IT記者会Report

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日常としての異文化

 われわれは初めから人間として生まれてくるわけではない.人間の家庭で生まれ,育てられ,人間の社会で成長することによって人間に「なる」のだと,オルテガ・イ・ガセットは述べている.その証拠に,赤ん坊のときジャングルに置き去りにされ,狼の家族に育てられた子どもは,成人したあと人間社会に取り戻されても「狼少年」のままであり,決して人間には戻らない.
 生まれたばかりのわたしの目には,大勢の人びとが周囲を動き回っている姿が映る.やがて時間の経過とともに,そのうちの何人かについて,あなたが母,あなたが父,あなたがたが友だちというように,顔と名前が識別できる複数のあなたの存在がわかってくる.そうした状況が何年か続いたあとのある日,自分はそうした「あなた」たちや「人びと」とは違う存在なのではないかという感覚が突然に襲ってくる.見知らぬ「猿の惑星」にひとりで不時着し,理解しがたい異文化に囲まれているというような感覚である.

そのとき,人間はほかの動物とはちがった行動をとるとオルテガはいう.すなわち,いったん外界との接触を断ち,自分の心の中に沈潜して,これからの生き方についての戦略を考えるのである.ロビンソン・クルーソーみたいに無人島に逃れてひとりだけで生きて行くわけにはいかない.それでは,どのように周囲のエイリアンたちとつきあっていけばよいのか.しばらく考えて,とりあえずの戦略を組み立てたあと,沈潜状態から出て,ふたたび外の世界での生活を続けて行く.
 プログラマとしてのわたし自身の経験に照らしても,オルテガのこの指摘は的を射ていると思われる.半世紀ほど前,わたしがソフトウェアの世界に参入したきっかけは,たまたまアルバイトでコンピュータ文献を翻訳したという偶然のきっかけだった.しばらくは,それまで趣味で手掛けていた論理パズルに似たプログラミングの作業を楽しんでいたのだが,そのうちに周囲のプログラマ諸氏の仕事ぶりに何となく違和感を覚えるようになった.

 大きく分けて2種類のプログラマ像が観察された.与えられたプログラミング課題の内容に強い関心を抱き,アプリケーション・ドメインの分析にのめり込んで行く人たちが何人か見受けられた.その一方で,課題を解決するためのアルゴリズムの設計や、機械語コーディングの細かなトリックに熱中しているプログラマたちも多かった.わたし自身はといえば,プログラマ生活を始める以前,抽象絵画の制作に没頭しており,サラリーマンとしての昼間の生活とは別に Moonlight Painter としての余暇の時間も大切にしていたので,プログラムというものの抽象的な構造とそれがマシンの内部で実行されるプロセスとの関係に強い興味があったのだが,そうしたことがらに関心を示すプログラマは周囲に存在しなかった.
 1960年代の後半に,イタリアの若い数学者たちがアメリカ計算機学会(ACM)の機関誌に発表したいわゆる「プログラム構造化定理」の論文を読んでひそかな知的興奮を覚えたのは,当時の日本のプログラマの中で,おそらくわたしひとりだったのだろう.60年代の終わりから70年代の初めにかけて,この数学論文をきっかけとしてヨーロッパで始まりやがてアメリカに波及した「構造化プログラミング」の流れにわたしが身を投じたのは,そうした孤独感がなせる技だったと考えられる.

 インターネットの世界的普及にともなって,多国籍分散型のプロジェクトがあたりまえになり,ソフトウェア技術者間の異文化交流の問題があちこちで取り上げられるようになってきた.しかし,オルテガが指摘したように,同じ国の同じ文化の中においても,異文化の存在は日常茶飯事なのである.周囲の人間はすべて自分とは異なる文化の中で育ってきたエイリアンであるという認識を持つ態度が正しい.そして,それ以前に,自分とは何者かをはっきりさせる必要がある.特定の環境に生まれ育ってきたいまの自分は本来の自分とは異なる存在なのだ.

 芸術作品はアーティストが自己の感情を表現したものだという定義は間違っている.そうではなく,作品は芸術家たちが自分とは何者かを追求したプロセスの中間的成果物だと考えるべきであろう.ソフトウェアもまた,そこに実装されているアプリケーションの内容とはかかわりなく,プログラマアルゴリズムの論理構造とは何かを追求した成果の表現にほかならない.