えが広く知られ、のちに多くの和歌に、「波」「浪」「越える」と一対で詠まれる歌枕となった。平安京の都人にとってはほとんど空想の世界だが、実際の「末の松山」は宝國寺の裏側、墓地の斜面を成す海抜10m余の丘であるに過ぎない。
 もう一つの〈実際のところ〉を記すと、津波は「末の松山」を超えなかったのではなく、そこを取り残してさらに奥まで浸水したことが、考古学的な知見として判明している。東日本大震災津波はどうだったかというと、寳國寺山門前の電柱には、路面から1.5mほどの高さに「ここまで津波が来ました」のマークが付されている。貞観地震の際とほぼ同じ規模だったようなのだ。


津波被災直後の女川町中心部

くっきり江島共済ビル跡地

 IT記者会の被災地視察ツアーでは、いくつもの被災建造物を訪ねている。印象に残るのは旧大槌町役場、米沢商会ビル(陸前高田市)、第十八共徳丸(気仙沼市)、旧南三陸町防災センター、江島共済会館ビル(女川町)、荒浜小学校体育館(仙台市)などだ。このうち第十八共徳丸は20
13年10月に解体され、跡地には展望台ができているという。
 その意味で、今回、江島共済会館ビルがどうなっているかは関心事の一つだった。高台にある女川地域医療センターの駐車場から展望すると、目の前にビルが横転していたからだ。復興の進展状況を測るバロメーターというだけでなく、復興の方向性を示すという意味合いもあった。
 石巻と女川を結ぶ女川街道は女川第一小学校を過ぎ、JR石巻線のガードをくぐった先で二股に分かれている。2014年8月、カーナビは道なり直進、県道398号線を進むルートを示していた。今回も同様だったが県道398号線は工事で行き止まりだったので、二股を右折することになった。
 2013年7月は発災2年目で、復興工事は緒に着いたばかりだった。2014年8月には周囲の山が崩され、そこから運んだ土で嵩上げ工事が本格化していた。それでも女川交番は江島共済会館ビルは津波で基礎から引き抜かれて転倒したまま残されていた。震災遺構として、あるいは観光の目玉として保存しようという声もあったが、自然崩壊をどう防ぐか、その費用を誰が負担するか等の課題があった。結局、町として旧女川交番だけを保存することが決定した。江島共済会館ビルの解体工事が始まった2014年12月だったので、跡形もなくなっていて当然。実際、道路は付け替えられ、工事関係者の駐車場だった場所に重機が入っていたものの、ビルの跡地はくっきりそれと分かる。

駅前商店街は綺麗だが……

 今回のもう一つの関心事は、再建・再開された女川駅と駅前に作られた商業施設「シーパルピア女川」だった。女川駅の再開は昨年3月21日、シーパルピア女川が開業したのは昨年の12月23日。まさに「女川町復興」のシンボルとして、タレントを案内役にしたテレビ番組で繰り返し紹介されていた。
 女川町のホームページによると、「(シーパルピア女川は)プロムナードに隣接するテナント型の商業施設です。ミニスーパーや小売店、女川の味を堪能できる飲食店、魅力的な制作販売などさまざまな業種の27店舗が出店しています」とある。どのような構成かというと、「日用品・工房・飲食エリア」で、町民の日常生活をサポートする商業機能だけでなく、来町者・観光客の需要に対応した機能も合わせ持つという。
 女川駅には温泉施設が併設され、その脇に町役場とコワーキングスペース、駅前には複数の金融機関、郵便局、町営のコミュニティセンターが配置される。駅からまっすぐ港に向かう舗道の両脇にテナントの27店が入る商店街という設計だ。ちょっと変わったところでは「オーテック」というIT企業も入っている。
 完成したばかりで、しかも復興・嵩上げ工事の最中とあって、自ずから客層は観光客だ。青果店は観光客向けの生ジュース、コーヒーショップは都会的な洒落た造り、工房は手作り感のある観光土産。舗道が広すぎて商店街の雑踏や、試食販売やティッシュペーパーを渡しながら呼び込むといった猥雑さが全く感じられない。
 生活感がないだけでなく、土産物屋がずらりと並ぶ観光地の商店街でもない。現時点で合格点はあげられない。生活に密着した賑わいが生まれるのは何年かのち、住人が戻ってきてから、ということなのだろう。


再建された女川駅と駅前商店街「シーパルピア」のプロムナードは綺麗だが……