6号線の帰宅困難地区(広野町〜浪江町)
6国北上行では時間の関係で広野町役場をキャンセルし、Jビレッジと楢葉町役場に立ち寄った。そのあとは車の流れに従って富岡、大熊、双葉、浪江の4町を通過することになる。広野町から浪江町までがフクイチ事故の放射能汚染で大混乱に陥った双葉郡6町だが、規制が解除された広野町や楢葉町は、6国沿いの景色に異変は確認できなかった。
Jビレッジはフクイチ対応拠点
道路についてはどうだったかというと、発災直後、常磐自動車道は四倉インターチェンジ、6国は広野町北端から北方向、双葉町の南端から南方向の区間が通行止めだった。この規制が徐々に解除され、2014年9月15日から6国は全面開通となっている。
Jビレッジは東京電力も出資して造られたサッカートレーニング施設だが、発災直後に閉鎖され、フクイチ事故対応と除染作業の拠点となってきた。周辺の駐車場はガランとした空間(夜間には作業用の車両が並ぶのかもしれない)、構内の空き地にはプレハブの作業員の宿所が立ち並んでいた。
フレコンパックが行く
楢葉町に入ったあたりから、荷台に黒い大きな袋を積んだダンプカーが目につくようになった。この時点で筆者は「土木作業用の大きな土嚢」と類推していたのだが、それは大きな間違いだった。あとで知ったところでは、黒い袋はフレコンパック(フレキシブルコンテナバッグ)と呼ばれ、その中には放射能に汚染された土地の表土が詰められているという。除染作業で出た放射能汚染土を「仮の仮置き場」に運んでいたわけだ。
報道されているところでは、福島県内に蓄積されている放射能汚染土を詰めたフレコンパックは約14万袋という。耐用年数は3〜5年とされるが、土の中から伸びた植物の枝や根が袋を突き破ったり、最高5段に積み上げられた最下段が破裂したりしているという(ただし「最下段の表側は汚染していない砂が詰まっている」と聞いた)。
放射能汚染土が集積するとなれば、放射線量が気になる。フレコンパックは道路の脇やちょっとした広場に置かれていて、特段の規制もない。誰でも近寄れるのはいかがなものか、とは思ったが、今回のツアーの主旨からするとモッケの幸い。
楢葉町役場前に置かれていたフレコンパックの上は0.21〜0.84μSv/h、伊達市の国道382号線沿いの山あいに並んでいたフレコンパックの上は1.72μSv/hだった。自然放射線量0.04μSv/hを差し引いて計算すると、フクイチ由来の追加線量は楢葉町役場前が年間7.0mSv、国道382号線山あいが14.7?Svとなる。
警察官や除染作業員は大丈夫か
下の路線図は昨年9月12日に原子力災害現地対策本部が発表した「国道6号等の通過(帰還困難区域の特別通過交通制度の運用変更)について」添付の通行止め解除路線図を、筆者保有の道路地図(国際地学協会編)に同縮尺で重ねたもの。赤い線で囲まれた帰還困難区域の青い部分、約14kmが自動車に限って許可された。
これによって6国は完全に再開通したわけだが、許可されたのは通過することで、停車は禁じられている。交差する道路や駐車場の入出口、人家の玄関アプローチなどは金属の柵で封鎖され、信号はすべて黄色の点滅。かつ自転車やオートバイなど素肌を晒す可能性がある乗り物は許されていない。
帰還困難地区は年間の被曝線量50?Sv超、毎時5.71μSv以上とされている。富岡町の中ほどから、閉鎖したまま荒れ果てた店舗や人家が目立つようになってきた。シャッターが半分壊れた個人商店、ファミリーレストラン、ガソリンスタンド、弁当販売店……。だけでなく、除染作業が進められている人家がある。あれ、6国遠藤は除染が終了しているはずではなかったか?
放射線量計測器のブザーが鳴りっぱなしになったのは、大熊町に入ったあたりではなかったか。後ろの座席で岸田孝一氏がその数値を読み上げ始めた(新谷勝利氏がハンドル、筆者はカメラ、松原友夫氏が道路左側、鈴木郁子氏が道路右側を観察)。
「2.9、3.0、3.1、3.2……」
0.1ポイント刻みに読み上げるのだが、数値の上昇に追いつかない。なるほど帰還困難地区だけのことはある。
「あ、4になるな」
言っている間に計測器の表示は4.0を超え、数分後、4.7で頭打ちとなった。
4.7μSv×24時間×365日=41,172μSv=41.172?Sv。
自動車の中には外気が流れ込んできている。住宅より遮断率は低いだろうから6割として外は70?Sv以上ということになる。封鎖ゲートに立ち続ける警察官、除染に従事する作業員たちの健康は大丈夫なのだろうか。