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東日本大震災・6度目の秋〜津波被災地は一定の目処〜(1)

東日本大震災・6度目の秋〜津波被災地は一定の目処〜(1)
嵩上げと防潮堤の先に何があるか いわき市豊間・薄磯を行く 2016年10月16日23:10 登録者 つくだひとし
10月12日から14日まで、IT記者会は東日本大震災被災地視察ツアーを実施した。初日の午前中と2日目に訪れた津波被災地は、嵩上げと防潮堤の工事が進んでいた。見たまま・聞いたままをレポートする。
IT記者会として被災地を視察するのは今回が4回目。いわき市を起点にレンタカーで国道6号線を北上、女川町で折り返し、飯舘村を経て福島市を終点とする2泊3日、総走行距離は約600?だった。これでIT記者会としては、岩手県宮古市からいわき市まで、海岸線を走破したことになる。


2012年5月のいわき市豊間 コンビニの前にはゴジラ灯台のミニチュアが建っていた
高台造成地に緑地公園と宅地

 初日の午前中に訪れたいわき市の豊間から四倉にかけての太平洋沿いは、大震災直後の津波で被災した。中でも豊間はゴジラのミニチュアが建っていたことで知られる。しかしずっと津波で破壊された建物のコンクリート基礎を露呈したままだった。被災規模が小さいせいで置き去りにされたのではあるまいか、と疑ったこともあった。ところが2014年に土木工事が本格的に始まると、もとより限られた狭さだったので、行くたびに景色が変わっていた。
 今年の5月まで、豊間では諏訪神社前交差点近くにあるコンビニ(セブンイレブンいわき豊間仮店舗)に駐車していたが、今回、そのコンビニ店の位置が50mほど手前に移動していた。店の人に聞くと、「8月に移ってきたんですよ」という。その周囲は嵩上げの工事が進んでおり、かつて海水浴場として賑わった豊間浜にかけて(コンビニ店から見た北側)の高台には、緑地公園と宅地が造成される計画だ。諏訪神社前交差点の橋は架け替えられ、かつて直進していた県道15号線はここで右折して薄磯、塩屋埼灯台へ向かうことになる。
 塩屋埼灯台を挟んで豊間の北に位置する薄磯は、2014年に4階建ての豊間中学校鉄筋校舎が取り壊され、併せて津波に流された住宅のコンクリート基礎が撤去された。昨年の視察ツアーで訪れたときは、防潮堤と嵩上げの工事が本格化しており、海岸沿いにあった堤防と道路がなくなっていた。
 今回のツアーは昨年に続く2回目なので、前回のように戸惑うことはなかろう、と思っていた。ところがいきなり目の前に防潮堤の鉄筋工事現場が現れ、ばかりか道路が二股に分かれている。被災地の復興工事現場では、以前の記憶もカーナビも役に立たない。分かってはいるのだが……。

放射能測定値は激減

 昨年の放射能測定値は、豊間コンビニ店前の草むらが1時間あたり0.24マイクロシーベルト(μSv)=年換算2.1μSv、薄磯の駐車場が0.92μSv=年8.1μSvだった。福島第一原発の南、風上に位置していてもかなりの放射能が飛散していたわけだった。なるほど2011年3月13日から17日にかけて、フクイチ周辺には北北西の風が吹いていたとされるが、24時間を通じて北北西だったわけではない。
 今回は、豊間コンビニ店前が0.08μSv=年0.7μSv(薄磯は通過したため計測せず)と格段に低い数値が出た。帯同した測定器(RADCOUNTER DC-100)は測定値がやや低めに出る傾向にある(かどうか確定した話でなく、あくまで「仮に」だが)としても、同じ装置で測った結果なので、1年間で3分の1以下に下がったことになる。首都圏よりやや高いものの、年間被曝の許容量(1μSv)の範囲内に収まっている。
 測定値が1年間で激減したのは、フクイチから放出されている放射性物質ヨウ素131、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90など)の半減期が要因という。ヨウ素は約8日、セシウム131は約2年、セシウム137は約30年、ストロンチウム90は約29年。「爆発的事象」から5年半、ヨウ素セシウム131の激減が測定値を下げたことになる。