IT記者会Report

IT/ICTのこと、アレヤコレヤ

能動的コミュニケーション

 ソフトウェア開発のさまざまな局面においてコミュニケーションのトラブルが発生する.たとえば,要求仕様書の趣旨が設計者にうまく伝わらないとか,プログラマが設計書の内容を誤解してとんでもないコードを書いてしまうとか,である.そうした状況について,コミュニケーション理論では,伝声管のメタファを用いて説明されることが多い.管の入り口から投入された情報が正しく出口から出てこないのはなぜかという議論である.
 このメタファにおける伝声管とは,書かれた(あるいは話された)コトバを意味する.トラブルを解決するためには,標準的な言語を用いてわかりやすく書く(話す)ことを心がけようというアドバイスが与えられる.しかしながら,「あらゆるテキストは,それが書かれた(話された瞬間から,テキストの意味は書き手(話し手)の意図から乖離する)というポール・リクールの指摘は正しい.どんなにわかりやすい表現を用いようと,同じコトバが、書き手と読み手の心の中では異なった意味を持つという状況がしばしば起こりうる.すなわち,「誤解というかたちの理解」が一般的なのである.
 こうして,ある表現の解釈について,「わたしが正しい」,「いやそうではなく、こちらのほうが正しい」といった論争が始まる.二値論理にもとづくそうした言い争いは、えてして不毛な結果しかもたらさない.

 19世紀アメリカの作家オリバー・ウェンデル・ホームズは,「論争の静水学的逆説」というエッセイでそのことを指摘している.賢人と馬鹿との争いを、2つの口を持つU字型の管だと考えてみよう.一方の口は賢人の知識のように大きく、他方は馬鹿の頭のように小さい.しかし,そこに水を注ぐと,水面の高さは,注ぎ口の大小とは関係なく,同じレベルに落ち着いてしまう.しかも,そのことを馬鹿はよく知っているのである.
 コミュニケーション理論では,通常,発話者のコトバが正しく相手に理解されるか否かが問題になる.話し手の立場から見て,自分のコトバを相手に正しく理解してもらうためにはどうしたらよいのか,が議論される.そのさい,対話の聞き手(書かれた文書の場合は読み手)は,つねに受け身の立場に立つものと考えられている.

 20世紀ロシアの思想家ミハイル・バフチンは,対話における聴き手の能動性に着目し,コトバの意味を受動的に理解するだけではほんとうの理解とはいえないと指摘する.なぜなら,そうした理解は話されたコトバを複製しているだけであり,理解される内容を少しも豊かにしないからである.『小説の言葉』(平凡社ライブラリ)において,バフチンは次のように述べている:
 ――コトバが実際に使われるさいには,あらゆる具体的な理解は能動的である.それは理解の対象に新しい視野を導入し,複雑な相互関係や共鳴,あるいは不協和を作りだし,対象を新しい要素で豊かにする.話し手の側もまさにそのような理解を念頭においている.当然のことながら,話し手は,聴き手に固有の視野をも志向することになり,その結果,自分のコトバのなかにまったく新しい要素を持ち込む.このようにして,異なる文脈,異なる視点,異なる表現スタイル,異なる「社会的言語」の相互作用が生じるのである.

 「ソフトウェアは世界をモデル化した一種の機械である」とマイケル・ジャクソンはいった.システム・アナリストは,ユーザからのリクエストを手がかりとして,対象アプリケーションと対話し,自分が作り上げた世界モデルを仕様書と呼ばれるドキュメントとして作成する.デザイナは,その文書を通じてアナリストと対話し,自分の視点から眺めたアプリケーションの様相を加味して,設計書をまとめる.次に,プログラマはその設計書を通じてデザイナと対話し,やはり自分の目で見たシステムのイメージを加えてプログラムのコードを書く.
 そうしたコミュニケーション・プロセスの各ステップにおいて,前工程の成果として与えられるドキュメントの内容を,読み手はただ受動的に(正しく)理解するだけではなく,それぞれが自分の視点から見た能動的な理解を心がけて必要な修正意見を提示し,前工程を担当している書き手や対象アプリケーション自体との対話を行うことを心がけなければならない.
 コンピュータとは何かの仕事をするための道具なのだが,その仕事を目的としているのはエンド・ユーザであって,プログラマをはじめとするソフトウェア・エンジニアではない.われわれの仕事は,ユーザから与えられた要求に応えてシステムを作ることである.仕事は,要求を受け取るというところからスタートする.そのためか,ソフトウェア開発におけるコミュニケーション問題の議論は,ともすれば,バフチンが批判する受動的な視点に偏りがちである.それは,ソフトウェア・エンジニアに特有の職業病ではないかとも感じられる.
 これまでに提案されてきたさまざまな開発技法や関連するドキュメンテーション技法,あるいはプロジェクト管理手法も,受動的コミュニケーション理論を前提とした「正しい理解」を意図しているものが多いように思われてならない.そろそろ,能動的な立場に視点を切り替えて,ものごとを考え直すことが望まれる.