不動滝の展望台から
八ッ場ダムについては、2011年12月に「工事継続」が決まったとたん、情報が流れてこなくなった。その間も工事は文字通り「粛々と」進み、今年2月からダム本体が起工され、総延長10kmに及ぶベルトコンベア・システムや生コン工場の建設が始まっていた。進入路の建設から11年、ダム工事ばかりでなく、縄文時代から近世まで、人々の暮らしを記録する発掘調査もいよいよ最終局面に入った。
東吾妻町には縄文初期からの文化が層をなして重なっている=郷原から出土したハート面型土偶(重要文化財)=
不動滝展望台から望む一帯がダム湖の湖底となる。完成すれば遊覧船が就航するのだろうか。
八ッ場ダムの本体工事を受注したのは清水・鉄建・IHIの3社による共同企業体。同行した日本不動産ジャーナリスト会議の記者によると、
――伝統的に寺社や天然ガスタンク、高層ビルなどを得意とする清水建設がダム工事を受注したのは珍しい。
という。
八ッ場ふるさと館の駐車場から専用のマイクロバスで移動した先は、不動大橋の向こう岸にある不動滝の展望台だった。いまはまだ水がないのでものすごく高いところにあるように見えるのだが、ダムが完成すると橋は水面から16m程度の位置になる。人工湖が出現すれば、八ッ場ふるさと館や不動滝展望台は絶好のビューポイント、シャッターポイントになるに違いない。
不動滝展望台からは、いずれダム湖の底に沈む景色が一望できた。下流には湖面1号橋の八ッ場大橋、上流には同3号橋の丸岩大橋が見て取れる。八ッ場大橋の向こうはダム本体工事の左岸現場、手前には旧JR吾妻線の吾妻鉄橋。不動大橋から見下ろせば、旧国道145号線(現在は工事関係と居住者の車両のみ通行可)、旧吾妻線の鉄橋、新たに建設された八ッ場バイパスの猿橋が一つのフレームに収まっている。
――あそこに見える看板が水面の高さの印です。
REJAの人たちは双眼鏡で、筆者はカメラをズームして、看板を探す。看板はなかなか見つからないのだが、木立の合間に電柱や鉄塔が立ち並び、生活道路が走り、畑や田んぼがある。ところどころに錆色や青い屋根が見える。何も知らなければのどかな山あいの村の景色にすぎないが、あと5年もするとこのすべてが水に沈むと思うと、かけがえのないもののように思えてくる。立て続けにシャッターを切った。
――電柱や鉄塔は東電さんが、鉄道はJRさんが、それぞれ撤去します。家屋は我われが取り壊します。
担当官氏が説明する。
――湖面に突き出たり、船のスクリューに引っかかりそうな木は伐採するしかないでしょう。湖底の木はそのままかもしれません。
工事は24時間体制 夜間も作業を継続
次に移動したのはダム本体サイトの左岸(下流:渋川市に向かって)工事現場だった。移転してきた蕎麦店とウドン店の駐車場と間違えてもおかしくない。隣接した高台に、展望台ができることになっている。工事車両の駐車スペースがあって、車両の土砂をジェット水流で洗い落とす。取り付け道路の先に広がる左岸工事現場は山の尾根をすぱっと斜めに切って、広い平坦地が造成されていた。ここに生コン工場を作り、本体工事が終了したあとは管理棟が建つ予定だ。
向かい側の右岸では、重機が2台動いていた。ダイナマイトで破砕した岩石を川底に落とし、それを繰り返すことでダム幅を広げていくのだそうだ。見ると、こちら側から向こう側にリフトで資材や重機の燃料が送られている。
https://youtu.be/ta4GUUk63l0
――高台の代替地に移転していない方が暮らしているので、発破作業の音に注意しながら進めています。ただ屋外の作業なので、雨が少ない今の時期は、左岸からサーチライトを当てて夜間も続けます。
代替地に移転していないのはダム建設に反対の意思表示か、ギリギリまで先祖代々の土地を耕したいからか。いずれにせよ大勢は決し、工事は淡々と進んでいる。
工事現場近くで発掘調査
マイクロバスの動きが止まった。
――ここから先は一般の人は入れません。
という言葉で目を向けると、係員が道路の封鎖柵を外しているところだった。いよいよ工事現場……とはいえ、発破をかけたりブルドーザが動いている現場は「危険だから」という理由で遠望しただけだった。
降り立ったのはダム本体右岸工事現場を望む旧JR吾妻線鉄橋脇。広義の「現場」ということになるのだろう。折から土砂を搬出する最大積載量25tの特殊ダンプが到着、トレーラーから下ろす作業が続いていた。遠くから重機の音が聞こえるものの、騒音も砂塵もない。休憩時間だったのか、視察への配慮からか。おかげで説明の声はよく聞こえたが、不自然な感は否めない。
――いま見えている山のもう一つ奥の山に、採掘した岩を砕いて砂利にする工場を作っています。そこから旧のJR東吾妻線、その線路を外した上に約10kmのベルトコンベアを敷設して、ダム工事の現場まで運びます。
連想したのは、昨年の8月に訪れた陸前高田の嵩上げ工事現場だった。同じように大規模なベルトコンベアのシステムが稼働していた。ダンプカーがせわしく往復するより効率よく大量の土砂を搬送量できるし、事故も防げる。工事期間が大幅に短縮する。「ロボット化、機械化が進んでいる」のはこういうことだ。
見学者が立入りできない広義の「現場」で進められていたのは発掘作業だった。表層は江戸時代の天明3年に起こった浅間山の噴火で埋没した暮らしの趾、中層は奈良・平安時代、最下層は縄文と、いわゆる複合遺跡が眠っているという。ダム本体が完成すれば水没してしまう。発掘調査にもしっかり予算をつけてほしいものだ。