IT記者会Report

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コミュニティについて

 コミュニティという用語は,もともと社会学から来ており,ひとつの地域の住民がその風土的特性を背景とする帰属意識を持ち政治的な自立と独自の文化を追求する共同体のことを意味している.現在では,それから転じて,物理的な地域を越えた国際的連帯組織などをコミュニティと呼ぶようになった.ソフトウェアの世界では,アジャイル・コミュニティとか SPI コミュニティなどのように,何らかの共通の話題を中心にインターネットで集まった人びとの集団を一種の仮想的コミュニティとして扱っている.
 そうしたコミュニティを特徴づけているのは,メンバーたちの精神的な同質性だといえるだろう.メンバー全員が同じコトバで会話する.ひとにわからないコトバを話す人間,みんなと異なるものの考え方をする人間は,自動的にそのコミュニティからはじき出されてしまう.

 近代国民国家の成立にあたって,軍隊の標準化とともに,言語の標準化が最重要視されたという歴史上の事実があるが,インターネット上の仮想的ソフトウェア地域コミュニティの場合も例外ではない.何らかの統一的な技術的価値観の確立と,それを語るための言語の標準化が,アジャイルにせよ SPI にせよ,それぞれのコミュニティを成立させる土台になっている.
 コミュニティの持つそうした特性は,外部からは「単なる仲良しサークルに過ぎないのでは?」という批判を投げつけられる原因になる.しかし,コミュニティ内部の団結力はそのような批判を受けることによってさらに強くなったりもする.コミュニティの持つ統一的な価値観は時間の経過とともに成熟して行くのだが,しかし,周囲の環境変化に対応するための有機的組織体としての能力はそれと反比例して退化し弱まって行く.

 20世紀初頭のドイツで活躍した社会学ゲオルク・ジンメルは,美術品として博物館に飾られている水差しを論じたエッセイで,水差しの「取っ手」が持つ機能をコミュニティと外部世界とを繋ぐ重要な要素に喩えて,取っ手のないコミュニティはやがて内側から腐敗し死滅するだろうと指摘している.
 中国古代(春秋戦国時代)に覇を唱えた大国のひとつ斉の国では,首都・臨淄の城門の外に宿泊所を設けて諸国を遍歴する諸子百家と呼ばれる思想家・兵法家などに酒食を接待していたそうである.孟子もこの施設(稷下の市)の利用者だったといわれている.「すべて新しいアイデアは城壁の外からやって来る」という地域コミュニティにとっての本質的な弱点を,当時の斉国の王は熟知していたのだと推測される.
 オープンソース・ソフトウェアの登場とともに,組織のオープン化による外部情報の活用があちこちで説かれている.それはまさしく「稷下の市」やジンメルの「取っ手」理論の応用例なのであるが,コミュニティの持続的活性化にとってより重要なのは,その内部における精神的同質性(Homogeneity)をどうやって打破し,異質性(Heterogeneity)を導入するかであろう.

 ミハイル・バフチンは,1930年代前半に執筆した論考『小説の言葉』(平凡社ライブラリ)において,「小説とは,社会的な言語の多様性や個人的な声の多様性が芸術的に組織されたものだ」と述べている.どの国の標準的な「国語」も,社会集団(グループ)固有のコトバ遣い,職業上の隠語,世代固有の言い回しなど,さまざまなかたちで内的に分化しているが、そうした状況こそが小説という文学ジャンルにとって必要不可欠な前提なのだとバフチンはいう.
 コトバの社会的分化あるいは多層的階層化を,言語学者たちはコトバが持つ特性がもたらした現象だととらえ,そうした変化の原因は何かを研究している.しかし,言語学者エウジェニオ・コセリウが批判するように,コトバは何かの原因があって変化するのではなく,それを話す主体すなわち人間が何らかの目的をもって変化させているのだと考えたほうがよい.いいかえれば,コトバの多様性とは,ある言語を話すコミュニティの中に多数のさまざまな異なるアイデアイデオロギー)が並存していることのあらわれなのである.
 小説という文学ジャンルは,そうしたコトバの多様性,すなわち作者のコトバや複数の登場人物がそれぞれの意図にもとづいて対話し議論するコトバを材料として,ひとつの多声(ポリフォニック)的な世界を表現することを目的としている.

 その世界が,単一の言語すなわちイデオロギーにもとづいて統一されるのではなく,複数の言語が並存し永久に結論に到達しない対話を続けて行くというかたちに表現されることがもっとも自然であり,そうした対話型小説というスタイルを創始したのがドストエフスキーだと,バフチンは主張する(『ドストエフスキーの創作の問題』,平凡社ライブラリ).この指摘は,ソフトウェア・コミュニティのこれからのあり方を考えるさいにきわめて重要な意味を持っているといえるだろう.
 ソフトウェア・プロジェクトにおいて,「作者のコトバ」は,プロジェクト・マネージャの思想をあらわしている.「登場人物」とは,さまざまな職能を分担するエンジニアやユーザに対応する.すべてのプロジェクトは所定の時間的制約を課せられているので,ある時点において,作者すなわちマネージャのコトバをベースに統一され終了する.しかし,開発が終わった後のソフトウェアは,ユーザによって利用され、環境変化にともなって進化して行く.その進化(いわゆるメインテナンス)のプロセスのなかで,さまざまな「登場人物」のコトバが息を吹き返し,あらためて,コミュニティの言語的多様性(そこに内蔵されるアイデアの多様性)に注目しなおすことが求められるのである.