IT記者会Report

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プロセス・モデルと東大話法

 1970年夏、初めてのアメリカ訪問のさいに,いきなり飛び込んだ WESCON’70 の会議で,いわゆるウォータフォール型プロセス・モデルを世の中に紹介したウィンストン・ロイスさんの講演 “Managing the Large Software Development Systems “ を聴くことになったのは,まったくの偶然だった.
 この論文は,それまでマシン内部におけるプログラム実行プロセスにばかり気をとられていた世の中のプログラマたちの関心を,マシンの外側におけるソフトウェアと人間との葛藤プロセスに移行させたという意味で,きわめて重要なものだったといえる.問題は,しかし,論文タイトルが示すように,プロセスのマネジメント・サイドだけに焦点を当てて議論を展開したことにあった.

 ソフトウェア開発プロセスにおける主役はあくまでプログラマであって,マネージャではない.さらに,開発完了後の時間の経過にともなって発生するソフトウェア進化のプロセスを考えると,さまざまな立場からそのソフトウェアの運用に関係する開発者と協調しながらシステムの進化に大きな影響を与える役割を担って舞台に立ち現れてくる.
 ロイスさんがあの論文を書いた時点では,現在では当然とみなされるそうした状況は,まだソフトウェア技術者の視野には入っていなかった.1960年代末の NATO ワークショップで提案されたソフトウェア工学の主要な話題は,大規模化したソフトウェア開発プロセスをどう扱かったらよいか,特にそのマネジメントの側面にあったのである.それ以前のハードウェア開発に際して用いられていたウォータフォール・モデルを「柔らかな」プロダクトであるソフトウェアの開発に適用するとさまざまな難しい問題が生じてくるという事実を指摘したのが,ロイス論文の大きな功績だった.

 しかし、ソフトウェア開発(そしてその後の進化)の主役ではないマネージャの立場から考えられたプロセス・モデルは,あくまで「傍観者の論理」を表現したものでしかなく,それにいくら改良を加えたとしても,実際に開発や進化に携わるプログラマやユーザにとっては役に立たない Should-Be Process のイメージを提供するだけに終ってしまう.そのことは,いまなおあちこちのプロジェクトでマネジメント上のトラブルが発生し,いわゆる SPI 活動が多くの企業でなかなか成果を上げられずに立ち往生していることからも明らかであろう.
 マネージャ視点からのプロセスへのかかわりは,安富歩さんが話題の書「原発危機と東大話法」で指摘されたように,欺瞞の言語に満ちた傍観者の論理に陥りがちな危険をはらんでいる.われわれは,このあたりで1970年に声高に叫ばれた「ソフトウェア危機」とは何だったのかをもう一度振り返って考え直すことが必要ではないだろうか.