「経済記者シニアの目」2025年4月14日掲載のコラムです
トランプ関税についてはいまさら説明する必要はないと思います。説明しておかなければならないのは「ガバクラ」と「デジタル赤字」です。
そこで、まず「ガバクラ」から。
「ガバクラ」はガバメントクラウド(Government Cloud)を短縮した日本人特有の4シラブルです。2018年から使われるようになりました。同じときに「デジガバ」という4シラブルが誕生したので、話がややこしくなっています。
この年、政府(安倍晋三内閣)は行政のデジタル化(デジタル・ガバメント)を進めるため、地方自治体(都道府県を除く1741の市区町村)のITシステムを標準化(共通化)し、クラウドで利用できるようにする方針を決定しました。ガバクラの本来の意味は「行政機関のクラウド」ですが、記事や見出しでは「行政システムのクラウド化」「行政機関のためのクラウドシステム」の意味でも使われます。
当初の予定では2025年度から移行が本格化するはずでしたが、既存システムから切り替えできない、想定した以上にコストがかかる(平均2〜3割高、10倍というケースも)、推進するIT人材がいない、契約が複雑すぎる等々の理由で大幅に遅れています。デジタル庁が「仕方ないから5年延長」と決めたのは、つい最近でした。
クラウドは少子高齢社会をサポートするはず
市区町村のITシステムといっても様ざまです。また人口規模も違えば地域特性も千差万別。雪国には雪捨て場管理システムがありますし、都市型観光地には貸自転車管理システムがあるように、一定ではありません。そこで政府はすべての市区町村に共通する20業務に限定して、標準化・クラウド化することにしています。
具体的には、住民記録、個人住民税、法人住民税、固定資産税、軽自動車税、国民年金、生活保護、介護保険、障害者福祉、就学、後期高齢者医療、選挙人名簿、健康管理、児童扶養手当、子ども・子育て支援、戸籍、戸籍附票、印鑑登録の20業務が対象です。市区町村の基幹業務といって良いでしょう。
システムをクラウド化するとはどういうことかと言うと、基本的に自前のコンピュータシステムを持たないことを意味します。インターネット(いわゆる「ネット」)につながった何処かにあるコンピュータ(サーバー)に業務処理システム(アプリケーション)があって、やはりネットにつながった何処かのサーバーに記録・蓄積されているデータを使います。
自前でシステムを作らず、運用もしないので経費は格段に下がるはずです。標準化されたシステムなので、データ交換も容易になります。例えば複数の市区町村にまたがる転入・転出届けが1回で済みますし、制度を変えれば隣町の公共施設を利用できるようになるかもしれません。
少子高齢社会ですから人口が減る→社会・経済の支え手が減る→当然、市区町村の職員も減る→しかし行政上の管理とサービスはなくせない。そこを補って、さらに利便性を上げ、ストレスを緩和するITがクラウドというわけです。
ウソかホントか「ガバクラはAWS寄り」の声
霞ヶ関が描く「良いこと尽くめ」には必ず落とし穴かウラがある——というのは職業柄かもしれません。落とし穴は想定以上にコストがかかることで、これはクラウドベンダーの値付けなので、霞ヶ関も意外だったようでした(現在も頭を抱えていると思います)。
ウラの話は紙幅がないので端折りますが、そのガバクラに指定されている事業者はアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)、グーグル(GCP)、マイクロソフト(Azure)、オラクル(Oracle Cloud)、さくらインターネットの5社となっています(カッコ内はサービスの名称)。さくらインターネットを除く4社は米国企業の日本法人です。
市区町村のデータ処理とデータ交換は、基本的に国内に限定されている。それならこれまで通り、国内キャリアの通信回線を使ったオンランシステムでいいじゃないか、という意見がないわけではありません。ですがデジタル庁と総務省がデジガバを決め、ガバクラの認定基準を決め、その基準で審査したら米国勢しか合格しませんでした(さくらインターネットはそのあとで追加されています)。
ITに軸足を置いて取材・報道活動を展開している関係者は、それを聞いて一様にがっかりしました。「日本のITの力はそこまで落ちたのか……」だったのですが、最近になって「デジタル庁はAWS寄り」という言い方が表立って囁かれるようになっています。ガバクラの審査基準がAWS仕様に準拠している、というのです。
これは公共調達でよく使われる手法で、特定の業者やグループと事前に打合せし、調達仕様に特定事業者にしかクリアできない条件を書き加えておくやり方です。実際、霞ヶ関の某省が価格、性能、技術力でなく、「コンピュータの設置面積」で業者を決めた事例があります。
日米関係が友好的で米国が紳士的で信義に篤ければ
「デジタル庁はAWS寄り」の本当のところは分かりません。ただ、気になるのは国民の生命・財産にかかわる機微で重要な情報を、日本法人とはいえ、米国に本社がある巨大IT企業に任せて良いのか、という問題です。それは「日本大好き」の感情論でも日の丸万歳の国粋主義的な考えからではありません。
政府は「米国系といってもデータセンターは日本国内にあるし、ガバクラに限ってネットは米国と分離している」と説明しています。ですがそれは契約(書面)上のこと、日米関係が永久に友好的で、米国政府や米国企業が紳士的で信義に篤く、日本の個人情報保護法を遵守してくれる保証は存外に脆いものです。
なおかつ、奇しくも日本政府がデジガバ/ガバクラを決めた2018年、米国議会は「Clarifying Lawful Overseas Use of Data Act」(海外のデータの合法的使用を明確化する法律)を可決しました。通称「CLOUD Act」と呼ばれます。
「米国内に本社を置くクラウドベンダーが海外にサービスを提供しているとき、現地の法の支配を尊重すること」と定める一方、「米国外に設置・保有するデータセンターに対しても、米国政府は公開を条件付きで命じることができる」「他国の法令や国益に反する要求に異議を申し立てるプロバイダーの権利を認める」といったことが明文化されています。
日米関係が友好的で、米国政府や米国企業が紳士的で信義に篤く、日本の個人情報保護法を遵守するなら問題は起こりませんが、さてトランプ2.0はどうでしょう。何かのディールで「CLOUD Act」が発動されたら、国民の戸籍から不動産、収入、病歴・薬歴などすべてが米国に握られることになりはしないでしょうか。
上目遣いの揉み手ですり寄るか対抗策か
財務省/日本銀行が2月に公表した「国際収支統計」によると、デジタル赤字は10年前の3倍の6兆6,500億円、そのうちクラウドを含む情報サービスは前年比倍増の2兆5,000億円となっています。インバウンドの経済効果を軽く蹴飛ばし、向こう数年のうちにデジタル赤字は10兆円と予測されています。
国を挙げたクラウド推しの成果がコレだとすると、見方によっては政府が赤字を増やし、ばかりでなく、国民の生命・財産にかかる情報リスクを広げ、日本のITを潰しにかかっている——という声が聞こえてきます。
貿易赤字を輸出額で割った割合、それを2で割ったと言われる無茶苦茶な「トランプ関税」。報復関税か減免交渉か、モノを言うのは産業基盤と人口規模です。知的財産を除くと資源がない、おまけに食糧も自給自足できず下手をすると主食の米もおぼつかない。そんな日本は、お願いするしか手立てがないようです。
だからといって、上目遣いの揉み手ですり寄るのでは能がありません。政府の公用車をアメ車にする、自動車の車検制度を見直す、カルローズ(カリフォルニア米)の輸入量を増やす等々の一方、日本が入超になっている品目別に対抗措置を講じる(ことも辞さない)、こっちだって自国ファーストだぜ、と腹を固めるのも政治の力です。
国産クラウド勢ではかつてのメインフレーマ(NEC、富士通、日立製作所)、通信系はNTTグループのほか、ソフトバンク、KDDI、独立系はインターネットイニシアティブ(IIJ)、さくらインターネットなどが頑張っています。ここはひとつ、5年先のデジガバ移行期限までにガバクラは米国系クラウドから国産クラウドに、併せて舵を再び国産IT振興に向ける。そういうタイミングが近いかもしれません。
(佃均)