幼稚園児に戻って、まず止まる
「こりゃあ誰かが止めないと、エライことになるぞ」と思ったのは、2001年度から始まった電子政府プロジェクトだ。本稿を読んだら、いい加減にしろッ! と怒鳴りたくなること必定。政治家が止められないなら国民が止めるしかない。
まず止まって
左右を見て
自動車が止まったら大きく手を挙げて
走ったりふざけたりしないで
サッと渡りましょう
ーー幼稚園児やピカピカの小学一年生に教える〈信号のない横断歩道の渡り方〉だ。電子政府システムにかかわる人々に、改めて「まず止まる」ことから教えてあげたい。
きっかけは、筆者が『IT Leaders』(インプレスビジネスメディア)に連載している「特別レポート」の記事原稿を書くために、行政機関が運用しているオンライン申請・届出システムの利用状況を調べたことだった。筆者が仕分け人となった民主党の政策事業仕分け(前ページ参照)とも関連するが、長年の電子自治体に関する取材で得た知見および、昨年10月にスタートした「CIO100人が考える電子政府のあり方研究会」の議論を数字で裏付けてみようと思い立った。
すると、アリャリャ、何じゃコリャ、なのである。開発費5億6,000万円、年間運用費2億8,000万円もかけて利用件数はゼロというシステムがある。1件当りの処理費用が923万円というシステムもある(今年3月末で廃止されたので、「あった」というべきだろう)。
民間企業がこのようなシステムを作ったらもの笑いの種になるだけだ。税金を使っていながら、こんなシステムが許されていいはずはない。政治家は是正しようとしない(自民党の平井卓也議員などは脱レガシーの提言を行っているが、政策として継続的に審議されていない)し、まして官僚たちが自ら撤廃を申し出ることは絶対にない。
所詮、蟷螂の斧、カエルの面に何とか、暖簾に腕押し、糠にクギ、とは思うのだが、筆者はここで「電子政府プロジェクトはいったん全面的に凍結し、個々に精査して廃止、継続を吟味すべし」と提案したい。まさに「まず止まって」「左右を見て」である。
財源難とは盗人たけだけしい
電子政府システムの目的は、国民の利便性を高め、行政の効率化を図ること。突き詰めると、それは「税金を有効に使う」ということだ。行政事務管理にかかわる職員を減らし、国民の財産・生命にかかわる施策や事業を充実させる。そのために人手で行っていた煩雑な行政事務処理をできるだけ簡素化しよう、無駄を省こう、少しでも民間に近づこう、というのがねらいだったはずである。
陥りやすいのは、「小さな政府」論との混同である。「小さな政府」論の主旨は、政府はできるだけ民間に介入せず、民間の自由な振る舞いを許容するために規制を緩和し、政府の事業を民間に委譲もしくは民営化していこうということだ。それによって行政職員を減らし、税負担を軽減するという。
実際、「小さな政府」を目指した小泉政権が電子政府プロジェクトを推し進めたために、電子政府プロジェクトにも〈規制緩和+民営化=改革〉の方程式が背後霊のようにへばり付いてしまった。それならそれを徹底的にやればよかったのだ。ところが土曜・日曜に開庁することもせず、住基カードの機能を自動車運転免許証や健康保険証で代用できるようにもせず、既存の法制度や事務フローをインターネットに置き換えただけだった。
かつ使い物にならないシステムに湯水のごとく税金を流し込んだ。後述するが、電子政府プロジェクトに投入された税金は、2001年度から現在までに12兆円に達する。「利用が広がらないから、なお一層の普及策が必要」と無駄に無駄を重ね、かてて加えて財源が足りないから増税だと言う。盗人たけだけしいとはこのことだ。
財源が足りないなら、事業を縮小し、職員の首を切ればいいではないか。公務員だから首切りはしない、などというのが通用するだろうか。霞が関には優秀な頭脳が集まっているはずだが、お頭は幼稚園児並みで、このような簡単なことが分かっていない。なまじプライドが高いだけに処置に困る。
利用者にも大きな誤解がある
電子政府プロジェクトの中核(ないし表看板)となっているのは、オンライン申請・届出システムである。国民・市民からの申請と届出が行政事務のフロントエンドであることは事実なので、「これがオンライン化されると利便性はおおいに改善される」と政府や市町村は喧伝したし、一般にはそのように信じられている。だが、それこそが大きな誤解なのだ。それがバラ色の電子政府であるかのように錯覚したのは、要するにITを理解していないからにほかならない。
このシステムは基本的に申請や届出を受け付けるだけであって、それをどうするかまではサポートしていない。オンラインで申請・届出書類が受理されたからといって、行政事務のアクション(証明書の交付、許認可、登録、更新など)が動くわけではない。銀行のATMシステムと、行政機関のオンライン申請・届出システムとは、根本的に機能が(というよりコンセプトが)違うのだ。
銀行のATMは利用者の要求を迅速かつ正確に実行するサービス・システムである。もし間違いがあったりシステムが停止したら、銀行は罵詈罵声を浴び、平謝りに謝り、場合によっては信用が失墜する。ところが行政機関のオンライン申請・届出システムは、これまで人手で行っていた書類の受理をコンピュータ化したまでで、利用者の要求を満足させるかどうかはバックオフィスの能力(要員数+人間力)に依存する。
分かりやすい例をあげると、住民基本台帳データベース・ネットワーク(いわゆる「住基ネット」)で転出届けが行われたとする。現在、多くの場合は当該者が市役所なり町役場に出向く必要がある。そこで転居届け(または転入届け)の書類に必要事項を記入し、署名捺印のうえ窓口に提出する。市町村は転出証明書を当該者に交付する。
シームレスに連携しない理由
通常、当該者に対する行政事務はこれで完了する。このあと庁内各部門が情報を削除もしくは更新する仕事が始まるのだが、電子自治体に本気で取り組んでいる市町村の場合、転出証明書を交付したあと、当該者の基本4情報(氏名、住所、性別、年齢)を住基ネットで転出先(または転出元)の市町村に送信する。
上の図は政府の電子政府評価委員会が作成したものだ。図のようなシステムだと、転入(転出)情報が自動的に住民記録データベースに登録(抹消・更新)され、それがトリガーとなって原課―教育課、福祉課、税務課、選挙管理委員会など―に情報が配信され、あるいは水道、電力、ガスの使用開始(終了)手続きが行われる。それなら、なるほど電子自治体といえるだろう。ところが実際は、そのようになっていない。転出(転入)情報を受け取った市町村では、職員が窓口ごとにその情報を再入力することになる。
つまり各種証明書の交付やデータベースの登録・更新・抹消は、住基ネットと切り離された個別システムで処理されるのだ。結局、オンライン申請・届出システムは旧来の紙+判子ベースで行っていた窓口での書類受理業務をコンピュータに移し変えたに過ぎない。
とはいえ、住基ネットが市町村の個別システムとシームレスに連携するのは、リスクを増大させるだけである。それは鉄道の相互乗り入れが進んだ結果、他社線のトラブルがとんでもないところに影響するのとよく似ている。また個々のシステムは保有者がそれぞれ独立した組織であって、いかに国といえども地方分権の建前を無視することができない。
逆にいうと、それが分かっていながら(またはリスクヘッジと地方分権の課題を解決しないまま)、なぜシステム開発に手をつけたのかだ。それこそが問題の本質なのである。
住基ネットのコストはいくらか
そのために、システム構築に365億円、運用に年間190億円もの巨費が本当に必要だったのか、としばしば批判される。ためしにネットで検索してみるといい。個人情報が流出する危険性が高まる、行政による個人の管理は自由の束縛につながる、基本4情報に様々な属性情報を付け加えれば、病歴や職業、収入・財産、借金の有無、趣味や出自まで丸裸になってしまう等々、やや過剰な反応もあれば妥当な指摘もある。
ただし、個人情報の流出や目的外使用に懸念を示す向きは、街角アンケートでペラペラと個人情報を話してしまう風潮にも警鐘を鳴らすべきだろう。また個人情報とプライバシー情報をもっと明確にして論じたほうがいい。国が国民を管理するのは、当然ではないか。
実は筆者は、「行政の電子化を推進するために、国民総背番号は必要不可欠」とする論を理解する。コンピュータ・システムの常識から見て、情報システムが扱うすべてのアイテムをコード化するのは当然の帰結だからである。
多くの議論は365億円、190億円を俎上にあげている。ところが、実際はもっとお金がかかっているのである。都道府県、市町村が住基ネットに参加(接続)するためのシステム開発費と運用費が除外されているのだ。
個々の都道府県、市町村の予算を検証したわけではないが、千葉県のある市では、住基ネット接続システムの構築に2億3,740万円、年間運用費に6,000万円を計上している。これが全国で行われているのだから、ざっくり1000倍として接続システムに2,500億円、毎年の運用費に600億円を加算して、その是非が論じられなければならない。