国土交通省が、340万人におよぶ建設作業者の就労履歴を一元的に管理するシステムを構築するという。三菱商事系のMCデータプラスが提供しているグリーンサイト(労務安全書類ASP)を使って、建設機器の操縦や鉄筋・配管の施工など有資格技能者の確保と最適配置ばかりでなく、現場を渡り歩く建設作業者の雇用保険や厚生年金、健康保険料、所得税の管理が可能になる。それは便利だし不正の歯止めになる……のだが、ちょっと待った。それってマイナンバーの空洞化につながるんじゃないか?
住民番号ではなぜダメなのか
国交省と大手ゼネコンが合意した就労履歴管理システムに関連して思い出されるのは、マイナンバー制度が創設された経緯だ。森内閣が打ち出し、小泉内閣が引き継いだe-Japan構想のうち、電子自治体システムの一環で、住民記録台帳データベース・システムが構築された。市町村が管理する住民基本台帳のデータに番号を振って、ネットワークを介して全国の市町村で共有しようというものだった。これが「住基ネット」「住基カード」「住民番号」の出発点だ。
住民番号を使って電子的に確定申告ができるe-TAXは実施されたものの、専用のカードリーダーを購入しなければならないし、操作が面倒。年に何回も住民票を取りに行くわけでもない。身分証明書なら運転免許証で十分といった理由で、当の市町村職員すら住基カードを保有しないていたらくで、モノの見事に失敗した。ところがよくよく考えると、住民番号を行政手続きの共通番号にしようという総務省の提案に、他省庁がソッポを向いたのが最大の敗因だったかもしれない。
厚生労働省は年金番号と健康保険番号、警察庁は自動車運転免許証番号を所管していて、「総務省の風下に座るのはイヤだ」と駄々をこねる。法務省はパスポート番号、国税庁はかつての所得税番号をそれぞれ持ち出して番号制度に参戦する。どの番号を使うかは国民一人ひとりの選択に任せて、システムで読み替えてスイッチングする方式が考えられ、それゆえの「マイナンバー」という名称だったのが、いつの間にか住民記録に12けたの番号を新たに付番することになった。
過去の経緯を持ち出して、だからマイナンバー制度がどうのこうの、というのではない。スタートする以上は円滑に、3000億円もの巨費を有効に、なおかつ納税者としては、日々の暮らしをより便利に、行政を無駄をいっそう削減してもらわなければ困るのだが、またぞろ霞ヶ関の縄張り争いと囲い込みが始まるかもしれない。むろん、「下手をすると」という断りがつくが。
まずは建設作業者340万人
グリーンサイトが扱う労務安全書類は、建設作業の着工前に労働基準監督署と社会保険事務所に提出が義務付けられている。施工体制や下請業者編成表、作業員名簿、車両届、持込機械や危険物の使用届、年少者や高齢者の就労報告書などで構成されている。建設現場での安全と適正な労務管理を確保するのがねらい。業界の自主規制的な制度があるので、建設業務は労働者派遣事業法の対象とされていない。
システムは三菱商事が建設業向けに2000年からASP(Apprication Service Provider、インターネット・サービスの一種)で提供してきた。今年7月1日付で事業部門を分社化し、パートナーのITサービス会社2社と共同出資で設立したMCデータプラス(秋山光輝社長)が現時点での提供者だ。大手ゼネコンから施工専門事業者まで約19万社が登録、延べ3万箇所以上の建設現場に導入され、作業員100万人超に適用されているという。
15年かかって国交省のお墨付きを得たかっこうだが、既報(日本不動産ジャーナリスト会議・千葉利宏氏、http://toyokeizai.net/articles/-/59079)によると、
――開発がスタートしたのは2004年。大手ゼネコン5社の技術研究所で、共同研究に着手。国の助成金で実証実験を何度も繰り返し、有効性を確認してきた。
2011年の東日本大震災後の復興工事では、国からの被災地支援の要請でシステム運用機関として、「一般社団法人就労履歴登録機構」(代表理事・蟹澤宏剛芝浦工業大学教授、野城智也東京大学教授)を設立。福島市での除染作業員の被ばく量管理ツールとしてシステムを提供することになった。
という。
就労履歴登録機構によると、登録した事業者は作業員一人ひとりに氏名、性別、年齢などを記録したIDカードを交付する。作業員はそのカードを読み取り装置にかざすだけで作業現場への入退場ができ、管理事務所は何という会社の誰が広大な工事現場のどこにいるかを把握することができる。万が一の事故が発生したときのスムーズな対応や安全確認につながる一方、就業時間の管理につながり、給与計算や厚生年金、健康保険、所得税の確実な納付に連なっていく。
きっちと中央省庁を統治する
詳細は千葉氏に任せるとして、口惜しいのはこの仕組みをなぜIT業界が自分たちのために使おうとしないか、ということだ。ITエンジニアに業界共通のIDカードを交付すれば作業現場への入退室管理やITプロジェクトにおけるチーム編成に使うことができる。さらにシステム構築における多重下請け、多重派遣、偽装請負の解消につながるだろう。またIT技術資格保有者(試験合格者)のスキル履歴追跡、それをベースとする資格制度の見直しや有資格者の待遇改善など、業界の健全化に資する基礎情報となる。
もっともITサービス産業の就業者は101万人、IT技術資格保有者は経済産業省の外郭機関である情報処理推進機構(IPA)が実施する情報処理技術者試験合格者が累計30万人超、マイクロソフトやシスコ、オラクルなどITプロダクトベンダーの認定資格者を合わせても40万人程度。建設作業者約340万人には遠く及ばない。にしても、「たかが340万人」というべきか、「340万人も」というべきか。
同様に、例えば厚生労働省が「高齢者介護の充実」を大義名分に年金受給者約3000万人用の新しい履歴管理制度を作ったらどうなるか、である。あるいは警察庁が運転免許証保有者8000万人の履歴管理システムを構築したらどうなるか、だ。省庁が囲い込みを始めればマイナンバーは空洞化し、その効用は格段に低下する。ここはひとつ、政府(もしくは内閣府)がきっちり中央省庁を統治してもらわないと、責任の所在なき失敗プロジェクトになりかねない。