IT記者会Report

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東日本大震災被災地4年目の夏〜汐風と砂塵の中で〜(3)

 気仙沼市西みなと町のT字交差点に打ち上げられた大型漁船「第十八共徳丸」とその周辺の景色は、震災被害の凄まじさを物語るものだった。写真にわずかに写っているが、船の奥の白い倉庫の裏側にあるJR「唐桑駅」も、津波の直撃を受けて大破した。

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 その左側、草の向こうに立って何か話している人たちは、おそらく「第十八共徳丸」の解体・撤去の段取りを相談していたのだろう。震災の被害を後世に伝える記念碑的なオブジェクトとして保存が検討されたが、昨年の秋から撤去作業が始まっていた。今回は、それが跡形もなく撤去されたことを確認することになった。
 コンビニの前に走っていた道路が10?ほど向こうに付け替えられ、新しい道から入る緩い下り坂が駐車場への誘導路だ。以前の道路はそのままだが、コーンポストと工事現場の区画施設が遮断している(写真16)。その右端、コンビニの屋根の向こうに見える盛り土、もしくは写真17の盛り土が嵩上げの標準高だ。この辺り一帯は、写真18の白い2階建て倉庫の屋根より高くなるということだが、盛り土の安全性はどうなのだろう。
 大槌町役場と並んで多くの自治体職員が命を落とした南三陸町の防災対策庁舎には大きな変化が見られなかった。細かい変化を拾うと、献花台の仏像が前回から1体増えていたこと、周囲の道路の通行が規制されていて建物前に通じる道が志津川沿いの1本しかなくなっていたことぐらいだろうか。防災対策庁舎の目の前に流れている志津川も、特段の変化が見られなかった。
 ただ、かつての市街・居住区域の嵩上げ工事は1年間でかなり進んでいた。港湾沿いの防潮堤工事も進み、それに伴って国道45号線が内側に付け替えられていた。写真20は嵩上げした盛り土の上に敷設された道路から見た防災対策庁舎だ。鉄骨の3階部分がやっと見える。ということは、やはりここも8?高の嵩上げが行われることになる。大槌町と比べると南三陸町志津川地区のほうがやや狭いようだが、それでも工事は何年も続くだろう。
山田港(山田町)