IT記者会Report

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ソフトウェアとコトバ(5)

 『共時態・通時態・歴史』の第3章でエウジェニオ・コセリウは,言語の変化について次のように述べている:
言語はなぜ変化するのか(あるいは,なぜ不変でないのか)と問うのは,言語がなぜそのように変化するものであるのか(変化がなぜ言語の本性に属するのか)と問うことに等しく,認識された変化がどのような原因によって引き起こされたかについての質問ではない.この問いは,決して解決すべき問題などではなく,現実の言語のあり方を理解することによって,暗黙のうちに解決済みの問題なのである.

 20世紀スペインの碩学ホセ・オルテガ=イ=ガセットが生前最後の講義『個人と社会』(邦訳は白水社)で指摘したように,ひとは最初から人間として生まれてくるわけではない.たまたま人間の家に生れ落ち,人間の家庭そして人間の社会で育つことによって人間になるのである.そのプロセスにおいて言語が重要な役割を演じる.ひとが人間になるというは,周囲の人びととのコミュニケーションの道具としての言語を習得することに他ならない.その意味で,われわれにとっての言語は,まず「社会的な言語」として立ちあらわれる.ここで言語とは,コトバのみならず,表情や身振りなどの記号的表現を含めた広義の言語を指す.
 こうした言語習得プロセスのゆえに,われわれは言語を外部から課せられた制約条件として考えがちなのだが,それは大きな誤解である.言語は,誰かの手であらかじめ構築された制度として課せられたものではなく,言語活動を行うためのモデルあるいは道具としてわれわれの手に与えられているのであり,われわれがそれを用いて何かを話したり書いたりするという活動を通じて変化し形成されて行くのである.

 われわれは,何かを考えたり表現しようとしたりするとき,すでに与えられた言語ではうまく自分の感情や考えをあらわせないという場合に,ときどき遭遇する.既成の言語に対して感じるそうした違和感は,オルテガ=イ=ガセットによれば,われわれが自分自身を周囲の人びととは違った存在ではないかという疑問を抱くことにほかならない.その瞬間こそが,実は,言語を変化させる契機である.われわれは,辞書で与えられた単語の意味を捨てて新しい意味を生み出したり,これまでにない表現のレトリックを考え出したりする.このようにして,人間は言語という道具を使いこなし,それを継続的に変化(あるいは進化)させて行くのである.
 富永仲基が『出定後語』のなかで提示した「三物五類」のテーゼ」:「およそ言に類あり,世あり,人ある」は,こうした言語変化の実態を的確に暗示していたのであった.同じひとつの単語が,時代によって,人によって,またそれが用いられる文脈やレトリックによって大きく変化する.
 たとえば,ソフトウェア技術のこれまで半世紀ほどの歴史を振り返ってみよう.1960年代後半から70年代初めにかけて,まだコンピュータ・サイエンスが支配していた時代に提唱された構造化プログラミングの技法では,「プロセス」という単語は,ハードウェアの内部における「プログラム実行プロセス」を指していた.「構造化」という表現の意味合いもまた,それぞれの技法の提唱者(ダイクストラ,ジャクソン,ワーニエ,岸田)によって微妙に異なっていた.

 NATO ワークショップの討論でソフトウェア危機を克服するためのソフトウェア工学の必要性が叫ばれて以降,1970年代に相次いで提唱されたさまざまなシステム開発技法では,「プロセス」という単語は,ハードウェアの外側での人間とソフトウェアとの絡み合いから生じる「ソフトウェア開発プロセス」を指すことになった.ここでもまた,それぞれの技法(SA/SD, OO, etc)ごとに,プロセスという単語が含むニュアンスは異なっている.
 ソフトウェア工学の研究がある程度成熟した1990年代以降になると,あちこちで開発された技法やツールをどうやって産業界に普及させるかという「技術移転プロセス」が話題の中心になった.代表的な例を挙げれば,ツール統合化のベースとしてのプロセス・プログラミングや,組織マネジメントの改善による技術移転を目指したCMMやSPICE などのSPI 活動がそれにあたる.
 そして,マイクロ・エレクトロニクスの進歩やインターネットの発展によって、社会のあらゆる分野にIT技術が浸透した現在,そうしたソフトウェア搭載機器やネットワークをベースとする複雑なシステムの「進化プロセス」をどう扱ったらよいのか,が緊急のテーマとしてわれわれに迫ってきている.