IT記者会Report

IT/ICTのこと、アレヤコレヤ

宗像 剛氏(八光建設代表取締役社長)被災地域からの視点で

八光建設(福島県郡山市)は平成20年度「東北を元気にするIT経営実践企業」に選ばれた。3月11日の震災で郡山市内も激震に襲われたが、太平洋沿岸の被害はまさに言葉を失うものだった。宗像氏は「ITのことは副社長に任せ、自分は支援に全力を尽くす」と、震災の翌日から建設資材とガソリンの確保に奔走、被災した建設物の補修・補強、被災地のボランティア、新しい地域づくり構想の提唱など多忙な毎日を送っている。そのさなか、貴重な時間を割いてもらった。 

見た目では分からない被害

――たいへんなときにお時間を作っていただいてありがとうございます。
宗像 いや、メディアで情報を発信するたいせつさは認識していますから。今日お話しできることは、このエリアの震災の状況と、当然その中に原発の問題も入りますけど、それと現在までのボクらがやってきたことや取組み、三つ目は今後の展望ということになると思うんですけど、そういうことでいいですか?
 ――もちろんそれで結構です。ただ建設という観点だけじゃなくて、ITのこともお話しいただけると助かります。早速ですが、郡山市内の被害はどうだったんでしょうか。ここに来るまで、あまり被災した建物はなかったみたいですが。
宗像 たしかに、駅前の商店街とか中心部は大きな被害がないみたいに見えますよね ですが全壊したり天井が崩落した建物がたくさんあるんです。1階が空洞で、柱だけで支えられていた建物は1階がぺしゃんこになりました。アンカーボルトが吹っ飛んじゃったり、見た目では大丈夫なんだけど、詳しく調べると構造的にムリとか。そういうのが市内のあちこちに分散しているんで、ちょっと見ただけだとどこに被害があったの? という感じがするんですね。
 ――八光建設の取引先は?
宗像 幸い当社が48年にわたってお付き合いいただいている取引先やお客さまには大きな被害はありませんでした。あと市内の公共的な建物でいうと、商工会議所が全壊扱いで現在解体に入っています。それから市役所。執務エリアに大きな被災はなかったんですが、6階の展望室が崩落しました。耐震設計の補強をする計画だったそうですが、残念ながら今回の震災に間に合わなかった。
 ――こういうとき本部の役割を果たす市役所が被災すると、対応に支障が出ますね。
宗像 現在は落ち着いていますが、3月14日、15日は市役所が部門ごとに近くの分庁舎に引越しをしまして、いちばん必要なとき十分な機能を発揮しなかったのは否めないと思います。それと、そのあともずっと市役所の機能が分散しているんで、一部かもしれませんがどこに行ったらいいのか、混乱が起きているのかな、と思います。
 ――ITが専門の記者も一緒なのでうかがうのですが、郡山市内のデータセンターは無事でしたか?
宗像 コンピュータが倒れたとか動かなくなったというようなことは全く聞いていませんね。問題なく動いてますよ当社(うち)もかかわっているIT会社がありますが、そこは建屋の一部が崩れた程度でした。その会社はより安全・安心な構造にするように、新しい耐震基準に合わせる計画が動き出しているようです。電力と通信回線が遮断されてしまったのと、水道が止まってしまったしので、社員の方々がご自分たちの生活を立て直すのにたいへんだったんじゃないでしょうか。
 ――交通機関はどうですか。
宗像 JRはずっと動いていませんでしたけど、JRさんの懸命の作業で震災1か月後に何とか再開に漕ぎ付けました。当社も市役所やJRの建物、構造物とかかわりがあるんで、地震の翌日からサポートに入りました。新幹線も動き始めましたしね。
 ――3月11日から以後、とりあえず当日のことをお話しいただけますか。
宗像 11日は東京にいました。ビックサイトで建設資材の展示会があったんです。情報を収集したら、これは何が何でも大急ぎで帰らないといかん、と。
 ――東京にいた社員の方は全部で何人?
宗像 私を含めて8人でした。3台の車に分乗して、私は11日の午後6時に東京を出て翌日の5時……、だから11時間ですか、ジープは展示を撤収したあと16時間、トラックは24時間かかって郡山にたどり着いたんですよ。仙台から応援で来ていた社員はそのまま郡山にとどまらざるを得なかった。
 ――東北道は使えなかったから、一般道でしょう? それもデコボコだったでしょうし、路肩が崩れているかもしれない。停電していたから真っ暗だったでしょう?
宗像 宇都宮あたりから真っ暗でした。信号もない。福島県が近づくにつれて国道4号線が大荒れで大渋滞でしてね。土地勘がありますから那須の山道を迂回したんですけど、雪が降ってきまして。
 ――そうでした。被災地は連日、零下の寒さで雪でしたもんね。
宗像 構造体はしっかりしてるんです。橋とかですね。それに取り付く道路が下がっちゃってるわけですよ。段差がかなりあるし、クラックも入ってるし。頼りは自分の車のライトだけ。あとで同じルートを昼間に走ったとき、こんなひどい道を走り抜けたんだ、と怖くなった(笑)。ただあのときは必死でしたからね。幸い当社の社員は全員無事でしたし、建物の被害だけでしたから、翌日から取引先やお客さんの安否確認をして……。
 ――12日は土曜日でしたよね。
宗像 朝7時半には全員が顔をそろえてました。いま私たちの力を求めている人がいる。できることをやろう、と。これまで口を酸っぱくして言ってきたことが、たった一日の出来事がいちばんの教育になった(笑)。
 ――いや、それは日ごろの心がけがあったからですよ。
宗像 まず緊急度の高いところから行け、ということで。病院とか行政機関とか駅とか商工会議所。次に連絡をいただいたお客さま。当社は個人住宅もやっているし、オヤジ(先代)は特老(特別擁護老人ホーム)をやっているので、サポートする件数が多いんです。とにかく回れるだけ回れ、と。15日ぐらいまでそんな感じでした。
 ――安否確認と被災状況の把握?
宗像 だけじゃなくて、補強とか補修とか、できること、できないことを切り分けて。そのためにはどういう資材が要るかをリストアップして、16日から資材集めに入ったんですけど、正規ルートでは品物が入ってこない。
 ――鉄道もダメ、道路もダメ。物流センターも情報システムも動かない。物流全体がダウンしてましたから。
宗像 だからといって何もしないわけにはいかないじゃないですか。それでまず社員を行列に並ばせてガソリンを確保して、トラック4台を出して、新潟や静岡の知り合いのところに行って資材を分けてもらった。
 ――知り合いというのは同業者ですか?
宗像 こういうときに同業者から資材を調達すると、その会社が困ることになるじゃないですか。知り合いのDIYショップとかに行って、全部現金で仕入れて。そのために現金をかき集めて。12日から15日のうちに並行してそういう手配をやって、地震から1週間後には復旧作業に入ってました。
 ――情報システムはどうでしたか?
ITは専務に任せた

宗像 情報システムっていうのは郡山市全体のレベル? それとも当社のようなユーザーのレベル?
 ――ユーザーの立場で。
宗像 そういうことで言いますと、当社は平成20年度東北IT経営実践企業オピニオンリーダーという賞をいただいて。顧客情報の整備と利活用ということだったんですが、地震で肝心のデータがいかれてしまって。突然停電になったんでストレージがクラッシュしちゃったんですね。それでいま、もう一度入れ直したりシステムを再立上げしているところですが、そっちは専務に任せてます。
 ――専務がIT担当?
宗像 私は建設、専務はもともと土木の専門家で、東京で勤めていたとき、本四橋とかベイブリッジとか、コンピュータで構造計算やシミュレーションをやってましたから。役割分担というか。私はせいぜいメールチェックをして、上がってくるデータを読むくらい。
 ――でもIT化するかしないかは宗像さんの判断だったわけでしょう?
宗像 もちろんそうです。会社の経営に必須だと判断しましたけど、でも私は実はあまりITを信用していないんです。というよりITオンリーじゃない、と言ったほうが正しいでしょう。賞をいただいたとき取材を受けたんですけど、受賞した会社の経営者の中で私がいちばんアナログ的じゃなかったかな。というのは、データをどう読み取るか、それをもとにどう行動するかは、結局は人間だと思うんですよね。専務にITを任せているといっても、全体のスケッチは私がして、私はIT以外のことに集中している。そんなかっこうですかね。
 ――いまのお話は非常によく分かります。これまでの取材で共通しているのは、ITの適用というのは際限がなくて、歯止めをかけないとIT化してはいけない部分までIT化してしまう、ということです。システム屋さんに丸投げで頼むと、大多にしてそうなり勝ちなんですね。そのとき歯止めになるのは経営者じゃないですか。ここはITで行く、でもここはアナログのままにする、と決める人がいないといけない。
宗像 私もそう思います。アナログを残さなきゃいけません。取引きのきっかけはインターネットかもしれないけれど、そのあとはフェース・トゥー・フェースです。私どもの仕事というのは、どんな建物でも結局は個別対応なんです。お客様のお話を聞いて、じゃこういう設計でどうですか、と。
 そうしないと人がITに使われて、従業員がシステムのオペレータになって、仕事の中心がキー・エントリーになってしまう。ITは副社長、私はもっぱらアナログ担当の泥臭い仕事です(笑)。ITが役に立たない、と言っているんじゃないんです。でもこういう緊急事態で、ITは被災した人たちにダイレクトに手を差し伸べることはできないし、建設資材を調達できるわけじゃない。地震から1か月半、システムの復旧は副社長に任せ、ネットやテレビ、新聞の情報を整理するのは専務に任せて、私はひたすら現場と向かい合っているわけじゃないですか。これからITが活躍する局面が出てくるでしょう。
 ――例えばどんな?
宗像 被災地にボランティアで入りますとね、避難所に困っている人が大勢いる。当社は仙台に営業所があるから様子を見に行かなきゃならないし、石巻の旧北上市に知り合いがいるんで、土日を使って4回か5回、食料品とか水とかを持って現地に入ってるんです。電気はきてないわ、水道は出ないわ、電話は通じないわ、そういう状況です。すぐ隣まで物資が届いていて、それはとてもあり難いことなんだけど、大量に滞留していて現場に届いていない。何が足りないか、何を急ぐのか、もっと現場に聞いてほしいですよね。これを解決するのはITですよ。
 ――ニーズとシーズのマッチング。それは今後の復興活動にもいえることですね。
宗像 地震津波で大きな被害が出て、ボランティアの若い人がどんどん入ってきたんですね。ところがどこに行ったらいいのか分からない。それを解決するためにITをもっと活用して、現場では人と人のインタフェースで臨機応変に対応していく必要があるんじゃないでしょうか。
 ――ボランティア活動を支援するNPOがボランティア・ネットワークを作ったりWebサイトを立ち上げてますよね。そういうことを国はあまりやっていないように見えます。辻本さん(辻本清美災害ボランティア担当首相補佐官)が何かやっているのかもしれないけれど、見えてこない。
宗像 支援金をどうするとか、国債か復興税で手当てするとか、大きな金額の話が飛び交っていますけれど、我われはそれが決まるのを待っているわけにはいかないじゃないですか。現場には雪が降ってるし灯油はない、食べ物もない、毛布もない。それに原発から避難してきた人、原発で作業している人も加わってくるわけです。トップダウンじゃなくて、われわれは現場サイドで、小さなことからできることをやっていこうと。震災の初期対応はまさにアナログでした。これからの復興にはITとアナログ。
 ――津波に襲われた市町村はデータそのものが失われてしまった可能性がありますよね。そうなると被災現場でもっとも有効なのはアナログ対応じゃないかと思います。紙の台帳とか回覧板とか。
宗像 いや、これからは現場でもITが重要になってきますよ。ただ運用が0か1の杓子定規ではダメで、例えばこんなことがあるんです。被災地にボランティアの人たちが入るでしょう? 初めての人が多くて慣れてないものだから、自分の食べ物や水は自分で用意するという意味がちゃんと理解できていない。
 ――ニュージーランドの救援隊でしたっけ。成田に到着したとき、救出犬が自分の食料を入れたリュックを背負ってましたよね。日本のNPO阪神・淡路をきっかけに、そういう認識がずいぶん広がった。
宗像 でもね、私はそれでもいいと思うんです。遠いところから自腹を切って、自分の時間を使ってわざわざ救援に駆けつけてくれた。それだけで避難所の人たちにとっては嬉しいし励みになりますから。でね、水を届けるんだけど、いったん中継基地に荷下しするわけです。それを手伝うボランティアの若い人たちも喉が渇くから、水がほしい。でも支援物資は被災にあった人たちに届けなけりゃいけない。それを自分たちがもらうのは憚られる。そういう空気があるんですよ。
モノを与えることばかり強調されて……

 ――構わないじゃないですか。ボランティアの人たちが必要な分だけ、支援物資からもらっちゃいけないという決まりがあるわけじゃないでしょう・
宗像 厳密には私物化になるからやめてほしい、というのがお役所の立場です。それでね、運転手がわざとケースを土の上に落とすんです。ダンボール箱が壊れてペットボトルが散らかるじゃないですか。運転手さんが「あ、ひっくり返しちゃった。仕方ないからみんな拾いなよ」って。それでボランティアの人たちがやっと水を飲める。役所の人たちからすると私物化はいけない、ということになるんだけど、でも現場ではそのとき、その場で柔軟に対応しないと、本当に必要なことが何もできなくなってしまう。
 ――電話をいただいた日(4月23日)でしたか、やっと福島県から仮設住宅4千軒という計画が出ましたね。
宗像 当社もいよいよ自分たちの出番だ、って張り切って準備していたんですけど、応募するのは見送りました。どこに建てるのか分からない。それだけじゃなくて、間取りとか耐熱・耐震性能とか国が決めたスペックそのままを示されると、当社としては見積りを出せないんです。
 ――家を建てるだけじゃ済みませんものね。電気、ガス、水道を新たに引き込むのか、集会場をどうするか。
宗像 それに比べると宮城、岩手のスペックは比較的緩やかなんですよ。そちらには応募しようと考えて、準備にかかっています。
 ――スペックが緩いというのはどういうことですか?
宗像 想像ですが、福島の場合は原発もあるし、とにかく急げ、というんで、時間がなかったんでしょうね。あまり吟味しないまま国のスペックをそのまま出してきたんじゃないかと思うんですね。
――国の仕様っていうのはガイドラインみたいなものでしょう?
宗像 ただのガイドラインじゃないですよ。宮城、岩手の場合、実際はちゃんとしたものですけど、自由度が高い。当社が手持ちの資材を使うこともできるじゃないですか。それとボクらからすると、できれば被災した人でも元気な方に仕事を出して、少しでもお金を落としたいという気持ちが強い。でも国のスペックだと、どうしても工場で作られたプレハブかコンテナハウスになるでしょ? スピードという観点ではしょうがないかもしれないので、それもアリだとは思うけれど、一時的かもしれないけど、雇用を創出するという観点も必要じゃないかと。国が使おうとしているお金ができるだけダイレクトに、見舞金とかじゃなくて、ちゃんと働いた対価として被災地に落ちる。そういう仕組みじゃないと。みんなで作っていけることがもっとあるんじゃないかと思うんですよね。そういう可能性をみすみす見逃してしまいたくないんです。
 ――マスメディアの報道を見ていると、被災した人たちにモノを与えることばかりが強調されて、それはそれで重要なんだけど、でもそれだけでいいのか、と思うんですよね。
宗像 先週、県の職員の方とお話したんですけど、みんな分かってるんですよ。というか、行政かかわっている人で、何が必要かを分かっている人は多いんですよ。ところが現場ごとに柔軟に、臨機応変に対応していくフレキシブルな仕組みがないんです。菅さん(菅直人首相)だけが悪いんじゃなくて、こんなに広い、南北500キロに及ぶエリアが襲われた災害って、過去になかった。阪神・淡路のときはエリアが限られていましたよね。
 ――あのときは大阪も京都も無事でしたからね。姫路の工場が自営の港から神戸に救援物資を送ったし、京都新聞神戸新聞の印刷を肩代わりしたし。
宗像 そういうことがありましたけど、今回は津波の被災地が遠いし、分散してる。でね、封印してほしいのは「想定外」っていう言葉なんです。起こっちゃったことは仕方がないとして、だからこそもっとフレキシブルに動けるようにしないとどうしようもないんですよ。誰かに責任をおっつける話じゃない。いま必要なのは、状況を共有して、それぞれができることをできる範囲でやっていくことと、被災した人たちの気持ちが折れないように支えていくこと。そういう意味で、メディアの方々にもうちょっと考えてほしいんですよね。
 ――テレビも新聞も金太郎飴のように同じ報道でしたからね。朝から晩まで壊滅的な被害にあった町の映像でした。
宗像 各局、各紙がバラバラに入って同じ報道をするんじゃなくてね。うちはこういう切り口で行く、別の切り口は他社の情報を使わせてもらう、とかね。
 ――朝9時から2時間はオリジナルの取材映像、午後1時から3時は共同取材の映像とか。うちは子どもに焦点を当てるぞ、うちはお年寄りに、とかね。
宗像 そうそう。それと津波の被災地がクローズアップされて、テレビでしか情報を得ていない人には都市部や山間部には被害が全くなかったような印象がありますよね。さっきお話したように、郡山の市内だってたいへんな被害があるし、死者だって出ているんです。灯油やガソリンがなかったのは郡山も同じですよ。
 
ダメ論に加担するつもりはない

――お金と物資を送ればいい、みたいな。それとどうしても奇跡の生還とか感動秘話みたいな話題になってしまう。
宗像 いま我われが求めているのは、誰が悪いとか、ああすればよかったということじゃないんですよ。そんなことやってる時間があったら、支援活動をしたいんです。こうしているときも、我われの仲間が放射能を浴びながら原発で作業をやっている。
 ――自衛隊の人たちも疲労してますよね。
宗像 メディアの人たちに言いたいのは、いったい何を求めてオレたちの話を聞きたいのか、ということですよ。我われは今後の復興に役に立つと思うからメディアの取材に応じる。けれど、「ダメだダメだ」の話に加担する気はないですよ。どうすればいい方向に行くか、我われが情報を発信しなければ正しく理解してもらえないし、世界とつながっていけないじゃないですか。そのために情報を出すことはやぶさかじゃない。
宗像 もう一つ強調しておきたいのはね、ボランティアでやる支援活動と稼ぐ仕事をちゃんと切り分けないといけない、ということです。支援物資を届けたり瓦礫を片付けたりしていると、本業とごっちゃになって何でも無償奉仕のようになってしまう。それじゃ次につながっていかないじゃないですか。
 ――八光建設がちゃんと成り立たないといけない。
宗像 その通りです。当社がビジネスとして成り立って初めて支援活動ができる。当社","ちは建設会社ですから、建物を作ってお金をいただいて、それを地域に還元していくのが役割です。大袈裟にいうと、それが郡山市に八光建設が存在する意味なんです。「頑張ろう」とか「元気を出そう」とかね、そういう掛け声はもういい、というのが正直なところですよね。家を流された人、家が傾いた人。どっちがたいへんか競っても意味はないでしょう? その人にとっては、たいへんなんです。
 原発にも我われの仲間が入って懸命の作業をしている。当社もプロの仕事をして、それで雇用を維持していく。もうちょっと余裕があれば被災した人を雇用できるんだけど、いまはまず会社として稼ぐ仕事をすることが優先です。自分の給料は自分で稼いでいかないと、みんなが共倒れになってしまう。
 ――そこのところ、社員の皆さんは理解しているんですか?
宗像 当社はもうずっと前からそうですよ。まあ個人によって理解の度合いは違うかもしれませんが(笑)。私は八光建設の社長であると同時に、このレストランの経営者でもあるし、磐梯山のふもとにあるホテルの経営もやっている。それぞれが自立して稼げるようにするには、社員がその気にならないとやっていけない。
 ――ホテル?
宗像 埼玉県の上尾市が保養所として使っていた。それを購入して、ホテルに再生したんです。家を建てて終りじゃなくて、自然環境に調和したライフスタイルまでサポートする。そういう考え方。だから当社の社員が被災した家を直しに行くときね、物理的に建物を直して終りじゃない、と言ってるんです。住んでる人を元気にしてこい、と。建設業ですけど、本質はホスピタリティ。私たちのような地域の小さな建設会社は、ハードじゃなくてソフトで稼ぐんです。だから支援活動に行くときは無給だよ、って言ってます。その代わり、本業ではちゃんと稼ごう。そのお金を地域に落とすんだ、と。
 ――プレハブやコンテナハウスではその効果があまり出ませんね。建築作業代は出るでしょうけど。
宗像 だからね、私は仮設住宅じゃなくて復興住宅を作りたいんですよ。
 ――仮設だと2年で撤去しないといけないですからね。
地域コミュニティを継承する

宗像 税金で建てるにしても、2年で終りじゃなくて、恒久的に使える復興住宅を建てたいんですよ。そのためには地域コミュニティを継承して、地域を再生できる町づくりをしなければなりません。物理的に町を復興してもダメなんです。
 ――国のモデル指定型プロジェクトを見てますと、助成金があるうちはやるんだけれど、期間が過ぎると終わってしまう。実証実験をやってチョン、というケースが多いんですね。官主導のプロジェクトの限界は、民間への移行と継続的な事業が難しいことによっている。これはITに限ったことではないようです。
宗像 そのためにNPO法人のUDCKo、アーバン・デザイン・センター郡山を立ち上げてるんです。神奈川県の横浜市、千葉県の柏市福島県田村市にも同じような組織があるんですが、例えば横浜や柏は都会で予算もあって、スポンサーも付く。郡山だったらどうだろう、と。持続的・自律的に発展が可能なかたちにしたかったので、東大の先生方に参加してもらってはいますけれど、行政機関には積極的に働きかけていません。民(みん)の力でいかないと。
 ――なるほど。どこが実験フィールドなんですか?
宗像 この並木町です。なぜ並木町かっていうと、人口規模が新潟県山古志村とほぼ同じなんですね。中越地震のとき支援に行って、いったんは崩壊しかかった地域コミュニティが継承され、町が再構築されていくプロセスを目の当たりにしたんです。これをね、今回の地震津波の被災地に何とか適用したい。じゃそろそろLABOTTOの中をご案内しましょうか。福島の木材を使ったモデルハウス「しもくの家」をじっくり見て行ってください。