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終わらない物語

 7月初めに岐阜で開催されたSS2013のワーキング・グループ趣旨説明で,「ときには何かをすることが何ももたらさない結果になる」というサブタイトルのついたフランシス・アリスのヴィデオ作品を紹介した.
 これは,スーツケース大の氷の塊をアーティスト自身が両手で押しながらメキシコシティの街路をさまよい歩くパフォーマンスを記録したもの.時間の経過とともに氷塊は次第に小さくなり,そのうち足で蹴飛ばして歩くようになる.そして最後に,ダウンタウンの街角にしゃがみこんだ少年たちの目の前で溶けてなくなってしまう.

 この氷塊をソフトウェアにたとえることは,見かけ上無理であるかのように思われる.氷とは違って、ソフトウェアは開発・保守されてゆく過程で,次第に規模が拡大し,構造は複雑化して行く.しかし,最後に,ユーザ・ニーズが消滅すると同時に溶けてなくなってしまうことは同じである.その消失までのプロセスにおいて,ソフトウェアは,それを取り巻くアプリケーションや社会の文化にどのような影響を与えることができたのか.フランシス・アリスのヴィデオはそんな問いかけのメッセージをわたしたちに投げかけているように感じられる.
 アーティストの公式 Web Site (www.francisalys.com) を覗くと,この「氷塊」と似たようなヴィデオ作品がいくつも公開されている.
 たとえば “Painting/Retoque” は,パナマ運河近くの対面2車線の道路で,消えかけた黄色い中央分離線をフランシスが丁寧に塗りなおしてゆく作業の記録.道路わきの窓辺から奇異な表情でそれを見下ろす女性の視線が印象的.このヴィデオはいま東京都現代美術館で開催中の展覧会で3階のエスカレータを上った正面の壁に映し出されている.
 「ときには何か詩的なことをするとそれが政治的になり,何か政治的なことをするとそれが詩的になる」というサブタイトルがついた “Green Line”.これは,穴をあけたペンキの缶を片手にぶら下げたフランシスが,緑色の線を垂らしながら2日間にわたってイェルサレムの街を歩き回った行動の記録.文化人類学者,歴史学者,芸術家,ジャーナリストなど何人かの人びとの政治的なあるいは詩的なコメントが,ナレーション代わりに添付されている.
 ほとんど廃墟と化したアフガニスタンの首都カブールの路上を少年たちが古い映画フィルムを転がしてゆく “Reel – Unreel” という作品は,わたし自身が戦後の東京の焼け跡で,壊れた自転車の車輪で輪回し遊びをしたり,フィルム工場の廃墟から拾ってきたリールを利用しておもちゃのタンクを作ったりした経験があるので,思わず感情移入しそうになった.

 東京での展覧会(第1部は6月9日に終了,第2部は現在開催中,9月6日まで)のために来日したフランシス・アリスは,「終わらない物語」と題されたインタビューのなかで,自作について次のように語っている:
 「パフォーマンスにおける私自身の基本姿勢はほとんど変わっていません.常に何かを物語ること.できれば,とても短い物語で具体的な場所や時間をきちんと扱っていて,非常に現実的でありながら,解釈の可能性,もともとの文脈に依存しないアレゴリカルな解釈の余地が残されるような物語を語りたいのです.
 重要なのは,アイディアに継続的な拡張の可能性があるかどうかです.同じアイディアを行ったり来たりしながら,最終的に別の方向へと導いてくれるような新しい展開が生まれることが必要なのです.そこには基本計画などありません.複数のエピソードからなる長編物語なのですが,そこには時系列がありません.あらかじめ7つのエピソードを持ちながら3番目のエピソードから始まったスターウォーズのように,時系列が入れ替わった長編物語なのです.」

 ソフトウェア技術者として自分がこれまでにやってきた仕事を振り返ったとき,わたしはフランシスのこの発言に深い共感を覚える.プログラマは,自分が書くアプリケーションの内容に特に関心を抱いているわけではない.プログラミングの課題は,つねに外部から(すなわちユーザから)与えられる.プログラマたちは,そのようにランダムに与えられる題材を利用して,何かの物語の糸を紡いで行くのである.抽象画家としての背景を持つわたしの場合,それは「論理表現の構造とは何か?」についての終わらない物語なのであった.
 いま開催されているフランシス・アリス展第2部のメイン作品は「川に着く前に橋を渡るな」という逆説的なタイトルのついた最近のプロジェクトの記録である.
  http://www.mot-art-museum.jp/alys/
 ジブラルタル海峡を挟むモロッコとスペインの海岸から,それぞれ数十人の少年少女たちが,手に手にビーチサンダルに簡単な帆をつけた手製のヨットを持って海に入って行く.「想像上の水平線でかれらはいつか出会うことができるだろうか」という詩的な問いかけは,開発者とユーザとの悲劇的なすれ違いを繰り返しているソフトウェア・コミュニティに対する痛烈なメタファのように感じられた.