IT記者会Report

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東日本大震災5回目の秋(10月26〜28日) 放射能汚染地帯を行く⑧

さぞかしご先祖さまが悲しむだろう

幼稚園と小学校の目の前、かつては豊かな実りを約束していた田んぼに放射能汚染土を詰めたフレコンパックの山ができていた

 「東日本大震災5回目の秋〜6国と放射能汚染地帯を行く〜」レポートの第8回目は飯舘村。フクイチ事故の発生後131日目から現在まで、全村約6000人の避難生活が続いている。案内役は農業研修施設「いいたてふぁーむ」(飯舘村野手神)を拠点に放射線量測定を続けている伊藤延由氏だ。同氏のレクチャーは南相馬市でモニタリング活動に従事する満田正氏の話と併せて別稿にまとめるとして、今号では飯舘村の2015年10月27日現在をレポートする。


全村避難の日帰り生活

 前回の繰り返しになるが、飯舘村に入ったのは10月27日10時半ごろ。途中、村の入り口から約1㎞の草野小学校から見下ろす平坦地に、黒い袋が山積みになっている景色が見えた。ここも間違いなく、3.11の前は田んぼだったところだ。
 小学校の目と鼻の先に放射能汚染物が堆積するというのは、どういう精神構造なのかと言いたくなるところだが、地域の小中校生が高放射線量の国道6号線沿線を清掃することを是とする人たちがいるのだから、ムベなるかな、だ。見れば、その向こうの斜面は墓地になっている。さぞかしご先祖さまが悲しんでいるだろう。
 1時間の遅延にもかかわらず、伊藤延由氏は約束した飯舘村役場前の駐車場で我われを待っていてくれた(まことに恐縮でした)。挨拶も早々に村役場1階ロビーの地図を使って、今日1日の見学コースの説明をうかがった。
 村役場の玄関前に放射線量モニタリングポストが設置されていて、「0.41μSv」と表示されていた。単純計算では年間3.59㎜Sv、補正値は2.15㎜Svと、避難指示解除準備区域や居住制限区に指定されるほど高くはない。
筆者の意外そうな表情を読み取ったのか、伊藤氏は「つい先ごろ、ブロックを敷き直したんですよ」という。南相馬市で話を聞いた満田氏も、「公設のモニタリングポストの周辺、特に役場の前は念入りに、繰り返し除染しているので低い数値が表示されている」と言っていた。
 その脇に「夢大らかに」と題した〈山美しく水清らかな…みどりの林に小鳥は歌いうらら春陽にさわらび萌える…〉の石碑が建っている。1956年に大舘村と飯曾村が合併し、いわゆる「戦後開拓」で開かれた歴史を踏まえた飯舘村の村歌だ。
 「そのすべてが3.11で失われてしまいました」
 と伊藤氏が言う。

除染後の客土のために山を崩す

 コンビニ店でめいめいが昼食を購入して村役場に戻ったのは11時半。そこから伊藤氏がパジェロ・ミニで先導してくれたのだが、勝手知ったるわが庭のうえに軽の四輪駆動とあって、いや早い早い。
 走ること5分で伊藤氏がハザードを点灯したしたのは、字名「伊丹沢」の土砂採取場だった。切り崩した崖の上に、おそらくベルトコンベアだろう3本の「蛇口」から、絶え間なく土砂が流れ落ちている。その下でブルドーザーとパワーショベルが忙しなく動き、土砂を積載したダンプカーが入れ替わり立ち代りに出入りしていた。
 「ここには小さな山があったんです」
 と伊藤氏。
 かつては3つの山とおぼしいうちの1つが、見事に掘り崩されている。カメラを望遠にすると、その奥に動いていたダンプカーのさらに奥に、除染土を詰め込んだ黒い袋が何段か積まれていた。
 「田畑や人家の庭の表面を5㎝剥ぎとります。放射性物質は地表から5㎝以上染み込むことは少ないという理由からで、たしかに除染すると放射線量は格段に低くなります。で、剥ぎ取ったあとに入れる客土をここで採取しているんです」
 山を崩し、その土を畑や田んぼの表面に敷き詰めるのは、放射性物質を除去するためとはいえ、自然環境を破壊し農業を禁止することにほぼ等しい。環境省が率先して環境を破壊している、ともいえるが、逆にいえば、ぞれほどまでに放射性物質は危険、というになる。

https://www.youtube.com/watch?v=oBTBhdMbT8Y

長泥通行止めゲートの脇は5.01μSv

 次に視察したのは、同村字「長泥」の県道399号線通行止めゲートだった。飯舘村浪江町に接する山間部が期間困難地域に指定されている。通行止めゲートの向こうは放射線量が年間50㎜Sv以上の危険地帯ということになる。
 ゲートの脇は、バスの方向転換場だったのか、アスファルトのちょっとした広場があって、そこが駐車スペースになっている。監視所があって、中には警備員が1人。伊藤氏の説明を聞くツアー一行を撮影するふりをして観察すると、我われの車のナンバーをメモしたり、どこかに電話をかけているのが見えた。伊藤氏のパジェロ飯舘村でよく知られているらしいし、ツアーの車両はレンタカーなので、役に立つ情報はない。警備員はそれが仕事なのだ。
 放射線量はどうか。
 ゲート脇の草むらの空間線量を計ると、計測器のアラームがピーッと連続音をあげ、数値がどんどん上昇していく。6国通過中に記録した4.70を超えて5.01に達した。24時間・365日だと年間43.89㎜Sv、屋外8時間・屋内16時間で年間26.33㎜Svに相当する。1か月前に除染していても、放射線量は依然として高い。

焼却による減容化施設も建設

 3か所目は字「蕨平」の減容化施設工事現場。除染作業で出た材木や草を燃やして灰にする焼却場を建設している。ただし操業は5年間と決まっている、という。
 山を崩した斜面にトラックの搬送路ができており、見上げた高台にクレーンが何本もそびえていた。コンクリートミキサーが列をなして巨材な建造物に向かっていく。
 伊藤氏と視察ツアーの車が工事現場に入ることができたのは、現場に墓地があるためだった。「お墓参り」の人を規制できないということらしい。
 「説明では安全だというんですが、それならなぜこんな山の中に造るのでしょうか」
 伊藤氏が語りかける。
 「煙に含まれる放射性物質はフィルターで完全に除去する、というのです。しかし放射性物質が飛散しない保証はないですし、灰にすれば容積は小さくなりますが、放射能は凝縮されます。しかも5年後にはこの施設そのものが放射能汚染物になってしまいます」
 放射能汚染物の最終廃棄場が決まったとしても、汚染物の容積は小さくする必要はあるだろう。その処理場計画を他の自治体に持ち込んでも受容してはもらえない。減容化施設から濃縮された放射性物質が飛散しないとも限らない。その現実を押し付ける一方で、「だからどうするんだ」の答えを、なぜ被災地に求めるのか。