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西田正法師(大本山永平寺布教部部長) 永平寺の七堂伽藍と修行

 ソフトウェア・シンポジウムでは招待講演を通じて開催地の歴史や文化、風土を学ぶのが恒例となっている。今回は曹洞宗大本山永平寺から布教部部長の西田正法師が招かれた。司会役の伊藤昌夫氏はイントロダクションで「幼かったころ毎年のように“お山”に上ったが、何度かお寺の方に叱られたことがあって、恐いお寺という印象がある」と語り、西田師が「今はそんなことはありません。いつでも参拝者には優しく、がモットーですから」と笑いを誘う場面もあった。講話は1時間15分に及んだが、聴衆を少しも飽きさせない話法に聴き入った。

西田正法師

伽藍は座禅のかたちに配置

西田 先ほど司会の伊藤さんが仰ったのは20年以上も前のことでして(笑)、当時はミニスカートの女性が参拝にいらっしゃると、長い布を腰に巻いていただいたりしておりました(笑)。観光客に媚びないので「永平寺は恐い」というイメージができたのだと思いますけれど、現在はそんなことはありません。どうぞお気楽に参拝していただけたらと存じます。
 で、最初に申し上げておきたいのは、永平寺といいますのは今から760年前に道元禅師という方が開かれたお寺です。永平寺の特長は、「修証一如」(しゅうしょういちにょ)という言葉に表すことができると思います。いちばん最初の「修」という文字、この中に入っている斜め三本の〈彡〉ですが、皆さんがすぐ思い出すのは髪という漢字だと思います。わたしぐらいの年配の方はご存知だと思いますが、髪から〈彡〉を取り除きまして“抜け毛見て髪は長〜い友だち”(笑)という言い方がございます。
 みなさんお笑いになるのですが、これは漢字遊びではありません。〈彡〉というのは髪をきちんと整えること、もしくは梳って整えた髪のかたちを現しているんですね。中国の古い時代、行水をしますと背中に長い髪が流れます。それを整える。修という文字に含まれる〈彡〉は、修行することによって人の心や行動を一つ一つ整える、そういう意味になります。
 その修行と証、証というのは悟りです。修行と悟りが一如、つまり一体である、というのが道元禅師の教えです。これは一種の爆弾発言のようなものなんですね。おそらく皆さんが想像されるのは、修行を重ねることによって悟りにいたる、ということではないかろ思うんですが、そうすると修行は悟りという目的を達成するための手段ということになるわけです。
 働くということを考えてみますと、何のために働くか。家を建てる、旅行をする。家を建てるという目的のために働いてお金を貯める。働くこと、仕事というものが手段になっていく。皆さんはソフトウェアの設計・開発に日々邁進されていて、まさに好きこそものの上手なれという言葉があるように、まさに「修証一如」に近い状態だと思うのですが(笑)、世の中一般では働くこと、仕事というものはある目的を達成するためにお金を稼ぐ手段であることが少なくありません。少しでもお金になるほうがいい、と考えてしまいます。しかしそうなりますと、働くということ、仕事をするということ、稼ぐということが空しくなってしまいます。それで人生の味わいというものがあるのだろうか。目的が達成されなかったとき、それに費やした時間はどういうものだろうか。
 仏教に喩えますと、悟りはすでにお釈迦様がお開きになっている。この世はすべて関係性のなかで伝承し、存在している。特別なもの、絶対的なもの、神のようなものがあって、それが世の中を創っていたり、人々はその意思に沿って生きていくのではないんだ。すべての人はすべて関係性のなかで伝承し、形を成し、誕生し、存在し、変化をし、滅していく。それがお釈迦様の悟りだったんですね。それで後世の人は、自分も悟りを得たいと考えるようになります。ところが道元禅師さんはそれを禁止、といいますか、「そうではないんだ」と仰るわけです。
 お釈迦様は真実が分からない真っ暗闇の中に灯を点した。例えばこのホールが真っ暗だったとします。出口も分からない、どこに何があるかも分からない。でも真ん中に小さくても一本の蝋燭が点っていたらどうでしょう。それがあるだけで、我われはどこへ向かうべきか、何となくですが分かります。それと同じように、お釈迦様が様ざまな神様を信仰している様ざまな部族が争っているなかで悟りを開かれた。ということは、一本の蝋燭なんですね。お釈迦様はすでに悟りを開かれたんだから、後世の者はもう悟りを得ている。大事なのは、その関係性のなかでどのように生きていくかなんだ、お釈迦様がやった修行を我われが毎日の生活のなかで重ねていくこと、それ自体が悟りなんだ、と。修行と悟りは実は一体なんだ、と道元禅師は説かれたわけです。
さて、以上を踏まえてタイトルにある永平寺の七堂伽藍のお話に入っていきますが、お手元にお配りした資料(本稿では割愛)をご覧になってください。いちばん上に法堂(はっとう)、その下に仏殿、さらに山門がありまして、仏殿の右側に庫院(くいん)、左側に僧堂、山門の右側に浴室、左側に東司があります。これが永平寺の基本となる七堂伽藍です。これをこのように線で結びますと……、さぁ何に見えますでしょう。
 会場から「お地蔵さん」という声がありました。惜しい、というか、近い、というか。これは、お釈迦様が座禅をしているお姿なんですね。そういうことですので、それぞれの建物の配置にはちゃんと意味があるんです。座禅というのは、いちばん大事なのはここ、腰から下です。精神的な意味でも肉体的な意味でも腰が定まらないことには上半身が整いません。そこで両膝と腰が大切になってきます。その部分に東司、つまりお手洗いと浴室が配置されています。
これはどういうことかといいますと、永平寺で正式な修行をする雲水は立って用を足しません。必ず屈んで用を足します。今でこそウォシュレットというのがありますけれど、日本で最初にお尻を洗うことを唱えたのは道元禅師です。「洗浄の巻」というのを著されまして、手に水を取って洗います。そうしますと手に匂いがつきますから、粉にしたお香をまぶします。お手洗いは完全な個室です。誰から見られているわけでもありません。その個室で「洗浄の巻」に従ってきちっと用を足す。
トイレにも入浴にも作法がある

 浴室には入浴中に悟りを開かれたとされる跋陀婆羅菩薩(ばつだばらぼさつ)をお祀りしてあります。浴室に入る際、雲水はこうやって……(床に平伏し両手のひらを押し頂く)、三度礼拝します。手のひらの上にお釈迦様を自分の頭より高く押し頂いて、すべてをお釈迦様に委ねますという意味をかたちで表したものです。そして「沐浴身体当願衆生身心無垢内外皎潔(もくよくしんたいとうがんしゅじょうしんしんむくないがいこうけつ)」という偈(けつ)を唱えます。恐い先輩がいるから、ちゃんとやらないと怒られるからというんじゃなくて、誰も見ていなくても自分を律して身も心も清める。それが座禅の最も基本となる心得なんですね。
 「沐浴身体当願衆生身心無垢内外皎潔」とは、わたくし流の解釈ですが、これから沐浴するに際して、すべての人々とともに身も心も垢無くして、外も内も清めますと誓うんです。そのように説明しますと、参拝者の皆さんは「なるほど〜」と大きく頷かれます。それを確認してから申し上げるんです。「入浴すれば体の外側を清めることはできますが、では内側、つまり心を清めるにするにはどうすればいいでしょうか」と(笑)。
 観念的には分かるけれど、どうしたらいいかとなると分からない。しかし禅というのは何ごとにも非常に具体的です。体に付いている汚れを落とすということは、それまで自分が持っていた汚れを石鹸やシャンプーなどを使って外に放り出す。なるほどそれで自分の体はきれいになるけれど、外に放り出した自分の汚れをそのままにしておきますとどうなるでしょう。自分さえよければ後はどうでもいい、他の人はどうなってもいい。そういうことになりますでしょ? それでは心はかえって汚れたことになる。
 そこで禅では、入浴したら自分が使った洗面器を洗います。一人ひとりが使ったそばから自分できれいにしていけば、専用の洗剤も要りません。溜まった垢や脂をあとで落とそうとすると専用の洗剤が必要になりますし、それだけでひと仕事になってしまいます。公衆トイレなんかその典型です。それを見て育つ子どもたちに公衆道徳が醸成されるだろうか。お風呂の使い方、食事の仕方、食器の片付け、それが社会全体の、そして次の時代を担う子どもたちの心をきれいにしていくんです。

 もう一つの山門。ここには「家庭厳峻不容陸老従真門入」(かていげんしゅん  りくろうのしんもんよりいるをゆるさず)と「鎖鑰放閑遮莫善財進一歩来」(さやくほうかん さもあらばあれ ぜんざいのいっぽをすすめきたるに)という聯がかかっています。
 陸老というのは中国の「陸」という名前の、「老」は大臣のことです。仏教をたいへん勉強されて、悟りを開いていたのではないかともいわれていますが、どんなに権力や財力がある人でもそれだけでは一歩たりともこの中には入れないぞ、という意味です。じゃ、どういう人なら入れるかというと、出家した人です。名を挙げたい、財を成したい、成功したいというのは実社会では何も悪いことではありません。ですが仏教の世界では名誉ですとか財ですとかの欲を捨てることが求められます。「オレがオレが」でなく、利益にしがみつかない。
 もう一つは、法華経典に載っている善財という求法の童子の逸話です。善財童子は一心に悟りを求めまして、あるとき文殊菩薩から53人に教えを請いなさい、と諭されます。童子はたいへんな苦労をして色んな人に教えを請い、53番目に最初に出会った文殊菩薩と再会することができました。菩薩がその修行を認めて指を鳴らすとサ〜ッと門が開いたということが、お経に載っています。そういう腰が据わった人なら身分を問わず、いつでもこの山門から入りなさい、と言っています。
 永平寺というのは「鎖鑰」、門の扉や閂がありません。どこからでも自由に入ることができます。参拝される方は参拝口からお入りいただいて順路に従って進んでいただくようになっていますが、拝観料をいただかなくても実はどこからでも入れるんです(笑)。760年もの間、一度もコソ泥に入られていないのは屈強な修行僧が何百人も寝泊りしているからかもしれませんが(笑)。
現実と理想のバランス

 東司、浴室、山門が腰とすると、庫院と僧堂は両腕に相当します。庫院は一般のお寺では庫裏と呼ばれるところで、永平寺で修行をする僧の食事を作る場所、僧堂は座禅を組んで修行をする場所です。庫院には韋駄尊天をお祀りし、僧堂には文殊菩薩をお祀りしています。この二つがなぜ左右に配置されているかといいますと、永平寺の働きを示しているからです。 永平寺には現在230人ほど修行僧がおりますが、ピーク時には400人以上いたこともありました。食事は一汁一菜です。質素ですが体を維持していくための栄養は十分に摂れます。しかしそれだけの人数を支えるのですからお米や野菜の量は決して生半可なものではありません。ず〜と昔は大名ですとか庄屋さん、商家の方が寄進していただき、現在でもお米を送ってくださる方がおられます。ですが苦しいときもありまして、修行僧が30人に減ってしまったこともありました。現在はお一人500円の拝観料で賄いが安定していますが、すわ食べ物や資材がなくなる、あるいは火事が起こるとなれば迅速に行動を起こさなければなりません。それで韋駄尊天をお祀りしているんです。
 一方の僧堂。ここは修行の理想的なかたちを具現したところです。「起きて半畳、寝て一畳」という言葉があります。いつでしたか、どこから出た言葉か知ってますか、とお尋ねしたら、「刑務所じゃねんですか」とお答えになった方がおられました(笑)。これは僧堂から出た言葉なんです。中に入りますと一人当たり一畳分のスペース、そこに物入れが付いていて、それが二段になっています。上がり框のところに長連と呼ぶ木の太い桟がありまして、食事をするときのテーブル代わりになります。起きているときは壁に向かって座禅をし、鳴らし物(魚鼓)がありますとクルッと向きを変えて応量器と呼ぶ食器で食事をいただきます。最後に白湯をいただいて、応量器を片付けますとまたクルッと向きを変えて座禅を続けます。それだけの広さがあれば十分なんです。
 庫院は臨機応変の機動力であり、現実です。僧堂は理想です。その二つを対等に配置している。これは宗教にとってたいへん重要なことです。理想を追いかけてしまいがちですが、現実を直視しなければなりません。オウム真理教がそうです。まだオウム真理教が事件を起していないとき、高名な評論家の方が「日本にもやっと本物の在家仏教が誕生した」と褒め称えたことがありました。ですが彼らの修行道場を見ますと、建物の裏にゴミが山のように積まれている。それと修行者の部屋が雑然としていて、いかにも汚い。それを見たとき、これは危険だぞ、と思いました。結果を見たから言っているのではありません。
 自分の中で理想を追い求めることだけに集中すると観念に陥りやすくなります。観念というのは肥大化すればするほど世間が受け入れてくれないという被害者意識ですとか、世間から排除されるという恐怖感が生まれてきます。そうなると自分たちを防衛しなければならない、防衛するためには武装化するんだ、次は攻撃するんだということになっていきます。現実と理想のバランスがとてもたいせつです。その両輪が整ったとき、宗教が成り立ちます。
 これは実生活でも同じです。男と女――という言い方でなく、現実的なタイプと理想を追い求めるタイプ。それがお互いを認め合って、ひとつの価値観を共有しながら協調し協力し合っていく。わたしはパソコンを持っていますが、ワープロとしてしか使っていません(笑)。しかもローマ字入力でなく平仮名入力です。インターネットも使えません。典型的なアナログ人間です(笑)。
 皆さんはわたしと全く違って、ソフトウェアという見えないものを追いかけていらっしゃる。ソフトウェアには無限の可能性があって、あれもできる、これもできるのでしょうが、それが現実の世の中にどう役立つのか、どんな影響を及ぼすのか、どのように使われるのか、それを考えておかないととんでもないことになりかねません。
 ちょっと逸れてしまいましたので永平寺の庫院と僧堂に話を戻しますと、庫院と僧堂は並び立っていますけれど、実際は僧堂のほうがちょっとだけ高いんです。うまく考えているな、と感心するんですが、理想をちょっと高くしておくことで現実に流されないようにしているんですね。だからこそ文殊菩薩の眼をちょっと高くしておく。僧も人間ですから疲れたり飽きることもあります。あ〜あ、疲れたから今日は休もうか、と思うことがないわけではありません。でも決まりだから座禅を組む。そうするとちゃんと座禅ができるんです。
 
 次は仏殿です。これは人の体でいうと心臓です。つまり命ですね。この中には三世如来、過去・現在・未来の三世を示す仏様を安置しています。過去仏は阿弥陀様、現世仏はお釈迦様、未来仏は弥勒様の三体です。
 冒頭で永平寺の伽藍配置はお釈迦様が座禅をしているお姿を象っていると申し上げました。その中で修行をする雲水たちは、お釈迦様の細胞の一つ一つということです。雲水が修行を続けている限り、お釈迦様は生き続けているわけです。そういうことで三世如来をお祀りしているのは過去の修行、現在の修行、未来の修行が続いているんだ、という意味を持っています。
 仏像に詳しい方がいらしたら「ちょっと待ってください」とお手を挙げることと思います。阿弥陀様を過去仏としてお祀りしているというのは、実はあまり聞いたことがないんです。もともと永平寺では「過去迦葉(かしょう)」「過去七仏」といって、お釈迦様が悟りを開かれる前にも真理はあったはずだ、という考え方から、七体の仏様をお祀りしていたんです。七は永遠を示しています。それで過去仏としてお祀りしているのは阿弥陀様じゃなくて迦葉仏だ、という解釈もありました。
 西村公朝先生、京都の三十三間堂十一面千手観音千体像の修理をなさった人間国宝の仏師の方ですが、鹿児島の紹隆寺というお寺にそっくり同じ仏像を造ってほしいということになって永平寺にいらしゃいました。そうしましたら西村先生が、「これ、ぜんぶお釈迦様ですよ」と仰った。それで永平寺は「長年の論争に終止符が打たれた」と発表してパンフレットやガイドブックなどを書き直した……、あれ? お手元にお配りした資料はそのことに触れていませんね(笑)。
 ところがですね、永平寺の仏殿の前には、いまだに阿弥陀様、お釈迦様、弥勒様と書いてある。それっておかしいでしょ。一宗の本山ですよ。その本尊様がいい加減というのは。大本山永平寺ともあろうものが……。そのように説明している雲水がいたら、「ぜんぶお釈迦様じゃないんですか」と聞いていただけるとよろしいかと思います(笑)。
 ですが禅宗だから、というのは変ですが、本尊が何であるかにあまり頓着しないんですね。中国では仏殿を作りませんでした。修行をすること、それ自体が大事で、礼仏することが修行ではない、という考え方です。礼仏するのでなく仏に成る、自ら「成仏」する。え、禅の修業をすると死んじゃうのか、と誤解しないでください(笑)。
 仏殿にかかっている聯のお話をいたします。ここには「宝座鎮乾坤千秋護国」(ほうざけんこんをしずめ せんしゅうくにをまもる)と「霊光照日月万世利人」(れいこうにちげつをてらし ばんせひとをりす)という二つの聯がかかっています。最初の聯は仏教がいつでも、いつまでも国を護っているという意味です。本当にそうか。大晦日とか元旦とか、全国のお寺で新年の無事と豊作を祈ります。曹洞宗だけでも全国に1万5千のお寺があります。それでも天変地異は起こります。阪神・淡路大震災上越地震東日本大震災禅宗では災害は必ず起こるんです。あるいは食欲、睡眠欲、物欲、性欲。それも避けて通ることができません。仏教なんて役に立たない、そう仰る方もいらっしゃいます。
 もう一つの聯が意味するのは、霊光、正しい教え、真理といっていいかと思いますが、それが太陽や月を照らすとはどういうことなんでしょうか。太陽や月こそ我われを照らしてくれているのに。ですが同じ太陽の光でも真夏の太陽は人々を苦しめるかもしれません。しかし真冬の太陽はありがたいものです。素晴らしいソフトウェアを開発し終わったときに見上げる月は光り輝いているでしょう。しかし恋人に振られたときの月は、淋しく、あるいは冷淡に見える。そういう具合に太陽や月でさえ、我われは自分の心の具合でそのときそのとき感じ方が違います。でも真実という光で照らされた上で見るとき、真理が見えてくる。自然災害は起きてしまうのです。そのとき、なぜ気仙沼が、なぜ石巻が、なぜ福島が、と嘆いても恨んでも、起きてしまったことは覆せません。
 でもね、あのとき東北の人たちが取った行動は世界の賞賛を浴びました。自分さえよければ、でなく、お互いに助け合い、暴動も起さず、励ましあった。わたしは当事者ではないので強く申し上げることはできませんが、あの震災のあと、たいせつなものがあることが分かった、という子どもたちの作文を読みました。あのような災害は二度と起こってほしくないけれど、友だちのたいせつさ、家族のたいせつさが分かりました、と。そういうなかで「万世人に利す」という言葉になっていくわけです。
 それはすべてのものが関係性の中で存在し、誕生し、形を成し、変化し、滅していく。それが伝承されていくという考え方だからです。人がどんなに変わってほしくないと思っても変化は避けて通れません。この人を失いたくないと願っても死は必ず訪れます。それと同じように災害も起こるんです。そのときどのように振舞うか。皆さんがお作りになっているソフトウェアは世の中を大きく変えていくでしょう。しかしそれを得たことで人が傲慢になって、人に対する思いやりですとか縁ですとか、そういうものをダメにしてしまうことがないように、願っております。ご清聴ありがとうございました(拍手)。