いま上海に来ている.今宵は元宵節.大気汚染の警告など無視して、あちこちの街角で花火が打ち上げられている.
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革命家としては一流,しかし政治家としては見事に落第生だった毛沢東には,もうひとつ文学者としての顔があった.そして,その分野では,「詞」すなわち唐宋時代に遊女たちが唄った俗謡のパターン(詩詞と呼ばれ,全部で数百種類ある)を利用した作品を得意にしていた,毛沢東が書いた数多くの詞の中でも有名なもののひとつに,「沁園春」と呼ばれる詞牌を用いた『雪』という作品がある.
1936年2月,北支での日本軍との戦闘に勝利したときに書かれたものだという.そのころ東京では2・26事件が起きており,わたし自身はといえば,まだ母の胎内に宿ったばかりだった.
その詞の第1連:
北国風光 千里冰封 万里雪飄
望 長城内外 惟余莽莽
大河上下 頓失滔滔
山舞銀蛇 原馳蝋象
欲与天公試比高
須晴日 看 紅装素裹 分外妖嬈
山にも野原にも吹雪が舞い,河は凍りつき,見渡す限り雪と氷に覆われた風景を見るのは,湖南省生まれの毛沢東にとっては初めての経験だったにちがいない.詩人の目は,しかし,やがて春が訪れて緑の草や紅い花々が咲き乱れる状況を予感している.たかだか数行の表現で広大な中国大陸の風土全体を詠みきってしまう力量はたいしたものだと思う.
そして第2連:
江山如此多嬌 引無数英雄競折腰
惜 秦皇漢武 略輸文采
唐宗宋祖 稍遜風騒
一代天驕 成吉思汗 只識彎弓射大雕
倶往矣
数風流人物 還看今朝
この風土の魅力にひざまずき天下に覇を称えた過去の皇帝たちを,文才の不足や風流心の欠如を理由に一刀両断で斬り捨てたあと,「ジンギスカン? ああ,あいつは弓を射るのが上手かっただけさ」と片付けてしまう.わずか数行の短いフレーズであるが,扱っている時間の長さに比較して恐ろしいほどのスピード感を読む者に感じさせる.
「いずれにせよ,かれらはもう逝ってしまった」と数千年の歴史を一言で総括し,「ほんとうの英雄を探すなら現代を見たほうがよい.おれたちがここにいるぜ」という締めくくった最後の行は,戦いに勝ったばかりだという革命家の精神の高ぶりをあらわしているようである.
わたしがこの詞を初めて知ったのは,1986年の夏に北京で行われた会議に招待された折に,天安門広場の革命記念館に飾られた毛沢東自筆の大きな屏風を観たときであった.詞の文言を解釈しようと試みる以前に,それを記したかれ一流の奔放な書体の美しさに,しばらく声も出なかったことをおぼえている.
わたしがプログラミングの仕事についたのは半世紀ほど前のことだが,そのころ,コンピュータは何でもできる不思議な機械だと一般大衆の目には映っていた.したがって,そんな怪物に命令を下して自在に操るプログラマという人種は,やはり何でもできる才能の持ち主だと誤解されていたようだ.わたし自身,何人ものユーザから,かれらが抱えている問題を解くのにコンピュータをどう使えばよいのかを質問される場合が多く,しかたなく,かれらと一緒になってそれぞれの問題解決の方法を考える羽目に陥った.
そうした個々の問題ドメインの分析は,それぞれ何らかの魅力ある特徴を含んでいて,自分の仕事としてのプログラミング技術のことを一瞬忘れさせてしまうこともあった.毛沢東の詞のフレーズを借りれば,まさしく「江山はかくのごとく多矯」であり,そのようなドメインの魔力に惑わされて,プログラマから特定分野のアナリストへと転進していった数多くの友人たちの姿を目にしたのであった.
プログラマという職業の特徴は、純粋数学が自然科学に対する位置と似ている.われわれの仕事はプログラムが扱う対象プドメインとは無関係に,アルゴリスムの構造とその実行プロセスとの関係を追及することなのだが,そうした、いわば純粋プログラミングの立場を貫くことは、予想以上に難しく,多くの人びとは,やはり「多嬌な」ドメインの女王の魅力に膝を屈してしまうのである.