ちょっとした用件というか口実があって、欧州5泊6日の一人旅に出た。気ままな個人旅といっても、往復航空券とホテルは予約購入済みなので、あらかじめ決めたコースを列車で巡る観光旅行にすぎない。ルートはチェコのプラハ、ここからドイツに入ってドレスデン、フランクフルト、カイザースラウテルン。最後の日本サッカーゆかりの地、カイザースラウテルンに用事がある。勝手にテーマを作った。「現代史の痕跡を訪ねて」。
[空からのアムステルダム]
Webサイトで旅行ガイド情報をあさり、これと日頃TVなどで見る景色、観光物件情報を頭に詰め込んで出かけた。実際に行ったところにそのとおりあった、ということも楽しいが、やはり「旅」、行ってみてはじめて体験できできることが山ほどある。事前知識なんて、現地訪問の迫力に比べればささやかなものだ。
欧州の旅はプラハの手前、トランジットで立ち寄ったオランダ、アムステルダム、スキポール空港上空の眺めから始まる。窓際に席を取ったので、オランダの一見してそれと分かる管理された一面の緑、農業地帯をたっぷりと見れた。NHKでやっていたのを探した。ビニールハウスは面積的には少ない。山形で見た山の上まですっぽり覆うビニールハウスとか、韓国ソウル近郊のような全面ビニールハウス状態ではなかった。その中に、TV番組で見たような四角い温室を見つけた。完全なコンピュータ制御の新鋭設備だろう。やってるやってるという感じである。
離陸時、遂にアムステルダムの全貌を見ることが出来た。アムステルダムには以前ちょっと滞在したことがあるが、空から眺める機会はなかった。文字通り蜘蛛の巣状の運河が数え切れないほど幾重にも取り囲み、異様な都市の姿を見せていた。自分は東京、芝浦の運河地帯に住んでいて、ちょっとアムステルダム風の環境に暮らしているつもりなのだが、本家の迫力はまるで違う。こんな形状の都は他に無いだろう。アムステルダムは証券取引所発祥の地。以前訪問したとき、中央駅前通りのその歴史的建物を見たことがある。空から見て、なんだか昔宇宙人がこの地に降り立ち、人類を支配する仕掛けを植えていったのではないか、と思えるほどの特異な形の街だった。
[大洪水と寒波のプラハ]
プラハの空港に着いたのは夕方。雨を口実にタクシーに乗った。ここでビックリ、市内までの高速道路が凄い。優に片側5車線はあろうかという素晴らしい設備、それも結構真新しい。中世都市が「売り」の観光都市だが、インフラは全く別次元。タクシー料金は安かった。そこに旧東欧の途上国に近い現実が垣間見えた。ここはユーロではなくコルナ。空港の荷物受けのターンテーブル毎に両替え窓口が有り、200ユーロ以上は手数料無料、出国時戻すときも無料と言っていた。
着いて早速夜のバーツラフ広場へ。それはそこにあった。雨に濡れた、建物に囲まれ欧州の淡いウインドウの光に照らされた石畳の大通り。あの「プラハの春」をソ連軍の戦車が蹂躙した場所。東欧社会主義崩壊のとき、30万人の民衆で埋め尽くされたところ、「ビロード革命」の地だ。ここを「ハベルを宮殿へ」の大合唱がこだました。ソ連に抗議して焼身自殺した2人の青年の慰霊プレートに花とろうそくが捧げられていた。
様々な型の路面電車の行き交う夜の石畳を味わって、翌日は市内探索。が、不覚にもこの晩TVのスイッチを入れずに休んだ。翌朝、市内地図をもらい探索ルートを確かめようとホテルフロントに行ったところ、洪水につきあの著名なカレル橋は通行止めだという。地図にある川の中州は全部水没中とのこと。ホテルロビーのTVはずっと洪水ニュース。あわてて部屋のTVをつけた。川が溢れている。
雨の中、季節外れの寒風を押して中世都市を味わいながらカレル橋へ。褐色の濁流が凄い勢いで高い水位で流れている。河岸の低地は水没。コンクリートの基礎の上にアルミ材とゴムパッキンによる止水壁が作られ、場所によっては土嚢が積まれ、排水ホースやポンプが配置されて、かなりの緊迫度だった。プラハには日本の何倍もの観光客が訪れる。その大部分がこのカレル橋を通るということでいつも大混雑だそうだが、今日は冷たい雨の中、静寂と緊迫のカレル橋だった。
通れる隣の橋を渡って対岸の市街へ、そこから丘を登ってプラハ城、一通り見学して下山。上からのプラハ市街は見事に景観が保護され、風雨の中でも橙色の瓦屋根の連なりに風情があってとても美しかった。但しその足もとを高速の濁流が流れているという迫力つきだ。山上の大聖堂はスペインのトレドにも行ったし、昨年秋にはイタリアのアッシジにも行ったのでさほどの驚きはない。特に参道の坂にお土産屋さんがぎっしりというのは似た感じに思えた。しかし、プラハ城はチェコにとって数百年のオーダーで失われた祖国回復のシンボルであった点が凄い。旅行にあたってチェコの歴史を概観したが、にわかにはにはフォローできない複雑多難な経緯だ。
帰路、寒風の中、綺麗なウインドウに飾られた石畳の街路をじっくり味わった。ふと思う、いまでこそ自由と繁栄のプラハだが、絶望の時代、皆はこの石畳の上でどうやって生きていたのだろう。あの「プラハの春」から「ビロード革命」までですら20年の月日が流れている。遠い将来には希望を持っていたにしても、全くの絶望の時代が世代を超えて続いたはずだ。そういう時を経て今日を勝ち得た人々には、きっと伺い知れない強固な内面があるに違いない。
プラハの驚きはそのあとやってきた。
翌日のドレスデンへの列車行を確かめるために中央駅へ行った。ビックリ仰天、それは大きな公園の森の中にあった。つまり駅前広場はない。シンプルな現代デザインの巨大横長構築物。欧州に多いスイッチバック式の終端駅ではなく通過型。入ってびっくり、中はどこの空港かと見まがうばかりの広大な近代構成だ。
基調カラーは鮮やかな朱色。
広めの通路の両側にハイセンスなの明るい大型ショッピングウインドウが鮮やかなブランドとともにずらり。発着案内板には近隣の国々の都市名が並ぶ。地下鉄が乗り入れているが洪水で止まっていた。ここから実際に乗車するときにもう一度驚かされる。線路下の連絡通路からいざホームに上がると、そこは鉄骨アーチの支える巨大ガラスドームに包まれた欧州型大型駅になっていた。このプラハ中央駅で、現代チェコの旧東欧からの脱却を目指す心意気を感じた気がする。
チェコの心意気は市内でも随所で見られた。あちこちで、街路面の景観を保護した伝統的な建築物が囲む中庭側に、ガラスとサッシによる極めてモダンな建築が隠されている。そこには曲面を使った現代建築もある。街並みの景観保護の利点を知り尽くし、かつ現代の都市機能を装備して生き抜こうというしたたかな意図が見て取れる。中央駅の近くでは、路面に面したところでも近代的なデザインによる大規模再開発が進められていた。