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東日本大震災被災地4年目の夏〜汐風と砂塵の中で〜(2)

 赤前仮設住宅を訪ねたのは、岩手県立大学の学生たちが開発した「無人販売システム」が設置されているためだ。学生たちがソフトウェア・シンポジウム2014秋田の「ソフトウェアと社会」ワーキンググループに参加したのが縁で、今回のツアーに組み込むことになった。

すべての操作がバーコードで

 岩手県立大学が開発した無人販売システムは、すべての操作がバーコードで行えるのが特徴だ。プリペイドカードのバーコードにリーダーを当て、商品のバーコードを読み取る。そのあとパソコンの画面に表示される「買う」「やめる」のバーコードを読み取るだけで買い物が終わる。
 システムの実演と説明に当ったのは、ソフトウェア情報学部コミュニケーション学講座(村山研究室)所属の齋藤信人クンと寺澤拓也クン2人。2人は同大学助教の西岡大氏(今回は所用があり不在)とともに、今年6月、秋田市で開かれたソフトウェア・シンポジウム2014に参加し、視察団のメンバーと知り合った。
 システムに採用した技術や開発プロセスに、何かしら新規性があるわけではない。そのためシンポジウムでの論文の評価は高くなかったが、社会実装の成果という観点で注目した人は少なくない。ただ本番の発表は、プレゼンテーション力を発揮する以前に時間がなさ過ぎた。
 説明によると、そもそもは「自分たちのニーズで開発した」という。地図で見ると、大学がある岩手郡滝沢村は森林公園や牧場が広がる自然豊かなところで、なるほど若い人ならずとも、店がないのは不便に違いない。車があればにまとめて買いにいけるとして、カップ麺や調味料、ティッシュペーパーなど、「あっ」というちょっとしたとき、わざわざ車を出すのは面倒くさい。現金のやり取りをしないで済む無人コンビニの仕掛けを作ろう、というのがきっかけだった。
 プレゼンテーション資料は、インターネットを「岩手県立大学」+「赤前仮設住宅」で検索してダウンロードしたものだが、それによると、キャンパス内の店が閉まったあと、研究室で夜遅くまで作業しているとき、夜食やオヤツがほしい、ということだったらしい。学内バージョンはスタンドアロンだったが、仮設住宅のシステムと大学をインターネットで結んで、商品の在庫管理を行えるように改良した。
 震災に際して「何か自分たちにできることはないだろうか」と考えていたとき、仮設住宅で買い物に不自由している、という情報が入った。三陸地方は急峻な山稜がいきなり海に落ち込む地形のため、平坦な土地が限られている。このため仮設住宅は高台の運動場や学校の校庭、公園、建屋が撤去された工場跡地、農耕放棄地などに建設された。
 緊急避難策なのでやむを得ないとはいえ、そのような場所は人が生活することを前提としていない。ガス・水道、風呂・トイレは必然の住環境ですが、通勤・通学、通院、買い物などは自助努力で解決しなければならない部分が少なくない。そうなると、乳幼児を抱える母親や高齢者などは“買い物難民”になってしまう。
ポイントは日常の世話

 システムは研究室で安定して動いている。プリペイドカード方式なので、小銭も要らない。バーコードを読み取るだけなので、パソコンを知らない人でも操作できる。これを仮設住宅に設置して実証実験をさせてもらえないか、という問いかけに、宮古市が反応した。
 赤前仮設住宅は、前述したように、赤前小学校の校庭に建っている。建屋は居住用が13棟と集会所が1棟。無人販売システムが日の目を見たのは、集会所が設置されていたこととに拠っている。仮設住宅について規定した災害救助法では、集会所が設置できるのは50戸以上の場合とされている。「できる」だから、設置してもいいし、しなくてもいい。最長2年を上限とする緊急避難の住居という位置づけなので、住民のコミュニティ形成は視野に入っていない。
 東日本大震災でもこの規定が適用され、かつ平坦な土地が少なかったので居住棟を優先した。このため、多くの仮設住宅で集会所が建てられず、様ざまな摩擦を生む原因の一つになった。赤前仮設住宅の場合は、法律が定める50戸以上という要件に合致したことと、赤前小学校の校庭が集会所を設置するのに充分な広さがあったということだろう。
 もう一つの要因は、仮設住宅自治会長の佐々木一平太氏の理解があったこと。同氏は赤前地区の民生委員を務めていて、自らも津波で家屋を流されたが、発災当日から一貫して他の被災者をサポートしてきた。市から救援貢献者として表彰されている。
 佐々木氏の話を聞こう。
 「皆さん、ご覧のように、ここの周りにはな〜んにもないでしょう、店が。冬の灯油は業者さんがタンク車で来てくれるし、まとまった買い物はバスがありますけど、ここは年寄が多いもんで、ちょっと買い物、っていうのがなかなか。でもこれだとバーコードを読ませるだけですからね。誰でも使える便利なもんですよ」
 「商品の管理ね。最初のうちは学生さんたちが商品を運んできて棚に並べてくれたんだけど、それだと学生さんたち、たいへんですしね。それで商品は宅配で送ってもらって、棚に並べたりプリペイドカードを渡したりは、わたしがちょこちょこやってます。ところがね、年寄はカードを使わんのです。カードなら1割得なんですけど、現金のほうが安心できるんでしょうなぁ。それでわたしがいっつもおらんといかん」
 「いっつもおらんといかん」と言いながら嫌がっていないように見えるのは、それが自分の役割という以上に、岩手県立大学の学生ボランティア諸君との間に強い信頼関係ができていて、やり取りを楽しみにしているからに違いない。

届かない住民の要望
 Q&Aでは笑い声が飛び交うこともあったが、話が仮設住宅での暮らしや復興住宅の見通しに移ると、一気に沈鬱な空気が漂った。壁が薄いので隣の物音が筒抜けになる。農村集落のコミュニティが継続されているとはいえ、プライバシーは重要だし、生活雑音はトラブルの原因になりやすい。
 断熱材がしっかり入っていないので夏は暑く冬は寒い。夏のエアコン、冬のストーブにかかる費用が各自持ちなのはやむを得ないが、震災の前はこんなにエアコン、ストーブは使わなかった。おまけに床下から湿気が上がってくる。
 「床なんか、もう、ベゴベゴですよ」
 佐々木氏がいう。
法律上では、上限2年を前提としている災害救助法の規定を2年延長して対応しているが、4年目に入って材料が限界に達しつつあるのだ。
 「でもね、素朴な疑問なんですけど、そういう家を建てた人って、発注した市の職員も地元の方ですよね? こういう気候だってこと、知ってるんでしょう?」
 視察団の鈴木郁子氏が問いかけた。法律で仮設住宅のスペックが決まっている。そのことは同氏も承知しているが、言いたいのは「融通を利かせてくれたっていいじゃないか」ということだ。
 「市の職員といってもね、他の自治体からの応援できた人が多いですからね」
 東日本大震災が発生した1か月後の2011年4月、IT記者会と日本不動産ジャーナリスト会議の有志が実施した現地踏査で、福島県郡山市の建設会社で聞いた話が蘇る。県内の材木と県内の建設業者を動員すれば、地域の特性に合せた仮設住宅ができる。県や市にそういう提案をしたけれど、聞き入れてくれなかった。東京ですべてが決まり、地元は下請けとして使われるだけ。それが現実だ。
 復興住宅はどうか。
 「市も一生懸命にやっとるんでしょうけど、仮設2千世帯に対してやっと数十軒です。しかも山の上で足の便が悪い。それこそ病院にも買い物にも行けない。平らな土地がないし、山を切って造成しなくちゃならない、所有者と話をつけなきゃならない。それは分かるんですが、そんなところに誰が住みますか」
 「皆さんも市に要望を出しているんですよね?」
 「そりゃもちろん」
 「でもダメなんですか?」
 「市は説明会を開くんです。でも、一方的に説明して終わりです。住民の要望は聞き置く、という感じ」
 「それも大手ゼネコンが元請け、地元は下請けの構図なんでしょうか」
 「さぁ、それはどうですか。そこまでは分かりませんが。どっちにしても仮設住宅が全部なくなるのにあと何年かかるか。5年はかかるんでしょうなぁ」
 5年……! 仮設住宅はすでに耐用の限度を越えている。被災した人たちの生活はどこまで追い詰められるのか。それは赤前だけの話ではない。
 「皆さん、辛抱強いから、怒るっていうことをせんのですね。大阪のオバちゃんを100人ぐらい送り込んだらええんですよ」
 鈴木氏の冗談めかした言葉に、やっと笑い声が出た。