着々と防潮堤の工事(いわき市四倉)
「東日本大震災5回目の秋〜6国と放射能汚染地帯を行く〜」ツアー見たまま・聞いたままレポートの第3回目は、いきなり今回のメイン企画に突入する。昨年9月15日に全線が開通した国道6号線を、車中で放射線量を測りながら北上しようという計画。「復興作業を加速し地域経済の回復に資する」が目的とはいえ、福島第一原発(フクイチ)から放出され続ける放射能は高線量のまま。交差する道路や駐車場の出入り口が完全に閉鎖され、警察官がゲートを固め、作業員が除染に勤しんでいた。彼らの健康は大丈夫なのか。
かつての海は戻らない
初日(10月26日)の昼食は2年半前、2013年の5月、いわき市在住の知り合いとテーブルを囲んだ「道の駅よつくら港」で、と決めていた。というのは前に来たとき、四倉港の防波堤工事が始まっていた。どこまで工事が進んだのか、確認してみたかった。それと、3.11のあと、一階の支柱に貼り付けられた地元児童のメッセージパネルを、ツアーの参加者に見てもらいたかった。
「道の駅よつくら港」は、その名の通り目の前が四倉港だ。ここから先、いわき市久之町までの約1キロ半、国道6号線は最も太平洋に接近する。さらにしばらく進めば広野町に入る。それはつまり、昼食をとったあとはしばらく、異常な緊張が続くことを意味している。
海沿いに県道382号線を北上するつもりだったが、薄磯地区の工事のために道路が付け替えられたこともあって、カーナビが効かない。ウロウロしながら「とにかく北へ」とハンドルを切り、どうやら沼ノ内あたりで県道382号線に行き当たった。右手の防風林ごしに太平洋を眺めつつ直進すれば国道6号線にぶつかるはずのところ、夏井川にかかる橋を渡ったところで交通止め等々、少なからず時間をロスして道の駅にたどり着いたのは午後1時だった。
参加者がお昼に何を食べたか、はことさらに書かないけれど、セットメニューにサンマの刺身が供されるのは、いかにもこの季節のこの地方らしい。ちなみに筆者が食した「よつくら定食」は温・冷の汁蕎麦と押鮨が3個で、日ごろ1食当りご飯90gに慣れた胃袋にはチト重かった。
それはそれとして、2階テラス席から外を見やれば、8m超と思われる防潮堤の工事が進められていた。組み上げられた鉄筋とクレーンが数基、さらに「道の駅よつくら港」が建つ区画が嵩上げされているのが分かる。以前はテラス席から見ることができた四倉港や太平洋は、防潮堤が完成したらコンクリートの壁でほぼ遮蔽されてしまう。
もう1つ、目を引いたのは陸地に残された一隻の漁船だった。2013年5月に訪れたとき、津波の被害を受けた漁船が積み上げられていた。それが今回は一隻だけ。舳先の向こうには巨大な土砂の山が築かれ、その先では防潮堤の工事が行われている。工事が進めばこの船は間違いなく陸地に取り残される。
2013年5月撮影の写真には、はっきり海が写っている。それに対して今回撮影の写真に写っているのは、土砂の山とコンクリートだ。発災のあと、豊間の三角地に立っていたゴジラが「ゴジラが上陸した」の含意とすると、四倉の船は「二度と戻らない海」を暗示しているように思えてくる。