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経産省のモデルになったダイセル網干工場のシステムとは

 IoT/ビッグデータ/AI適用施策として経済産業省が打ち出した「産業保守のスマート化」構想。そのモデルとなったのは(株)ダイセル網干工場(兵庫県姫路市)だ。コンピュータ・メーカーやソフト会社などの手を借りず、プラント管理システムを従業員自らが開発、3000人の従業員で運営していたプラントの運営が、10分の1の290人で済むようになったという。当時の工場長・小河義美氏(現取締役常務執行役員)に聞いた話を改めてまとめてみた。

ダイセル網干工場の全景

■ 孤立無援で始まったシステム変革 ■

 ダイセルの旧社名は「大日本セルロイド」。富士写真フイルム(現・富士フイルム)の母体でもある。2015年3月期の売上高は4437億円、従業員数1万人強の総合化学メーカーだ。同社は1997年から5年がかりで次世代生産システムの構築に着手、その先陣を切ったのが、同社の主力事業所である網干工場(83万?、主要な生産物は酢酸セルロース/タバコのフィルターとなるアセテート・トウ/硫黄化合物など)だった。
 単純にシステムを更新したのではない。化学プラントを工程別に制御するプロセスカット型DCS(Distributed Control System)の概念にとらわれず、製造物の流れに沿ったプロダクトカット型CIM(Computer Integrated Manufacturing)に転換したのだ。
 それは生産管理システムの常識から大きく外れるコンセプトだったが、同社にとっては「当然の帰結」だった。生産工程に沿った管理システムは、視認性が高い組み立て工業を前提とした考え方に立っている。対して温度や圧力、合成といったプロセスを管理するには、全く別の発想が必要となる。センサーで得られるデータをもとに、工程ごとの最適状態、他工程との整合を確保していく。
 小河氏は同業他社に化学プラント向け生産管理システムの共同開発を持ちかけたが、あっけなく断られてしまった。次にIT専門会社7社に打診したところ、そのうち6社がRFP(Request for Proposal)の段階で「自信がない」と辞退を申し出た。受託型のシステム構築/ソフトウェア開発会社は言うまでもない。
 「ITベンダーはシステム・インテグレーションだ、ITソリューションだ、ITでイノベーションだと声高にいう。であればこのような案件にこそチャレンジすべきだが、受託系IT/ソフト会社は言われたことしかしないし、自分たちが経験したことがあるか、うまくいったシステムにしか手を出さない」(小河氏)
 同社は孤立無援の状態に陥ってしまった。
 小河氏は腹を決めた。
 自分たちで作るしかないではないか。

■ 仕事をいちばん知っているのは自分たち ■

 同社が目指した生産管理システム「知的生産システム」は、管理の座標をそれまでの生産プロセスから、製品単位からに変更した。そのためには製品の特性に応じたプラント制御の知識とノウハウ、化学合成が行われるプロセスに応じた詳細な情報が欠かせない。膨大なデータをリアルライムで表示し、適切かつ正確に判断できる仕掛けにすることが必須となる。併せて従業員全員が情報を共有し、異常な兆候が検出されたとき、過去の対応策を即時に知ることができる仕組みになっていなければならない。
 最大の目標は、団塊世代の一斉退職を控え、その経験知を会社の知識財として蓄積・継承することだった。ベテラン社員がごっそり抜けたとき、どうすれば事故を未然に防げるか。それは化学工場としての社会的な責務でもある。そのために全員が情報を共有できるナレッジベースを構築したのだ。
 第2は生産の現場を受発注の中核に位置づけることだった。受注から生産までのタイムラグを圧縮し、競争力を強化するねらいだった。それを実現するには、組織や仕事の進め方を変えていかなければならない。小河氏は呉工場長を経て、業務革新室長と生産技術室生産革新センター所長を兼ねるようになったときから、一貫してそれを訴えてきた。
 網干工場長に就任したとき表明したのは、「コア業務を熟知しているのは、自分たちだ」ということだった。同業他社との共同開発構想が挫折し、プラント・エンジニアリング会社からもIT専門会社からも拒否されてから、「自分たちで作るほかない」という結論にいたるまで、そう長い時間はかからなかった。
 工場には工学系のエンジニアが大勢いる。自社のエンジニアで要求仕様を固め、プログラムを作ればいい。業務の合間を縫って機械系、化学系のエンジニアがプログラミング技術を学習していったのだが、「それこそもの狂い集団」(小河氏)のありさまだった。

■ チームはベテラン2人と若手2人で ■

 まずは現場の日常業務はどうなっているのか、それぞれの行動をカードに書き出していった。並行してベテラン2人と若手2人でチームを編成し、若手がベテランから聞き出したことをカードに書き込んだ。そうすることでベテランの知識やノウハウが若手に伝わっていく。だけでなく、違う部署の者同士が言葉を交わすことで、コミュニケーションが密になる。
 その2種類のカードを組み合わせ、業務フローと生産プロセスの関係を示す大きな紙の上に置いていった。最終的にその大きさはタタミ6畳分以上になった。関係者全員が同時に見て情報を共有することを優先した。そうする中で、用語の使い方や意味に、違いがあることが分かってきた。用語が不統一だったのだ。化学プラントで就業者の間で言葉が通じないようでは、万一のとき大きな事故につながるし、緊急時の対応が後手に回る。
 また業務遂行に必要なアクションと経験知を記した2種類のカードを整理することで、重複する作業、省略できる業務も見えてきた。定常時と非定常時の作業要素として抽出されたのは実に840万件もあったが、整理していくと8系統41アクションに収斂した。また業務フローと生産プロセスの関係図が、平面から立体に変わった。それを小河氏をリーダーとするIT専門チームがシステム概要図に落とし込んだ。ITの専門技術者が作成する仕様書は、どうしてもIT偏重になる。しかし網干工場の現場で実務に就いている人たちが、実経験をもとに作成した仕様書なので、実態(AS is)と将来像(To be)が現場オペレーターの感覚に合致しているのだ。
 
網干工場中央コントロールセンターのメインコントロール室。宇宙戦艦ヤマトの司令室をイメージして設計したという。

ヒヤリハットを再現し体験できる ■

 システム要件をまとめ、仕様書を作っていく。データベースの構築とインストールだけは産業制御系システムを得意とする横河情報システムに委託したが、プログラミングからテストまで、システム作りの全工程を工場勤務のエンジニアが担当した。自分たちですべて作っているので、保守・改造も阿吽の呼吸でできる。
 プロセス管理を自動化したことによって、同工場の就業者はピーク時の3000人が290人と10分の1以下に縮小した。290人というのは、中央コントロールセンターに詰めて1班20名構成/4班3交代制でプラントを監視する要員数だ。これによりプラント・オペレーションのアラーム発生件数は9割減、総原価は20%削減、生産性(1人当たり付加価値)は3倍に向上した。またプラントの各工程にセンサーを配置し、データ駆動型のオペレーションを実現したことが、化学プラントにおけるIoT、ビッグデータの先駆けとなった。
 同工場のシステムは、現在、プラント業界で「ダイセル方式」と呼ばれている。経済産業省の説明資料「IoT、ビッグデータ等を活用した産業保安のスマート化」によると、「ダイセル方式の導入には、各事業所におえるノウハウ抽出のために長い時間(1事業所で4〜5年、事業所全体で10年)がかかることから。他社への展開は中途段階」とある。とはいえ、10社20事業所が採用しているという。
 経産省の説明資料が触れていないことがある。ダイセル方式のキモは、実は網干工場の一画にある教育訓練センターだ。ここで工場従業員ばかりでなく、事務系の新入社員や管理職も「ダイセル方式」のコンセプトを学ぶとともに基本技術を実習する。
 なかでも重要なのは、過去に発生したプラントのヒヤリハット(ヒヤリとしたこと、ハッとしたこと:インシデント)が再現され、運転停止や再開の操作を体験できるようになっていることだ。中心はあくまでも人、ITですべてが解決するわけではない。