芸術の秋、上野の美術展で体感する驚愕の映像インパクト
芸術の季節、沢山の魅力的な美術展が開催される。その中で、上野でたまたま3つの素晴らしい展示会を楽しんだ。行って見て、その強烈な映像展示に驚嘆した。今、上野で何か凄いことが進行中なのではないかと強い印象を持った。ある画家に、「芸術は考えたり理解するのではなく、感じるものです」、と教わったことを思い出す。すでに産み出されていた歴史的な芸術作品の新しい展示表現法が、これを体感した者の心に新鮮なインパクトを残す。
訪れたのは次の3つの美術展、ささやかな印象記を聞いて欲しい。
興福寺創建1300年記念「国宝 興福寺仏頭展」:東京藝術大学大学美術館
――白鳳の微笑みに会いに――
システィーナ礼拝堂500年祭記念 「ミケランジェロ展」:国立西洋美術館
――天才の軌跡――
特別展「京都」:東京国立博物館 平成館
――洛中洛外図と障壁画の美――
――国宝、重文でつづる天下人の都、京都でも見ることのできない京都。――
まずは「興福寺仏頭展」。以前興福寺を訪れたとき、再建予定の大規模な礎石基盤を見た印象が残っていて、興味をもって行ってみた。「銅造仏頭」、もちろん素晴らしい。「十二神将立像」、周囲をぐるりと回りながら12体を鑑賞できるのは格別な体験だ。が、展示鑑賞の楽しみを倍加させてくれたのが、音声ガイド。
みうらじゅんさん、いとうせいこうさん、の軽妙な会話に案内されて、十二神将の背面の曲線などとっても味わい深いものにしてくれた。特別室では僧侶の解説も聞けた。この特別室でのビデオ展示が凄い。興福寺の波瀾万丈の歴史、東金堂再建計画など手短に学べる。「仏頭」が500年間も行方不明で人の目にさらされることがなかった話し、今回の展示品が一同に会したのは600年ぶりなど、ただただ感心する。東金堂再建映像はもちろん見事なCGだ。
そのあと、驚愕のCG映像が登場する。歴史的な経緯で大きく損傷を受けている仏頭が復元される。ゆがみが修整され,欠落部分が補われる。最初は白色で映し出される。そのプロセス自体見事なアートだ。が、つぎにこれが創建当時の姿と推定される金色に輝く。もちろん映像は360度、様々な角度から見せてくれる。なんということだろう。
展示美術品、そこに隠された歴史、僧侶による解説、音声ガイド、そして強烈CGをふくむビデオ映像、これらが一体になって、きわめて印象深い仏頭展になった。
仏頭展の余韻を楽しんでいるとき、たまたまTVで美術館紹介番組「ぶらぶら美術・博物館」を見た。番組では「興福寺仏頭展」が紹介されている。山田五郎さんの博識にして軽妙な案内で「仏頭展」を楽しく復習。気楽な紹介番組ではあるが、それでも我が家のTVはフルスペック・ハイビジョン、亀山モデルだ。その映像は実に結構なものである。(TVで紹介番組を)見てから(美術展に)行くか、行ってから見るか、というところだろう。いづれにしてもこのTV番組も美術展とセット、という感じを持った。
つづいてこの番組は駆け足で「ミケランジェロ展」を紹介。システィーナ礼拝堂に入ったことはないが、バチカン、サンピエトロ広場は見学したことがある。フィレンツェも昨年秋、たっぷり見物する機会があった。この美術展も面白そうだ、これは行かねば、ということで行ってみた。
大型彫刻、巨大絵画を特徴とするミケランジェロだが、この作品展は小型の素描を集めた比較的地味なものだった。エントランスで全体の解説ビデオがある。音声ガイドは中村勘九郎さん。これがまたとてもよかった。単にナレータとして作品を解説するだけでなく、その人となり、実父、故、勘三郎さんのはなしも語られていて味わいのあるものだった。
が、この美術展の圧巻は、中ほどの小振りの映写室で鑑賞するSISTINE 4Kと名付けられた10分ほどのビデオ映像である。あのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を4K映像で紹介する。映写室は小さいのでその画像に間近に接することになる。出だし、素晴らしい演出になっている。一緒に見ている人々が一斉に吐く感嘆の溜息が聞こえてくる。現地に行ってもこれは見れないだろう。「テクノロジーは活かされている」、「テクノロジーかく使うべし」、という印象を持った。事前に見たTV番組とこの4K映像で、実際に展示されている小さな素描と、あの大迫力の巨大フレスコ画が一直線につながった。
「ミケランジェロ展」の余韻のなか、翌週の「ぶらぶら美術・博物館」を見た。今度は「京都でも見ることのできない京都。」をうたう「京都展」の紹介。一見してとても楽しそうな展示会だ。これは行かないわけにはゆかない。前期、後期で展示品の入れ替えがあるというのであわてて行ってみた。
この展示会は解説必須である。「ぶらぶら美術・博物館」はこの美術展を鑑賞するのに最適で素晴らしいものだった。こちらの展示は佐々木蔵之介さん、野際陽子さんの軽快な音声ガイドに導かれてその圧倒される品々を鑑賞する。洛中洛外図7編、龍安寺石庭、そして二条城大広間をテーマとし、戦国時代終焉時期から大政奉還に至る壮大にして奥深い人々の歴史が、これでもかという迫力で迫ってくる。
入ってすぐ、4メートル四方の巨大スクリーンが横4面に並ぶ。ここで洛中洛外図の一つの見所が丹念に紹介される。「ぶらぶら美術・博物館」と音声ガイドの解説をあわせて、目の前の映像が何なのか、納得がゆく。それから現物だ。人だかりのなかで見る見事な屏風絵は、これらの事前情報があって,何倍も楽しく鑑賞できる。
次は龍安寺石庭。こちらは大型スクリーンの4Kパノラマ。もうこれは行って見て、感じるしかないだろう。「息を吞む」とはこのことだ。「ミケランジェロ展」の4Kシスティーナ礼拝堂ぐらいで驚いていてはいけない。いやー凄い時代になった。
最後は二条城、巨大障壁画の本物、大規模展示。これは現物のみのもつ迫力だ。あの金箔ふすまの上に桜の花弁を描く絵の具が盛り上がっているのだ。この展示会、織田信長、荒木村重、上杉謙信、豊臣秀吉、そして徳川家康の登場する戦国から泰平への変遷の描写にはじまって、大政奉還の大歴史舞台で幕を閉じる。
以上が訪れた3つの美術展の印象。展示品はもちろん最高だが、これらは、今では当たり前の自宅のハイビジョンTVで見る紹介番組、そして展示会場での懇切で楽しい音声ガイドと、全体や背景を紹介する案内ビデオ映像、そして、新時代のテクノロジーを駆使した強烈な高解像度ビデオ映像が一体となって、美術展の新しい地平を拓きつつある。
美術作品は「感じろ」というが、それだけでは消化しきれない強い体験だ。興福寺、法相宗の仏教は「唯識」、これを「感じる」というのは難しい。歴史を越えて寺を、そして仏教を伝えるエネルギーには感嘆する。ミケランジェロ、もちろんキリスト教の世界。展示会は一人の求道的な芸術家の生涯の心の変遷を伝えようとしていた。最後のテーマはその名も「最後の審判」。「感じる」だけではおさまりきれない。
京都展、楽しく、美しい。が、行き届いた解説のおかげでその中に、権力の移行、時代の変遷、ほんとの革命、それを見る画家の目、さらには絵の発注者の心、などが描かれているのが垣間見れた。その間に龍安寺石庭と、これと合わせた海外からの里帰りのふすま絵。こちらは全くの禅の世界だ。
美術展は強力な映像表現を加えて、新しい凄い時代に突入した。ここまでのテクノロジーの進歩に驚嘆すると共に、この先、いったいどうなるんだろう、という楽しみと合わせて一抹の不安もよぎる上野の森だった。