AI/ビッグデータの時代、産業界で理数系人材がもっと活躍できるようにしなければならないのではないか——昨年8月から開かれてきた「理数系人材の産業界での活躍に向けた意見交換会」が、3月12日の第5回で終了した。数理系人材の育成と産業界での活用を促進していくことを確認、併せて出席者のプレゼンテーションや意見をまとめた報告書『数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える~(案)』がおおむね了承された。報告書案では、「数学が国富の源泉となる時代」との認識を示している。
※文中(P--)は、報告書案の記載ページ。
http://www.meti.go.jp/shingikai/economy/risukei_jinzai/pdf/005_02_00.pdf
報告書の最終版は3月25日に公表の予定
報告書『数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える~(案)』はA4サイズ38ページ。昨年の8月8日から今年3月12日まで、計5回開いてきた意見交換会で行われたプレゼンテーションや意見をまとめたもの。2006年に始まった文科省の取組みを含め、数理系人材の教育・育成の現状と課題が端的に示されている。
「数理資本主義」について報告書は、「数学が、深層学習の実用化を通じて、第四次産業革命を駆動している」と分析、「数学が国富の源泉となる経済=数理資本主義の時代」との認識を示している。第5回会合での説明を総合すると、「産業界の関心を喚起することを意識した造語」(情報技術利用促進課の中野剛志課長)という。
ここでいう「数学」は、文科省科学技術政策研究所の科学技術動向研究センター報告書『忘れられた科学—数学』(2006年5月)の定義をほぼ踏襲し、「純粋数学、応用数学、統計学、確率論、さらには数学的な表現を必要とする量子論、素粒子物理学、宇宙物理学なども含む広範な概念」としている。
最終会合で出席者全員が「数理資本主義」という表現に賛意を示し、報告書の内容をおおむね了承した、経産・文科両省は、「中・高校の教師に向けたメッセージを盛り込んで欲しい」「理数系人材を育てる教員や環境の整備に言及することも必要」といった追加要望を反映したうえで、3月25日をめどに最終報告書を公表することになりそうだ。
第4次産業革命だからこそ「数学」
報告書案の目次は次のようになっている。
4(4)の「インターンシップ」は、修士・博士人材が2か月以上、企業の研究部門などで現業実務に従事すること、4(5)①の「enPiT(エンピット)」は「Education Network for Practical Information Technology」」、5(1)のPBLは「Project-Based Learning(課題解決型学習)」を指す。
意見交換会が設置されたのは、AI/ビッグデータ/RPA/無人運転といった先進的ITの開発・利活用で、米欧諸国に比べ日本が立ち遅れているという現状認識からスタートしている。IT産業は理数系人材を積極的に採用していないし、大学・研究機関と共同の研究開発に消極的だ。のみならず、IT投資額のウエイトが示すように、産業界全体のIT利活用意識は一向に高まっていない。
そこで報告書は、目次2の「『数理資本主義』の出現」で「AI、ビッグデータ等の活用により、社会のあらゆる場面でデジタル革命が進み、革新的なデジタル製品・サービス等による新たな市場の開拓、 占有が進んでいる」という現状認識を示し、「デジタル新時代の価値の源泉であるデータと新しいアイデアを 駆使して新たな付加価値を創出する「人材」の国際的な争奪戦が繰り広げられている」と指摘している。
最終的に、第四次産業革命を主導し、さらにその先へと進むために欠かすことができない三つの科学として、「第一に数学、第二に数学、そして第三に数学である!(P2)」という。この種の報告書で「!」マークが使われることは滅多にない。第4次産業革命だからこそ数学、というわけだ。
2006年の課題指摘から10年の空白
続いて報告書は、政府施策の基本方針「未来投資戦略2018」(2018年6月15日閣議決定)および、政府が提唱する未来社会のコンセプト「Society5.0」を挙げ、「高い数理能力でAI・データを使いこなす力」「課題設定・解決力や異なるものを組み合わせる力」など、AIでは代替しにくい能力がますます重要になってくるとした。
この問題意識は、2006年5月の「忘れられた科学―数学」(文科省科学技術政策研究所の科学技術動向研究センター報告書)が端緒だった。ところが、産学連携の理数系人材育成策が講じられたのは2016年8月の「理工系人材育成に関する産学官行動計画」だ。報告書はこの”空白の10年”について、「コンピュータ の急速な発達に伴って、工学部の人材の数学の能力が低下したとの指摘がある」という。
それだけではなく、「経済産業省は、従来より産学官連携の研究開発を推進してきたところではあるが、この場合の「学」の分野は伝統的に「工学」が中心であり、もし、指摘のとおり日本の工学部の数学の能力が低下しているというのであるならば、数学は経済産業省の政策から遠ざかったということになる(P13)」と自らの失策にも言及した。
- 大学の理数系学生の全員が高度な技術開発に向いているとは限らない。
- AIやビッグデータの領域に限らず、GAFA(Google、Amazon、facebook、Apple)やBAT(百度:Baidu、阿里巴巴:Alibaba、騰訊:Tencent)といったメガプラットフォーマなどとの格差をいまさら埋めることができるのか。
- 周回遅れの今になって理数系人材の育成を提唱するのはドロナワではないか。
等々の異論・反論が出ることも予想される。
これに対して報告書は、「基本的なプログラミングであれば、職務経験を積むことでスキルがある程度高まるので、高度な数学の知識は必ずしも必要ないのかもしれない」と譲歩する姿勢を見せてもいる。ただAIをブラックボックスのまま使い続けることは危険であり、ディープラーニングが導き出した推定結果が適正かどうかAIを検証することが重要という指摘は説得力があるだろう。
また、「データから帰納的にモデルを推定する深層学習に、演繹的なシミュレーターの 技術を組み合わせた新たな AI の開発は、スモールデータからでも新たな知識や洞察を生 み出す可能性があり、優れたシミュレーター技術やリアルデータに強みを有する日本に とって大きな価値がある(P3)」と、日本のプレゼンスを指摘することも忘れていない。
優秀な理数系人材が医学に進む現実
そこで報告書は、理数系人材の育成を教育機関や研究機関だけに任せるのでなく、産業界で理数系人材が実践的に活躍できる場を設けるとともに、社会人の再教育が欠かせないという。
政府の取組としては、【文科省所管】①数学イノベーションの推進(P21~23)、②大学における数理・データサイエンス教育等の推進、③全ての学生が基礎的素養を身につけられる教育システム(数理・データサイエンス教育の全国展開、様々な分野でデータサイエンスの応用展開を図る専門人材の育成、工学系教育改革における工学基礎教育の強化、インターンシップの推進)(P24~29)、【経産省所管】④IT・データ人材の育成、⑤未踏 IT 人材発掘・育成事業、⑥第四次産業革命スキル習得講座認定制度、⑦基本情報技術者試験の出題の見直し(理数能力の重視)(P30・31)を掲示している。
また、産学官連携の事例として、九州大学における「マス・フォア・インダストリ研究所」(P33)、東京大学大学院数理科学研究科と産業界の連携(P34)、東北大学と産業界の連携(P35)、国立研究開発法人における取組(P36)が紹介されている。
これを読むと理数系人材の育成はそれなりに進展しているように見える。実際、第5回意見交換会では、若山正人委員(九州大学副学長)をはじめとする大学関係者から、こうした施策の成果が出ていることを認める発言もあった。また、2017年の国際数学オリンピック(IMO)ブラジル大会で日本人高校生は金2、銀2、銅2を獲得し、参加国・地域別で6位(参加111国・地域)、国際情報オリンピック(IOI)2017で金3、銀1で国・地域別1位(参加83国・地域)と能力は高い。
ところがその一方、文科省が2006年10月に公表した「理数系コンテスト・セミナー参加者の進路等に関する調査」によると、数学オリンピック予選通過者240人の大学での専攻は、50人(21.3%)が「医学系」と回答、2017年度のトップクラスの進学高4校の卒業生1013人のうち209人(20.6%)が医学部に進学という実態もある。
その理由を尋ねたとき、選択肢が4つに限られているため資料が強調する「収入が高いから」だけかどうかは判断できない。例えば「社会に役立ちたい」「人を幸せにしたい」「充実した人生を送りたい」というような選択肢があれば回答傾向は変わっていたかもしれない。にしても、理学系(数学)・同(物理系)・工学系からIT/AI/ビッグデータの研究開発に進むパスが確立していないのではなかろうか。
20世紀視点では人材の国際流動は対応できない
さらに「理数系人材の産業界における活躍」に焦点を絞れば、産業界のニーズと数学を専攻する学生の意識ギャップ、企業経営者の理解度、理数系修士・博士課程にある人材のインターンシップを実施するに当たっては、その就労にかかる契約や報酬、守秘義務や知的財産権の整合性などが、現実的な課題として残されている。
この意見交換会に関与したのは経産省が商務情報政策局の情報技術利用促進課、産業技術環境局の大学連携推進室、文科省が高等教育局の専門教育課、研究振興局基礎研究振興課(数学イノベーションユニット)だ。事実上、今回の意見交換会を主導した情報技術利用促進課にとって、委員から出た「本編の緻密な論旨と比べると、”まとめ”(P37)が短すぎないか」は的を射た指摘だったたのではないか。
付け加えるなら、「数理資本主義」を受容するかどうかにかかわらず、人材流通のグローバル化の課題も避けては通れない。国内の大学関係者や施策担当者の満足感は、国際的に見たら井の中の蛙になりやすい。
第5回会合では、出席した委員全員が「数値資本主義」という造語を、「心に響いた」「インパクトがあるいい言葉」と好意的ないし前向きに評した。その場だけ見れば大成功だが、しかしそれは、委員の認識が20世紀型モデルから抜け出ていない証左であるかもしれない。ただし「報告書」案では現状が把握できるものの、課題の解決に向けた議論はなされていない。ここでなにがしか論じるのは、勇み足となる可能性を含んでいる。
産業界のIT利活用を推進する、ないし、ITの利活用で国内産業の国際競争力を高めていくのが同課の施策目標なのだから、正式な報告書のあと、情報処理技術者試験の見直し程度の小手先ではなく、産業界のニーズと在学理数系人材のインターンシップ・マッチングの仕組みや研究開発や理数系人材の雇用にかかる税制の創設、AI/データサイエンスなど第4次産業革命にかかる技術者の待遇改善、システム構築にかかる契約モデルの見直しなどにつながる施策に期待したい。
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