今年度をもって、経産省・情報処理振興課(情振課)の歴史に幕が降ろされる。IT利活用やIT人材育成は「情報技術活用促進課」、情報サービス産業の所管は「情報産業課」(いずれも新設・仮称)に引き継がれる。1960年代末から70年代初にかけて、電子政策課長として「脱・工業化社会」を提唱し、「情報処理振興事業協会等に関する法律」(現・情報処理の促進に関する法律)の成立に奔走した平松守彦氏(元大分県知事)が8月21日に物故、ほぼ同時に情振課の消滅が決まったのは運命的だ。
経済産業省 情報関連部署の改訂予定図
ねらいは“第4次産業革命”
再編される情報処理振興課(情振課)は、1960年代末から70年代初にかけて当時の通産省・電子政策課長として「脱・工業化社会」を提唱した平松守彦氏(元大分県知事)が初代課長を務めた。平松氏は米IBMに対抗できる国産コンピュータメーカーを育成するため、富士通・日立、日本電気・東芝、三菱電機・沖電気工業という3グループへの再編を主導したことで知られる、情報処理振興の立役者とされる人物。この8月21日に死去した。ほぼ同時に情振課の消滅が決まったのは運命的だ。
情振課が所管する主業務のうち、ソフトウェア産業は情報産業課に、IT利活用とIT人材育成は情報技術利用促進課に、それぞれ引き継がれる(情報政策課、情報経済課などと共同と言うケースもあり得る)。当面の施策に変更はないと見られるものの、ソフトウェア産業を中心にして展開してきたIT人材育成やソフトウェア/システムの品質・安心・安全、IT受発注における契約のあり方などは、IT利活用に軸足を移すはずだ。業界団体の所管も改定されるが、それを機に団体そのものの改組改称や統廃合が連鎖する可能性も捨てきれない。
今回の経産省の機構改革は今年6月の組織令改定に伴う製造産業局の組織再編(3課新設)に次ぐもの。8月に大臣官房総務課が内示した機構改革関連資料によると、
①商務情報政策局(以下、情政局)にある情報処理振興課と情報通信機器課を再編して「情報技術利用促進課」「情報産業課」(いずれも仮称)を新設。
②「サービス政策課」と「ヘルスケア産業課」を情政局から分離し、「商務サービスグループ」を新設。商務サービス審議官を置く。
③商務流通保安グループの流通政策課と商取引・消費経済政策課を統合して「消費・流通政策課」とし、新設の「商務サービスグループ」に編入。
④商務流通保安グループを「産業保安グループ」に改称し、技術総括・保安審議官を置く。
の4点が骨子。遅くとも来年度予算が執行される来年6月末までに実施されると見られる。
情政局には今年6月に「サイバーセキュリティ課」が新設(情報セキュリティ政策室から昇格)されており、これにより情政局は10課から8課、新設「商務サービスグループ」は3課、商務流通保安グループは4課から2課の体制に、それぞれ移行する。商務流通保安グループが石油化学プラントの保安管理にIoT(Internet of Things)、ビッグデータ(BD)、AIを援用するプロジェクトを立ち上げたほか、情政局が中心となってIoT推進コンソーシアム(経産省・総務省共管)を発足させるなど、部局・現課の垣根が低くなっている。
「脱・工業化」から始まった時代の終焉
情振課は46年前の1970年7月1日に発足した。同年5月の通常国会で成立、同時に公布・施行された「情報処理振興事業協会等に関する法律」(1986年4月1日「情報処理の促進に関する法律」に改称)を受けたものだった。実を言えば、同法の成立に奔走した前出の故・平松守彦氏(電子政策課長)は、「情報処理基本法」「情報処理振興法」「電子計算機抵当法」の3法案を準備し、国会審議を通りやすいという理由で「情報処理振興法」案を「情報処理振興事業協会等に関する法律」案と改称して提出したらしい。
これによってコンピュータ・プログラムが法律で定義され、情報処理振興計画、情報処理サービス業・ソフトウェア業の登録制度、プログラム調査簿、情報処理技術者試験の4本が情報施策の柱になった。この年には6月3日にソフトウェア産業振興協会(ソフト協)、同月22日に日本情報センター協会(センター協)が設立され、業界の基本的な枠組みが整った(ソフト協とセンター協は現・情報サービス産業協会の前身)。
ところが法律で「情報処理振興事業協会等」と謳っていながら、当の情報処理振興事業協会(IPA:現・情報処理推進機構)はやっと準備室が設けられたばかり、課長は未定という“見切り発車”の状態だった。そこで平松守彦氏が1週間だけ課長を兼務し、7月10日付で赴任した杉山和男氏(のち通産省事務次官、新日本製鉄副社長を経てジェトロ・国際貿易投資研究所理事長)にバトンタッチした。
情振課のスタート直後はIPAの基金集めが仕事だったが、「ソフトといえばソフト帽、ソフトクリーム、ソフト洗剤というのが一般的な時代に、ソフトウェアというものを理解してもらうのは一苦労だった」(平松守彦氏談)という。それでもIPAの信用保証制度や情報処理技術者試験など、振興策が形を成していったのは「脱・工業化社会」という将来展望を共有していたからだった。
「脱・工業化社会」は米国の社会学者ダニエル・ベル(Daniel Bell:1919〜2011)が提唱した、21世紀は知識集約型・非物質的労働の高付加価値産業が社会・経済の基幹を担うとする考え方だった。「情報化元年」のキャッチフレーズ(この言葉を考えたのは当時課長補佐だった宮野素行氏)を皮切りに、その後の施策に通底するのは「脱・工業化社会」の概念だ。
すなわちシンクタンク構想、ソフトウェアモジュール技術研究、協同システム開発、ソフトウェア生産工業化システム(Σシステム)、システム・インテグレーション企業登録制度、SLCP(ソフトウェア・ライフサイクル・プロセス)、ITスキル標準などである。今回、「第4次産業革命」を見据えた質的転換で、その幕を降ろすことになる。
この機を捉え、業界団体は政策提言を
情振課の改組改称は、これまでにも何度かのチャンスがあった。「情報処理振興事業協会等に関する法律」が「情報処理の促進に関する法律」に改称された1986年4月ないしΣシステムが終了した1990年が1回目。2回目は1990年代の後半、メインフレーム時代が終焉を迎え、パソコンとインターネットの普及で「情報化」の意味合いが変わってきたときである。オープンシステムの普及も手伝ってITサービス産業の売上高が10兆円を超えたので、もはや「振興」ではなかろう、というわけだ。2001年の1月の中央省庁再編が、最大のチャンスだった。3度目は情報処理振興事業協会が「情報処理推進機構」に改組改称された2004年。
というのも21世紀に入ってからの10数年間、情振課が目標を失っていた感は否めないからだ。受託系ITサービス業の多重取引構造にメスを入れることもなく、直近5年ほどはソフトウェアの品質・安心・安全性の確保や情報セキュリティ対策といった社会・産業的要求が顕在化し、一昨年を境にIoT、BD、AIがもたらす「第4次産業革命」の概念が浮上している。今回の改組改称は、こうした外部環境の変化にギリギリ間に合ったといっていい。
実際、やるべきことは山積している。「第4次産業革命」を基本コンセプトとする情報技術利用促進課は情報の扱いや各種規制にも足を踏み込む必要があるだろう。「情報産業課」としても受託系ITサービス業の問題解消といったレベルではなく、世界的競争力を有するIT産業に向けた将来展望を描き、施策を立案・実施する必要がある。重すぎる役割だが、進行形である第4次産業革命は待ってはくれない。
情振課がスタートした1970年は、すべてがゼロからのスタートだった。現在は歴史を踏まえた制度や法律、団体、企業などが複雑に絡み合い、一朝一夕に解決しない問題が少なくない。であればこそ、今回の再編を好機として、JISAをはじめとするIT関連団体は積極的な政策提言を行ってほしい。