IT記者会とソフトウェア技術者協会(SEA)の有志による「東日本大震災5回目の秋〜6国と放射能汚染地帯を行く〜」ツアーを実施したのは10月26〜28日の3日間。「6国」は再全通から1年経った国道6号線のこと。今回のツアーはいわき市から相馬市まで6国を北上、さらに伊達市、飯舘村、川内村と南下して被災地の現状を視察することを目的とした。《3.11》以来、東京電力・福島第一原発が放出し続けている放射能の汚染と除染作業、復興の状況はどうか。見たまま・聞いたままレポートの第1回目、いざ。
いわき市平豊間 やっと嵩上げ工事
10月26日午前10時半、最初の視察地としたのはいわき市平豊間の諏訪神社前(上地図の赤円部分)である。被災前は夏になると海水浴客で賑わう静かな海辺の町だった。津波は3m高の防波壁を越えたほか、塩浜から諏訪神社前を流れる諏訪川を遡って橋を破壊し、県道15号線に沿って周辺の住居を押し流した。筆者が2011年4月から最低年1回の定点観測を行っている場所なので、ツアー参加者にこれまでの変化の経過を説明することができる。
同交差点の目印はセブンイレブンいわき豊間店だ。発災直後は正面の崩れた家屋に焦点を当てたので、コンビニ店は左端にわずかに写っている。そこで翌年以後は、なるべく同じ角度からコンビニ店をとらえるよう心がけて撮影している。
この地区には発災から1か月半が経っても重機やトラックが入っておらず、津波の痕が生々しかった。1年後、交差点の三角地に塩屋埼灯台とゴジラの模型が置かれていたが、翌年には花畑に変わり、昨年4月にはただの草地になっていた。少なくとも昨年4月の時点では、被災した家屋がいくつか、被災当時の姿のまま残っていた。工事用の重機やダンプカー、資材や人手がより広大な被災地に投入されていて、豊間のような小規模被災地に手が回っていなかった。
嵩上げ工事に着手されたのは今年に入ってから。今回は重機やダンプカーが忙しく動いており、津波被災地の嵩上げ工事が本格化していた。振り向いて交差点から塩屋埼灯台を望むと、住宅の基礎や防波堤などが完全に撤去されていた。