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「絵を描く」ということ

 1969年の末に,ニューヨーク・メトロポリタン美術館で開かれた第2次大戦後のアメリカ美術回顧展に際して,評論家のヒルトン・クレーマーは,当時の流行であった抽象表現主義について,およそ次のように述べている:
 「その原動力は,絵画をその美学的な本質に還元させることに向かっていたといえるだろう.すなわち,作品を純粋な美学的語彙に還元し,その絵がどう作られたのかということ以外のことがらが観客の心に引き起こされないようにすること,そこでは,歴史とか心理的経験とかいったものすべてが排除される.ある意味で手軽なパラダイスが提示され,われわれは視覚を通じてその中に逃げ込むことが可能になる.」
 この発言の裏側には,抽象表現主義に対して否定的な姿勢が隠されているのだが,それはさておき,かれの指摘がほぼ正確に的を射ていることはたしかだろう.「わたしたちは何かを美しく絵に描くのではない.ただ単に絵を描くという地点から出発したのだ」というバーネット・ニューマンの述懐がそれを裏付けている.わたし自身は,ジャクソン・ポロックの影響を受けて,それからすでに半世紀近くの時間をクレーマーのいうパラダイス作りに費やしてきた.しかし,タブローを目の前にして,「芸術=何らかのメッセージの表現」という一般常識を意識から完全に追い出すことは,決してやさしい仕事ではなかった.

 サンフランシスコ港の沖仲仕哲学者として知られるエリック・ホッファは,エッセイ『初めのこと今のこと』のなかで,アルタミラ洞窟に描かれた古代人の手になる壁画を取り上げて,これらの絵が狩猟の記録や呪術的な意味を持っている>という通説を否定し,古代の人びとがたかの「遊び」として描いたのだと述べている.
 「芸術の起源は呪術や宗教にあるのではなく,遊びこそがその原動力であった.弓は狩猟の道具である以前に,遊びのための楽器だったのだ」
 というのが,かれの主張である.日常的に飢餓状態にあった古代の洞窟人たちは,周囲の自然や動物の形態に興味を覚え,空腹の時間を埋めるための手段として,自分の目に映るものと同じようなかたちや色を実現してみようという遊び心でこれらの壁画を描いたのだろうというのがホッファの推測だが,わたしもその考えに賛成したい.
 ヒルトン・クレーマーのいう絵画の美学的語彙とは何かといえば,まず「かたち」と「色」が思い浮かべられる.「かたち」については,パウル・クレーの『造形講義』がわたしにとっての最初の教科書だったのだが,「点が運動して線になり,線が横に動いて平面ができるのだ」というクレーの説明はなんとなくいかがわしいと,いまのわたしは感じている.
 「地中に在りては象を成し,地表にあらわれては形と成る」
 と,中国の古典『礼記』には記されている.まずタブロー全体をランダムに色で埋め尽くし,それを白で消して行きながらかたちを発掘するというわたしのいまの技法には,このパラダイムのほうがふさわしい.かつて,ボブ・ラウシェンバーグが,先輩画家のデッサンを消しゴムでほとんど抹消した作品『消されたデ・クーニング』を発表して話題を集めたことがあった.それにならっていえば,わたしの作画法は『消された自作』とでもいうべきだろう.

 「色」に関してわたしの心の師匠は,ヒトラーのバウバウス迫害を逃れてアメリカに移住したヨーゼフ・アルバースだった.代表作『正方形賛歌』における色彩の相互作用についての考察は,20世紀美術に対するひとつの大きな貢献だったと考えられる.10代の終わりころ,ある展覧会でこの作品に接したとき,ふとわたしの心に浮かんだのは,中國古代の思想家・公孫竜の「白馬非馬説」であった.「白い馬は馬ではない」というそのテーゼは,一種の詭弁だと誤解されているが,そうではない.名家すなわち唯名論に属する公孫竜の立場からすれば,「白」という概念はそれ自体としては存在しない.それはかならず何かのかたちを借りて出現し、われわれの目で認識される.「白い馬」という表現は,馬というかたちを借りて「白」という色が認識されたということを意味している.

 そうではなく,かたちの認識を述べたいのであれば,たた「馬」といえばよいのである.アメリカの大学で直接アルバースに教えられたラウシェンバーグは,1950年代初めに制作したモノクロームの作品群に関する批評家たちの論調について,「みなさんはニヒリズムの黒とか破壊とか空虚とかいった感想を述べておられましたが,しかし,これらの作品はそうした概念とは無関係でした.どちらかといえば,アルバースの教えにしたがって,色彩の豊穣を祝うという気分で作られたのです」と,感情移入にもとづく印象批評をきっぱりと否定している.

 絵画を構成するもうひとつの要素は,「マチエール」すなわち画面の肌ざわりである.ポロックの後を追ってはじめられたわたしの創作活動の中心は,さまざまな素材を用いたマチエールの探求であった.最初は麻布,石膏,木蝋,エナメルなどを用いて大型のタブロー作りを目指していたが,転機は20代の半ばに手に入れたエッチング・プレスによってもたらされた.
 通常の銅板ではなく,和紙と接着剤を使った特殊な凹版画を試作しているうちに,できあがった作品よりも原板に残された不思議なマチエールがわたしを魅了したのであった.DaylightBusinessとして選択されたソフトウェアの仕事に時間をとられることが多くなり,MoonlightPainterとしてのわたしは,小画面での制作を余儀なくされてきた.今回の展示作品は,数年前から手がけている白色ボールペンを主な道具とする連作の成果である.ボールペンという道具の持つ物理的制約からいって,大画面の制作はほとんど無理なので,その点はわたしに適しているように感じられる.