IT記者会Report

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世界の階層構造について(1)

 これまでソフトウェア工学の世界で提案されてきたモデルは,階層構造のパターンを利用したものが多い.その典型的な例は,1988年の ICSE inシンガポールでD.ぺリー& G.カイザーの2人が発表した論文「ソフトウェア開発環境のモデル」だろう.W.ハンフリーさんが開発プロセスの成熟度について提案した PSP–TSP–CMM という枠組みもそうである.これらのモデルはいずれも,個人・家庭・都市・国家というかたちで人間社会を階層的に眺めるという考え方をベースにしており,人びとに受け入れやすい自然な響きを持っている.
 しかし,わたしはそこになんとなく違和感を覚える.それは,朱子学のテキストである『大学』で説かれた「修身・斉家・治国・平天下」という規範との奇妙な一致が見られるからだ.この儒教的マネジメントの原理は,論理形式としての美しさにもかかわらず,本家の中国でも,またその文化圏に含まれる朝鮮や日本でも,これまで現実には成功を収めた例がほとんど存在しないというのが歴史的事実である.
 階層構造という枠組みで世界を眺めるという習慣をわれわれがどうやって習得したのかはよくわからない.もしかしたらそれは,人類の頭に最初から刷り込まれた思考パターンなのかも知れない.何年か前,そのことについて,ある掲示板に書いた雑文がある.少し長いものだが、箸休めのために,2回に分けて採録しておこう.

 2000年の夏に中国・貴州省でSEA主催の会議を開いた時に手に入れた「苗族古歌」という本がある.そこには,全部で16篇の歌がおさめられているのだが,もともと文字を持たない民族だったので,口伝えの形で,宇宙創造から民族の起源,古代の英雄伝説などが唄われている.1行ごとに,原語のアルファベット標記とそのフリガナ(ただし中国の本だから正確には「フリ漢字」)そして七言の漢訳がついていて,読みやすい.
 たとえば,世界の始まりを唄った最初の歌の冒頭の4行は次の通り:
  Hfud dongd dliel lot ot [首季那太初]  悠悠太初頭年扮
  Mux hxib dol bongt wat [古時遠極了]   最初最初古時期
  Nangx ghaib bil dot dangt [草茅還不生] 草草芭茅還不長
  Bangx vob bil dot cait [花菜還不分] 花花野菜還没生

 「昔むかしの大昔,ここには草も生えておらず,花も咲いていなかった」という唄い出しである.いきなり草や花のイメージが出てくるあたり,南国的な感じがする.
 巻頭の解説によると,これらの歌は,苗語で hsongd hxak(歌骨)と呼ばれ,2人の歌い手によって問答形式で唄われたものらしい.古代の日本にもあった「歌垣」に似ているように思われる.もっとも,歌垣は男女の掛け合いだが.
 Internet で「歌垣」を検索してみたら,次の Web Page に:
  http://www.china.jpn.org/utagaki.htm
 という「中国少数民族歌垣調査全記録 (大修館から出た本とビデオ)」の紹介がみつかった.さらにそこからたどって,岡部隆志さんという人のWeb Page:
  http://www.asahi-net.or.jp/~QB2T-OKB/sub3-2.htm
 に, 白(ぺー)族の歌垣の全記録が中国人ガイドのコメントつきで翻訳・掲載されているのを見つけた.下手な現代詩あるいはポップスの歌詞を読むよりずっとおもしろい.

 さて,「苗族古歌」に戻ると,巻頭に収録されている「開天闢地」すなわち天地開びゃくの物語は,上に紹介したように,
 ♪この世界の始まりのとき 昔むかしのその昔 ここには草もなく そして花もなく
  天もなく地もなく 天を支える銀の柱もなく 太陽も月もなかった
 という唄いだしで始まっている.で,どうなるのかと思っていると,いきなり:
 ♪どこかから一群の和尚さんたちがやってきた
 というフレーズが出てくる.ここで「和尚」というのは仏教の僧侶ではなく,神様あるいは仙人つまり超人的な存在を指す.かれらは,われわれの住むこの世界の住人ではなく,その外側にある別の世界からやってきた,いわばETみたいなものだという構図である.
 宇宙が二重の階層構造をそなえているという世界観は,阿部謹也先生によれば,キリスト教が普及する以前のヨーロッパでも、やはり支配的だったそうである(講談社学術文庫「中世ヨーロッパの宇宙観」).おもしろい共通点だと思う.史劇「マクベス」のラストシーン.森が城に攻めて来るという設定は,別にシェイクスピアの創作ではなく,当時の庶民の日常感覚.毎日夜になると森が家々の戸口まで忍び寄って来ると誰もが考えていたらしい.

(続く)