IT記者会Report

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東日本大震災5回目の秋(2)放射能汚染地帯を行く

陸前高田市のミニバージョン(いわき市薄磯)
 いわき市平豊間の続き。同行した岸田孝一氏が「試しに測ってみよう」と、放射線量計測器を持って出向いたのは、道路を隔てたコンビニ店向かいの斜面奥だった。道路脇コンクリート上の空間線量は、0.06μSv(マイクロシーベルト)/h(時間)前後で、東京都内と大差なかった。対して斜面奥の草地は0.18〜0.21μSv/hと約3倍。法律が許容する年間追加被曝量の上限は1ミリSv(?Sv)、それに相当する1時間当り放射線量は0.23μSv/h(※)なので、とりあえず「安全」圏内に収まっていることになる。


草むらで0.92μSv/h

 続いて訪れたのは、塩屋埼の北側に位置する薄磯地区。発災前、ここには約260世帯(戸)・760人が住み暮していたが、3.11の津波で壊滅的な被害を受けた。筆者が訪れた2013年5月20日の時点では、かつての賑わいを物語るコンクリートの基礎だけが一面に広がり、ずっと向こうの山裾にお寺の屋根がぽつねんと見えた。その景色は、陸前高田市のミニチュア版を思わせた。また、校庭がガレキと資材の置き場になっていた豊間中学校(は、保存か取り壊しかが議論されていた。
鉄筋4階建ての中学校が消えた

 県道15号線を塩屋埼方面に左折してしばらく行くと、「賢沼うなぎ生息地」の看板が見えてくる。市営住宅の先、車は右に緩やかなカーブ切って進む。やがてその先に見えてきた景色は、2年半前の記憶と丸っきり違っていた。
 変化に驚くより、戸惑いのほうが大きかった。海沿いの道路は付け替えられ、われわれが乗った車は嵩上げ工事のど真ん中を走ることになった。荒涼とした廃墟は土砂に覆われ、鉄筋4階建ての豊間中学校校舎はどこにいったのか跡形もない。代わりに砂浜から8m高の防波堤を兼ねた防災緑地が姿を現しつつあった。日本の土木技術をもってすれば、薄磯地区の造り変えはアッと言う間に進むものらしい。
 住居地区の先に小さな砂浜があった。目の前に太平洋が広がっていて、沖合に大型タンカーらしき船影が見える。車を停め、ここでも試しに線量を測ることにした。というのは持参した計測器(日本精密測器社製の「RADCOUNTER DC-100」)がどのような数値を表示するか、6国を北上する前に確かめ、かつ操作に慣れておくておく必要があったためだ。
 地表高1mの空中線量は0.24μSv/hで、豊間コンビニ店前傾斜地と大きな差はなかった。許容上限+0.01μSv/hは「誤差の範疇」と理解していい。小数点3けたの数字なので、「たいしたことはない」と錯覚しがち。しかし許容量の上限ということを忘れてはいけないんだ、と気を引き締めた。
 次に駐車場隅の草むらに計測器を置いてみた。こういう場所では、例えば砂遊びなど、幼い児童がしゃがみこんだり転がったりすることがあるだろう。「地上高1mの空間線量」というのは大人目線の計測方法だ。すると計測器の表示はみるみる上がり、ブザー音もなかなか止まらない。最終的に計測器が示した数値は0.92だった。
1?Svを1時間当りに換算すると

※法律が「健康に害を及ぼすことがない上限」と定めている被曝量は年間1?Sv。1時間当りは1÷365日÷24時間=0.00011?Sv=0.11μSvとなる。ただし屋内の放射線量は屋外の40%とされ、1日を屋外8時間、屋内16時間と仮定すると0.19μSv。
 環境省の説明によると、「測定器で測定される放射線には、事故由来の放射性物質による放射線に加え、大地や太陽からの放射線(毎時0.04μSv)が含まれる。このため、測定器による測定値としては、0.19(事故由来分)+0.04(自然放射線分)=毎時0.23μSvが、年間追加被ばく線量1?Sv相当」となる。