IT記者会Report

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異文化交流

 混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)と呼ばれる地図がある.「混一」は統一と同じ意味(混然一体の混),「疆」は国境あるいは国土を意味する.すなわちこの地図は,「歴史上の各国首都を一覧にした図」である.
 オリジナルは「大元ウルス」すなわちモンゴル帝国で13〜14世紀に作成されたらしい.いまわれわれが目にするこの地図(略称:疆理図)は15世紀初めに、当時朝鮮半島を支配していた李王朝で作られた写本である.もちろん当時コピー・マシンは存在しないから絵筆で摸写したもの.

 日本に渡来したいきさつはわからないが,現在は京都の龍谷大学美術館に保管されており,ときどき期間限定で一般に公開される.縦が150センチ,横が163センチという大きなもので,絹の生地に描かれている.ほぼ同じ時期に作られた類似の摸写地図が九州・島原市本光寺にも存在する.こちらは縦220センチ,横280センチと一回り大きく,厚手の紙に描かれている.わたしはまだどちらも現物を見たことはない.
 この疆理図の歴史学上の大きな意義は,人類史上初めて描かれた世界地図だということである,ユーラシア大陸を挟んで,西はアフリカ・ヨーロッパから東は朝鮮半島・日本列島まで,当時モンゴル帝国が支配した(あるいは存在を意識した)世界がすべてそこには含まれている.同じころにヨーロッパで作成された世界地図がアジアをほとんど無視しているのとは大きな違いであり,歴史上最初の世界帝国であったモンゴルの存在をいやでも人びとに意識させる.
 アフリカの右隣にあるインドが実際よりかなり小さく描かれているのは,モンゴルがそこまで侵攻しなかったせいだろう.それに引き換え朝鮮半島がアフリカと同程度に大きくそして詳しく描かれているのは,摸写した李王朝の意図がそこに見受けられる.龍谷大学版では日本列島が九州を上にしたかたちになっている理由は不明だが,ひところ邪馬台国論争でそれが物議をかもしたことがある.後日,本光寺版では上下が正しく描かれていることがわかって,論争は終結したらしい.

 わたしがこの地図で注目したポイントは,図上のあちこちに赤い四角で示された「都市」であった.当時の地方行政単位のランク付けは,小さいほうから順に,「県」→「州」→「府」となっているが,その上にもう1ランク上の「路」という単位が存在した.
 疆理図の上には,モンゴル時代になって初めて世界に組み入れられた雲南地方に「路」が数多く点在しているのがはっきりと見られる.ユーラシア大陸にモノや情報そして文化の交流手段としての道路を張り巡らせたネットワーク型帝国としてのモンゴルにおいて,道路が最重要の行政手段として考えられていたことの証拠だといえるだろう.
 ソフトウェアの世界で異文化交流の問題が取り上げられたのは,汎用大型機の時代に当時唯一のグローバル・ソフトウェア企業だったアメリカIBM のマネージャが,世界に分散した多国籍プロジェクトのメンバーに対して,それぞれの価値観の違いをサーベイしたのが最初だったと記憶する.そしていま,インターネットの普及にともなって多国籍分散型のプロジェクトがあたりまえになり,いわゆる Cross Cultural Communication の重要性があちこちで説かれるようになった.

 そこでの問題は,自らが育った文化と異なる文化を「理解」することの必要性が重視されていることである.そうした無理な理解は誤解につながる.というか,誤解もまた理解の一種であるという事実を,異文化交流を説く人たちがわかっていないように思われる.かつてのモンゴル帝国において,政権を担当したモンゴル人は(人口比が極端に少なかったせいもあるかもしれないが),道路ネットワーク上に存在するさまざまな異文化を理解(あるいは誤解)ことには特に注意を払わず,それらの異文化(宗教や生活習慣)をそのままにして,ムスリム官僚を利用した行政事務システムの確立に専ら留意したようであった.ときには異文化をそのまま受け入れている例も見られる.大都(北京)政権が儒教の興隆に力を入れたとこは周知の事実であるし,西域のフレグ王朝の皇帝がムスリムに改宗したこと(名目的かもしれないが)もよく知られている.
 現在,モンゴルに次いで世界第2の帝国になろうとしているアメリカの異文化交流に対するアプローチは,モンゴル帝国のそれとは違って,異文化を適当に理解するふりをしながら,自らの文化を世界に押しつけようというスタイルであるが,はたしてそれが成功するかどうか,疑問の余地が多いように思われてならない.