ソフトウェアとコトバ(2)

 1921年ルーマニア生まれのエウジェ二オ・コセリウという言語学者の名前を知ったのは田中克彦さんの本で『うつりゆくこそことばなれ』(原題は『共時態・通時態・歴史 − 言語変化の問題』)というかれの主著を教えられたからだった.富永仲基(とみなが・なかもと)の『出定後語』を読み,コトバによる表現移り変わりに関心を抱いていたわたしは,この訳書のタイトルに惹かれてぜひ読んでみたいと思ったのだが,1981年にクロノス社から出版された田中克彦・亀井隆共訳の日本語版はすでに絶版で入手困難,近くの図書館の蔵書目録にも見つからない.
 だからといって, わたしのスペイン語の能力は原書 “Sincronis, Diacronis e Historia – El Problema del Cambio Linguistico” に手を出すには程遠い.半ばあきらめていたのだが,ある日 Net Surf していたら,古書の修理などの仕事をする工房を開いている佐藤好正さんという方のHome Page にこの本の試訳が載っているのを発見.さっそく Down Load して読ませていただくことにした.

 コセリウの著作は,ほかに『一般言語学入門』,『言語地理学入門』,『人間の学としての言語学(コセリウ言語学選集全4巻)』が,いずれも三修社から邦訳出版されている.そこに記された経歴によれば,ルーマニアやイタリアのいくつかの大学で言語学や哲学を学び,いくつかの博士号を取得したあと,1951年からウルグアイ共和国モンテビデオの国立大学で言語学を教え,1963年にヨーロッパへ戻ってドイツのチュービンゲン大学の教授を務めた(2002年に81歳で没).かれの著書や論文はスペイン語、イタリア語、ドイツ語などで書かれているので,英語圏(日本も含む)ではあまり一般に知られていない.
 コセリウの名前を有名にしたのは,ウルグアイ時代(1952年)に発表した論文『言語体系・言語慣用・言』(原題は “Systema, Norma, y Habla”)であった.この論文でかれは,20世紀言語学の祖といわれるフェルディナンド・ソシュールが提示した「ラングとパロール」という二分法の欠陥を指摘し,ラング(体系 Systema)とパロール(言 Habla)の間に規範(Norma)を入れる三分法の理論を提唱して国際的に大きな反響を呼んだ.ここで「規範」とは,一般的にいわれる規範ではなく,ある言語共同体において客観的に確認される慣用(その共同体のメンバーが必然的に従うような規範)であり,正しい表現とか模範的な話し方といった意味での規範ではない.

 わたしは言語学については一介の門前小僧にすぎないので,コセリウの三分法の持つ意義やその影響については詳しいことはわからない.興味を持たれた方は『一般言語学入門』(特にその終わりの2つの章)をお読みいただくとよい.なお,この本の第1章「近代言語学への小史」はきわめてよくまとまっており,ギリシャ哲学以降今日までの言語学の歴史の流れ(それぞれの時代におけるテーマの移り変わり)を次のように要約しているのが興味深い.

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時代           研究テーマ

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ルネッサンス以前     理論と記述
17世紀           比較と歴史
18世紀           理論と記述
19世紀           比較と歴史
20世紀           理論と記述

                                                                                                                          • -

現在はまだ20世紀の名残で,理論や記述の問題が言語学における主要な研究テーマになっているように感じられる.それは,ソフトウェアとコトバについて考えようとしているわたしにとっても都合がよい.
 さて,問題の『共時態・通時態・歴史 − 言語変化の問題』は,最初1955年に論文として執筆され,翌1956年にウルグアイ共和国大学のオリジナル研究賞を受賞,1958年にモンテビデオで出版,1969年にはドイツ・チュービンゲンで復刻出版されて多くの国際的反響を呼んだそうである.クロノス社から出た訳本の原典は1973年出版の第2版.佐藤好正さんの試訳は1978年の第3版.

 第2版のまえがきで、コセリウは次のような断り書きを入れている:
 ――たまたま起こるかもしれない誤解を事前に避けるために申し添えておくと,この論文の目的は言語変化ではなく,言語変化についての問題である.すなわち,ここではいわゆる言語変化の原因についての詩論を書こうとしているのでも,また種々の言語の変化のタイプを研究しようとしているのでもなく,目指すところは,理性の問題としての,また具体的言語活動の視点からの変化そのものについての問題を設定することにある.
 田中克彦さんによれば,コセリウのほんとに注目すべき点は,なぜ言語は変化するかという問題について,ソシュール流の考え方を徹底的にくつがえしたことだという.
 ――コトバがなぜ変化するかといえば,人間にコトバを変化させたいという気持ちが働くからだというのがコセリウの主張です.何か新しいことをいいたいとか,自分が発見した表現方法を使って何か独創的なことをいいたいと思うのが人間なので,そうしたことが積み重なって言語を変化させることになる.これまでの言語学はすべて,言語変化を原因主義で説明してきたのですが,コセリウはそれを批判して,何か原因があって変化するのではなくて,話す主体(人間)が目的をもって変化させるのだと主張する.人間は社会によって一方的にコトバを課されていて,コトバをしゃべらされる奴隷のように扱われているが,そうではなくて,人間が言語の主人なのだ.だから自分が話したいようにどんどん変えていくのが人間であって,コトバの変化を説明するのは原因ではなくて目的だというのが,コセリウの革命的理論です.
 200年前に浪速の青年哲学者・富永仲基が提示した「およそ言に類あり,世あり,人ある」という「三物五類」のテーゼと響き合うニュアンスがそこに感じられる.これから,なかもとくんのテーゼを参考にしながら,コセリウの論文を読み進めてゆくことにしよう.