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3人のヨーゼフ(その1)

 海外出張その他の雑用のせいで,このエッセイの執筆間隔が少し空いてしまった.このままだと年内にNo.40 までという自分に課したノルマを達成できそうもないというので,一昨年,友人たちと開いている絵のグループ展に書いた小文の改訂版を3回に分けて載せることにしようと考えた.タイトルは「3人のヨーゼフ」,最初に取り上げるのは,わが師アルバース

 2011年6月の末,デンマークでの国際会議が終わったあとに立ち寄ったコペンハーゲン郊外の現代美術館「ルイジアナ」で,ヨーゼフ・アルバース(Joseph Albers)作品の特別展示が行われていた.
 かれの代表作である「正方形賛歌」の連作ではなく,それに至る過程で作られたさまざまな習作群(?)が並べられていて,わたしにとっては新鮮な驚きだった.海を見下ろすミュージアム・カフェで友人たちとサンドウィッチ&コーヒーの昼食を食べながら,わたしの記憶は半世紀以上前,「正方形賛歌」との最初の出会いにタイムワープしていた.

 東京・京橋,いまフィルム・ライブラリになっている建物に,かつては国立近代美術館があり,永代通りをはさんで向かい側に小さなスパゲッティ食堂があった.ちかごろのアルデンテとは違って,太めのうどんのような食べ物で,カレーソースが美味しかった.高校そして大学時代のわたしは,この美術館をある意味でのアジール(避難場所)として利用していた.その小講堂では何本かの映画を観たが,一番印象に残っているのは,のちにハリウッドへ移住した巨匠フリッツ・ラングが無声時代にドイツで作った「ニーベルンゲンの指輪:第1部ジークフリートの死」だった.山中貞夫の「人情紙風船」も,主演俳優・中村翫右衛門の乾いた演技が,いまだに脳裏に焼き付いている.
 1954年7月に,そこで「グロピウスとバウハウス」と題された特別展が開催された.グロピウス先生自身も来日され,その講演(たしか英語だったと記憶する)も聴きにいったのだが,内容はよくわからなかった.アルバースの「正方形賛歌」(2点ほど展示されていたように思う)を初めて目にしたのはこのときだった.
 色彩の異なる複数の正方形を少し重心を下げて重ね合わせたかたちのその作品が,静かなしかし重い衝撃を心に与えた瞬間の感覚をわたしはまだ覚えている.あの瞬間,わたしはすぐに中国・戦国時代の思想家・公孫竜の「白馬非馬説」を思い浮かべたのだった.「白い馬は馬ではない」というかれの名言は,ふつう,食えない詭弁だと理解されているようだが,実はちがう.

 公孫竜の思想的立ち位置は「名家」,現代哲学の流派区分にしたがえば「唯名論」,すなわちあらゆる普遍的概念の存在を認めないという立場である.したがって,「白」という普遍概念はかれにとって存在しない.認識されるのは,ただ「白い花」,「白い壁」,「白い鳥」といった特定の現象だけである.「白い馬」という表現は,「白」という色彩を認識しようとする人間の意識が,単に「馬」という媒体を借りてあらわされただけに過ぎない.一方,ただ単純に「馬」といった場合には,形としての「馬」を認識しようという意識が表現されている.色の認識と形の認識とは,主体(人間)の意識において明らかに異なるというのが「白馬非馬説」のポイントなのである.
 ちなみに,「白」は古代中国においては喪の色であり.また殷王朝において最も尊ばれた色であった.白川静によれば,殷を打倒した周王朝での宗教儀式において,滅亡した殷の霊魂や神は白馬に乗って登場したことが,詩経に唄われているという.公孫竜が殷人の末裔かどうかはわからない.
 絵画作品を構成する3つの要素は,色と形とマチエールであるが,アルバースが追求したのはもっぱら色彩についてであった.あるインタビューの中でかれは語っている:
 ――これだけはいってもよいと思うのですが,わたしが近代絵画にもたらした重要な貢献は「色彩の相互作用」という概念を導入したことです.
 「正方形賛歌」の連作は,絵画を構成する3要素のなかから,「形」は正方形,そしてマチエールは平坦で滑らかな紙のような媒体だけに限定して,さまざまな「色」同士の間の関係だけを追及したものであった.

 絵描き修行を始めたばかり,というか絵を描くという仕事のもつ意味を考えはじめたばかりの青年期のわたしにとって,「色とは何か」についての最初の啓示を,アルバースの作品が与えてくれたのだと思う.その意味でかれは,わたしにとって最初の「師匠」であった.同じような意味で,「形」については,パウル・クレーのエッセイやバウハウスでの講義録を集めた Das Bildnerische Denken が,のちにわたしの教科書になった.コンピュータ・プログラマとしてのわたしの出発点が「構造化プログラミング」の実践であったのは、多分にクレーの影響だと考えられる.
 画家としてのわたしの仕事は,なぜか,色でも形でもなく,3番目の要素であるマチエールの追求に重点を置いている.その理由は,わたしが,「何かを絵に描く」という具象派ではなく,「ただ絵を描く」という抽象表現派の立ち位置を選んだからであろう.
何か(それが現実の対象であれ,あるいは心的イメージであれ)を絵に描くさいには,色や形はきわめて重要である.その一方で,できあがった作品がどのようなマチエールを持つかはそれほど重要ではなく,副次的な要素でしかない.

 しかし,対象を抽象化するのではなく.また何かを表現する意図も持たずに,ただ絵を描くという立場からすれば,色や形はむしろ邪魔である.もちろん,できあがった作品に表面には,何かの色をまとった形があらわれるが,それらはさしたる意味を持たない.重要なポイントは,そういした色や形がどのようなマチエール(肌触り)を持って立ちあらわれるか,ということなのだ.2次元的なタブローの表面にできる3次元の凹凸が重要な意味を持つ.したがって,「抽象」「表現」派という呼び名は,わたしたちに対する世間一般の誤解をあらわしたものだといえるだろう.
 コペンハーゲン現代美術館のアルバース展では,正方形賛歌に到達するプロセスにおいて,形へのこだわりを捨てようとする努力の痕跡をたしかに感じた.帰国後,東京の近代美術館で観たクレー展「終わらないアトリエ」では,さまざまな技法を用いた形の追求プロセスを感じ取ることができた.両者に共通していたのは,しかし,マチエールに対する意識の希薄さであった.そのことが20世紀美術史にとって何を意味するのか,わたしにはまだわからない.同様に、コンピュータ・ソフトウェアにおける色彩やマチエールとは何だろうかという問いにも,まだ満足のゆく回答は見つかっていない.