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3人のヨーゼフ(その3)

 思想家,教育者,そしてまた社会運動家としても知られたドイツの彫刻家ヨーゼフ・ボイスが,東京・池袋の西武美術館での個展のために来日したのは1984年6月のことであった.当時,Unix やインターネットによって引き起こされたソフトウェア技術革命の真っ只中にあって多忙をきわめていたために,わたしはその展覧会を見逃している.
 いま振り返ってみれば,そのころわたしが多くの時間を費やしていたのは,いくつかのボランティア組織を舞台にした技術者や研究者相互の交流促進のための国内外での活動だったのだから,ボイスの提唱した「社会彫刻」の考えにも一脈通じるところがあったように思う.その意味で,折角かれが来日した機会に接触できなかったのは残念であった.
 ボイスはそれから1年半後の1986年に亡くなっている.日本訪問は病躯を抱えての無理な行動だったのであろう.東京芸大での学生たちとの対話集会では,それまでのかれの反体制的な活動(デュッセルドルフ芸術アカデミーでの闘争や,その後のベルリン国際自由大学創設,緑の党での政治活動など)と,資本主義の権化である西武美術館で展覧会を開くこととの矛盾を突き上げられたりしたようだが,好意的に解釈すれば,あの展覧会は,かれが「社会彫刻」の一環として計画し実行していた「7000本の樫の木」プロジェクトの資金稼ぎだったのではないかと想像される.そのあたりの経緯は,2008年の秋から翌年の1月にかけて水戸芸術館で開催された回顧展「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」の記録に詳しく書かれている.

 「人間はだれでも芸術家である」とボイスは宣言した.「しかし,それは,だれもが絵描きや彫刻家になれるという意味ではない.人間が行うあらゆる活動には芸術的な創造性を発揮する機会が潜んでいるということなのだ」と,かれはいう.
 社会学者・毛利嘉孝は,次のように述べている:
 ――晩年のボイスが考えていたのは,日常的な労働という営みを,どうやって芸術として捉えなおすということだったのではないだろうか.それは,かれが提唱した『社会彫刻』概念のひとつの完成型であり,『誰もが芸術家である』という有名なテーゼの実現でもあった.しかし,1980年代以降の産業構造の急激な変化は,ボイスのユートピアをいとも簡単に追い越してしまった.いまでは,だれでも(売れない)芸術家のように生きることを強いられている.
 たしかに,現在あらゆるビジネスの現場で,「創造力」や「コミュニケーション能力」が声高に求められている.ボイスが思い描いていた夢は,ある意味で実現したのだが,皮肉なことにそれは,ユートピアではなく地獄のヴァリエーションでしかなかった.資本主義のしたたかさだといえばいえないこともないという毛利の分析は,かなり正確に,われわれがおかれた現在の状況を示しているように感じられる.

わたしが生まれた1936年に,ボイスは「だれもがみんな教会へゆくような軽い気持ちで」ヒットラー少年団に加入している.第2次大戦では空軍に志願し,急降下爆撃機の無線オペレータとして東部戦線で戦った.大戦末期の1944年春,クリミア半島上空でソ連軍に撃墜され,草原に墜落して負傷した.
 たまたま近くに生活していた遊牧民に助けられ,体温の低下を防ぐために全身に動物の脂肪を塗り,毛皮で包むという原始的な治療を受けた.その経験からか,のちに行ったインスタレーションでは,脂肪や毛皮を用いたオブジェ群を展示したりしている.残念ながら,わたしはかれのインスタレーションは,ネット上の映像ビデオでしか観ていない.実物のかれの作品を観たのは,横須賀・汐入にあるカスヤの森現代美術館(もとだれかのアトリエを改装したユニークなミニ・ミュージアム)に所蔵されている小さなオブジェの断片だけである.
 藝術作品としてのインスタレーションの魅力は,それが観客の全身を包みこむ圧倒的迫力を備えていることだが,しかし,その時・その場にいなければ味わえないという一過性の制約がある.芝居や音楽のライブと似ていて,CD や DVD に記録されたものを観たのでは,もともとの臨場感はほとんど伝わってこない.いまや商業的に成功を収め,東京の大劇場でもロングランを続けている「ブルーマン・グループ」のパフォーマンスも,ニューヨーク・オフブロードウェイの小劇場でのオリジナルな舞台と比較すれば,気の抜けたサイダーみたいなものでしかないだろうと想像される.

 しばらく前にネット・サーフィンをしていて,ArtPulse という Web Magazine で,「芸術実践における持続可能性 - 21世紀における芸術活動とは?」と題したエディトリアル記事を見つけた.筆者はニューヨークのある大学でメディア・アートを教えているクリスティヌ・パウルという若い女性研究者(ネットで検索するとドイツの有名女優が最初に出てくるが,これは同姓同名の別人).「持続可能性 (Sustainability)」 という概念は,もともとエコロジーに関連していいだされたものだが,最近では,コンピュータの日常生活への浸透にともなって,システム工学の分野でも取り上げられつつある.ちなみに,2012年にチューリッヒで開催されたソフトウェア工学国際会議の基調テーマは,「持続可能な世界のための持続可能なソフトウェア」であった.
 持続可能な藝術実践という意味合いからすれば,1982年にボイスが「ドクメンタ7展」で提唱した「7000本の樫の木」プロジェクト(展覧会の開催地である古都カッセルを樫の木で埋め尽くそうという計画)は,まさに持続可能な「社会彫刻」の典型的な例だといえるだろう.下の写真はプロジェクトが始まって20年目に,ドクメンタ展の会場前に大きく育った樫の木の姿である.
 特定の場所と時間に固定されるというインスタレーションの特徴は,その魅力でありまた欠点でもある.別のいい方をすれば,それは美術の劇場化だともいえよう.閉じられた空間の壁だけに作品をならべる展覧会の概念を拡大し,壁だけに限らず床や天井までを舞台としてさまざまな作品を配置し,観賞者がその舞台の上を自由に歩き回って作品と交流するプロセスを楽しめるようにしようというアイデアは,たしかにこれまでの美術の静的な性格を変える働きをもたらした.そして,そこには,観賞プロセスのダイナミズムというもうひとつの新しい課題が生じてくる.ボイスの「7000本の樫の木」プロジェクトは,舞台を閉じられた空間から街全体に開放し,それまで数日あるいはせいぜい数ヶ月だったインスタレーションの持続時間を数十年という単位にまで拡大したものとして,これまでに例を見な試みであったといえる.

 2011年夏のある日,東京でヴェネチア・ビエンナーレの中間報告会が開かれ,たまたま参加する機会を得た.その年の日本館の展示アーティストは,メディアを駆使したインスタレーションで人気絶頂の若手女流アーティストの束芋(たばいも)さん.2010年の横浜美術館で開かれた「断面の世代」の強烈な印象がまだ記憶に残っている.ヴェネチアでの展示テーマは「てれこスープ」,Telescope を言い換えたコトバ遊びで,ガラパゴス化した現代日本文化の状況を描いたもの.現地ではかなり高い評価を受けたらしい.
 その報告会の中で,束芋さんは,ヴェネチアでの展示環境とのトラブルについていろいろ語っていた.いわく,日本館は外の空間に対してオープンな構造になっているので,埃が予想以上にひどい,電力が安定しない,etc,etc で複数のプロジェクタの機能を無事にメインテナンスしてあと数ヶ月動かし続けるのが大変だというような話だった.
 わたしが Daylight Businessとして関係しているコンピュータ・ソフトウェア・システム(特に社会的なシステム)の場合には,周囲の世界のダイナミックな変化に対応して,ソフトウェアをたえず手直しして行かなければならない.ソフトウェアのメインテナンス(保守)とは,そうした絶えざる修正(いわば新規の追加開発)のプロセスを指すのである.同じ「保守」といっても,劣化した部品を修理して工場出荷時と同じ状態に戻すことを目的としたハードウェアのメインテナンスとは根本的に異なる.
 美術のインスタレーション・システムの場合にも,いつまでも当初の状態を維持するというハードウェア・モデルではなく,環境の時間的変化に対応してシステム自体を変えて行くというソフトウェア進化論的プロセスの概念が必要なのではないかと,そのとき考えさせられたのだった.