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石炭から石油へ に相似する変化 「これまで」が通用しない「これから」

 今年4−6月のビジネス向けICTサービス業の業績は前年同期比の減少幅が縮小した。早くも回復基調に入ったとするのは早急に過ぎる。年末にかけてもう一段の下落が予想され、来年の見通しは決して明るくない。バブル不況期と比べて最も異なるのは、IT需要の変化である。それは社会・経済のパラダイム地殻変動を起こしていると言っていい。10年スパンの構造不況が始まった。
4−6月期 減少幅は縮小したが

 株式を公開しているICTサービス関連企業の2009年4−6月四半期業績(速報値:前号既報。IT記者会調べ)を確認しておこう。経済産業省特定サービス産業実態調査(特サビ)に準拠した対象企業217社では、売上高が1兆9,128億8,200万円で前年同期比6.0%減、営業利益は572億5,600万円で44.4%減、純利益は90億3,600万円で86.4%減だった。
 このうち、「ビジネス系情報サービス業」191社は売上高が1兆6,218億8,300万円で4.9%減、営業利益は570億4,300万円で34.6%減、純利益は185億7,800万円で69.7%減だった。
 217社の2008年度1−3月期と直近四半期の増減率は、売上高が5.7ポイント、営業利益が23.0ポイント、純利益が11.4ポイントそれぞれ下ぶれしたのに対し、191社では売上高が2.8ポイント、営業利益が10.4ポイント、純利益が15.0ポイントそれぞれ回復した=グラフ1=。
 しかしこれをもって「ビジネス系情報サービス業が景気低迷の余波から立ち上がりつつある」と見るのは早計に過ぎる。むしろこれから本格的な不況が始まると見たほうがいい。というのは、次のような理由からである。

もう一段の底がある
 第一に4−6月四半期は1−3月期に対しての増減率が上昇しただけであって、マイナスが続いていることに変わりはない。過去においても4−6月期は1−3月期に対して上昇する傾向にある(●部分)。
 例年と同じ動きをするとすれば、7−9月期から10−12月期にかけて、もう一段の下落があるのが通常である。また、産業界のIT投資動向が6か月〜1年の遅れでビジネス向け情報サービス業に波及することを考えると、産業界で昨年10月以後に顕著になったIT投資引き締めがこの業界に及ぶのは7−9月期以後と考えていい。
 第二に緊急経済対策はリーマンショックへの応急手当であって、今年10月に賞味期限がほぼ切れる。総額2兆円とされた定額給付金やエコポイント制度、エコカー減税内需を大きく引き上げるほどの効果を生んでいない。完全失業率は5.7%、有効求人倍率は0.42と雇用状況はむしろ悪化している。完全失業率には企業内失職者や「3か月以内にハローワークで求職した人」以外の失業者が含まれておらず、9月以後、雇用調整助成金で息を接いでいる社内失職者が人員整理されると、完全失業率がさらに上昇する可能性がある。重視すべきは有効求人倍率であって、これが上昇に転じない限り景気底打ちの判断はできない。
 鉱工業指数は持ち直しつつあるが、これは在庫調整が進んだ結果であって、生産設備稼働率や設備投資指数は依然として低迷から脱していない。リーマンショックの発信源であり世界経済の動向を大きく左右する米国の完全失業率、鉱工業指数、生産設備稼働率、生産設備投資指数の推移を見ても、景気回復力はいわゆる「弱含み」の状況にある。
 また日銀が発表した企業向けサービス価格指数のうち、「情報サービス業」について見ると、2000年の平均を基準(±0.0)とする2009年7月の値は-7.1ポイント(ソフトウェア開発-7.5ポイント、情報処理サービス・その他-6.4ポイント)となっている。グラフ2に示したように、価格低下傾向に歯止めがかかっていない。ことに情報サービス業全体の6割を占めるソフトウェア開発の価格が全体を下回っており、需要が回復してもこの傾向が続く可能性が高い。
 第三は、景気上昇力を抑制する新しい不安要素の存在である。一つは受注減や資金調達難に耐え切れない中小企業の倒産、もう一つは日本版サブプライムローン金利上昇によるマンション・ローンの破綻、三つ目は毒性を強めた新型インフルエンザの亜種の大流行などである。こうした不安要素が年末以後に表面化することも織り込むと、産業界のIT投資マインドは、少なくとも2010年4−6月期までは、グランド・ゼロ=前年同期比±0.0の下にとどまると判断せざるを得ない。

ポイントは将来不安の解消
 “戦後最長の景気浮揚”を牽引してきたのは輸出依存型企業であって、多くの国民はその恩恵を享受していない。多くの企業が戦後最高益をあげることができたのは、非正規雇用の派遣労働力に依存して、本来は事業者が一部を負担すべき社会保障費を利益に付け替えたこと、またコスト抑制を標榜して下請け中小・零細企業の利益を吸い上げた結果である。給与生活者全体の3分の1に当る約1,680万人が非正規雇用、うち320万人が派遣労働者(2006年度、日本労働組合総連合会調べ)という状況は、戦後60年の終身雇用制度を前提とした社会保障制度の抜本的な見直しを迫っている。
 国民一般の平均的な感覚でいえば、決して好況ではなかった。むしろ水面下で社会不安、将来不安が膨らんでいたのであって、あえて象徴的な出来事を探れば、2007年2月14日の「消えた年金5,000万件」の発覚、2008年4月に始まった後期高齢者医療保険制度、同年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件、ほぼ同期間をカバーする「食の安全」に対する不審や天候不順(例えば2007年8月16日の日本最高気温40.9℃)などがターニングポイントを構成する。
 日銀短観によれば、2008年4−6月期の実質GDP成長率は▼3.0%となっていて、後日、日銀はこれをもって「戦後最長の景気浮揚は後退期に入った」と判断した。今次の不況はリーマンショックが直接の引き金とされるが、それに先立つ3か月前に今次の不況は準備されていたのである。民主党政権が真っ先に取り組むべきは、こうした社会不安、将来不安の解消に向けた施策ということになる。それが国民一般に納得されなければ、内需の拡大は覚束ないであろう。
 
特サビの時系列データを読む
 記者会は過去の長期にわたる四半期業績データを保有していないので、ここは経済産業省の特定サービス産業動態統計調査〔情報サービス産業〕に依存するほかはない。1989年1月から今年6月まで20年6か月の売上高を四半期ベースにして前年同期比の推移を見たのがグラフ3である。景況名は産業界全体を指すものであって、情報サービス業の景況は必ずしも同期していない。また2002年第1四半期から以後、4回にわたって対象の追加・変更などで連続性が途絶えている。このことから21世紀に入って、「情報サービス業」の枠組みが大きく揺れ動いたことが分かる。
 グラフをさかのぼると、1990年代初頭の「バブル不況」が、今次の景気後退とよく似た動きを示している。産業界全体では「バブル不況」は1991年2月に顕在化し、1993年10月まで後退を続け、その後も低成長から脱却できなかった。村山内閣が講じた総額21兆円の経済対策がカンフル剤となってようやく上昇に転じたものの、1997年4月からの消費税5%実施で再び景気が冷え込んだ。結果として1993年10月以後の日本経済は「好況感なき景気浮揚」と短期の景気後退を繰り返す状態が続いている。好況感なき景気浮揚と短期の景気後退を繰り返したのは、政府の財政出動に依存したことに因っている。
 そのことは別として、グラフから分かるように、バブル崩壊時の産業界の景況が情報サービス業に反映されるには、6か月から1年のタイムラグがあった。グランド・ゼロを下回るまで6四半期を要したのは、第一に1991年第1四半期が前年同期比+17.0%と高水準にあったこと、第二に不況とはいいながら製造業を中心に堅調なIT投資が継続されたことなどがある。
 これに対して今次の景気後退は、ほとんどタイムラグなしで情報サービス業に波及している。2008年第2四半期が前年同期比+5.1%とジャンプ台が低かったこともあって、第3四半期にいきなりグランド・ゼロを割り込んだ。
 昨年前半で銀行、クレジットの大型案件がピークアウトし、2002年度から本格化した電子政府プロジェクトがひと段落したことで、情報サービス業の景況見通しは決して明るいものではなかった。そこに製造業のIT投資凍結が追い討ちをかけた—ように見える。ところがここで留意したいのは、今次の景気後退の引き金になったとされるリーマンショックは下り斜線の中間やや上にあるということである。情報サービス業の業績減退(ユーザー企業におけるIT新規投資の抑制)はリーマンショックに先立って始まっていた。リーマンショックが落込みをより大きくしたのは事実だが、昨年6月以後の低迷の要因はIT需要の転換と考えたほうがいい。
 
バブル不況は技術変化期
 繰り返しになるが、バブル不況を再確認しておくと、1991年1月に株価が下落し、金と不動産が暴落した。金融、証券など非製造業の大口ユーザーがIT投資を引き締めたことに加え、メインフレームによる囲い込み戦術が通じなくなった。ハードウェアの価格が下落し、ソフトウェアの価格も連動して下がった。バブルのピーク時、情報サービス業界には45万人が就業していたが、3年間で10万人がリストラや自主的な転職で業界を去り、1995年に40万人に回復した。縮小均衡で利益を確保し、技術者の入れ替えで変化に対応した。
 1995年の11月、Windows95がリリースされ、パソコンのコモディティ化が始まった。次いでインターネットが急速に普及し、ブラウザ戦争が勃発した。その時点では表面に出ていなかったが、Linuxに代表されるOSS(オープンソース・ソフトウェア)ないし、コミュニティ型のソフトウェア開発環境が着実にITの位置づけを変えていた。
 TCP/IPが異機種コンピュータ・ネットワークを実現し、企業や団体がホームページを立ち上げ、最高9600bpsのメタル回線を使って54kbpsの通信が可能になり、携帯電話が一般に使われるようになったのは、実はつい10年前のことである。ADSLや光回線によるブロードバンドが普及し始めたのは2001年以後だが、いずれにせよ情報サービス業にとってこの17年間は、ITが変化した時代だった。
 ちょっと乱暴だが、景況を変化させた主体はITであって、産業界のIT投資は脇役だったと言っていい。西暦2000年(Y2K)問題への対応が情報サービス業に特需を生んだかどうかは定かでないけれど、金融ビッグバンに始まる企業の再編統合は間違いなく大きな市場だった。産業界に起こる変化が激しければ激しいほど、情報サービス業は収益をあげることができた。ITは変化したが、産業界と情報サービス業の立ち位置は変わらなかった。
 
今次の主体はIT需要の変化
 では、今次の景気後退はどうか。
 これまでにも何度か書いてきたことだが、グラフ4に見るように、産業界の情報処理費用(運用諸経費と新規システム開発費の総額)は2002年度をピークに漸減し、2006年度は2001年度比で20%以上も落ちている。Y2K問題をクリアした2000年から2001年にかけて、多くのユーザー企業が「メインフレームよ、さようなら。インターネットよ、こんにちわ」に変化した。
 既存の管理業務は継続しているのでメインフレームは存続するが、新規機能の追加や拡張は行わない“塩漬け”作戦と、パソコンや携帯電話をインターネットと組合わせるWebアプリケーション重点作戦が基調になった。
 2000年度から2002年度にかけて、情報処理費用の対2000年度指数が売上高のより上にあるのは、新規システムの準備費が上乗せされたため、2003年度からIT予算が漸減したのは、メインフレーム塩漬け作戦が軌道に乗り、Web系の新システムが旧来より低コストで作られるようになったためである。
 情報サービス業にとって重要なのは、産業界がなぜWebアプリケーションに重みを置くようになったか、だ。新しい技術を導入したかったから、という単純な見方は成立しない。ここが理解されないと、情報サービス産業協会が先に発表した「5年〜10年後のあり方」のように、縦型の多重下請構造から水平型の協調分散型へ、という内向きの議論しか浮かんでこない。情報サービス業の内部取引が水平型になったとしても、産業界がそれを高く買ってくれるわけではない。
 図1はユーザー企業へのヒアリングをもとに記者会が作成したものだが、業界がダメだから情報サービス企業の収益性が劣化したとするのは、様ざまある要件の一つに過ぎない。9.11事件をきっかけに注目されるようになった事業継続性の確保、エンロンワールドコム事件で必須となった内部統制の強化、株主資本主義への対応、個人情報保護法非正規雇用者の増大といった社会・経済環境を背景に、情報システムないしITの位置づけが従来と異なってきた。ITの需要が省力化・効率化から、企業価値の堅持・強化にシフトしたのだ。

大量生産・大量消費の終焉
 さらに言うと、1991〜2000年の10年間を移行期として、戦後体制が培ってきた政治・社会・経済のルールが崩壊し始めた。政治の世界では2001年に「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉氏が当の自民党の総裁となり、次いで2人の首相が政権を放り出す事態となった。今般の総選挙の結果もその延長線上にある。
 政府の景気対策も、公共事業投資が内需拡大に作用しない。日本経済のリードオフ企業が国際市場に収益の軸足を移したためだ。国内市場は衣食住と教育、医療、福祉、安心、安全など必要経費型経済に依存するようになっており、建物や道路やダムは産業基盤としての力を失っている。公共の建物や道路、ダムを作っても、衣食住、教育、医療、福祉、安心、安全は改善しない。
 何となれば、海外で大量に生産・加工された安価な食品や衣料、生活雑貨、家電製品などが、安価の代償として安全性を犠牲にするようになってきたためである。円周率を「3」と教えるような教育の簡易化が思考力を低下させ、粗製乱造の大学が若い世代の安易な暇つぶしの場として機能する。そうした循環によって指示待ち人間と責任回避型社会が形成される。
 あるいは雨水や河川を制御するはずのコンクリートが、森林や農地の自己回復力を阻害し、予想もしない集中豪雨が予想もしない場所(これまで安全だったか危険が少なかったからこそ人が住んでいた)に土砂崩れや土石流を引き起こす。1950年代から1970年代には大きな効用を生み出した公共投資は、21世紀のこんにち、税金の無駄遣いと判断されるのだ。以上のような政治・社会・経済のフレームの変化は、大量生産・大量消費の終焉と定義して構わない。
 誤解を避けるためにあえて書くのだが、大量生産・大量消費の経済は今後も続く。ここでいうのは、規格品を大量に作ること、大量に作られた規格品を大量に消費することに、人々は価値を見出さなくなる、ということである。例えば、低価格な若者向け衣料品で成長しているユニクロは、独自の布と多彩な色を用意し、さらに学生がデザインしたTシャツで個性化を図る。もとのTシャツは大量に生産されたものだが、そこにオリジナルな図柄をプリントすることで多品種少量を実現する。
 大量生産・大量消費に対置されるのは、多品種少量とは限らない。1970年代から1990年代にかけて、規格品を大量に仕入れ薄利多売で市場を握ったスーパーストア・チェーンは、定価販売だが24時間営業のコンビニエンスストアに主導権を奪われた。ドラッグストア・チェーンや家電量販店との提携や融合が勝ち残りを左右する。店頭に並ぶ商品は同じでも、「何でも揃っている」「いつでも開いている」が付加価値だ。インターネット・ショッピングやインターネット・オークションが急成長しているのは、その意味で納得できるだろう。
 同じような変化は製造業でも起こっている。主力工場に受注から出荷までの戦略機能を持たせようとしているダイセル化学工業、小売店が売れ残りを出さないよう小口で受注生産し、受注してから店頭に製品が届くまでの時間を短縮することで付加価値を高めている紀文食品、全国に点在する高炉の間で製造情報を共有して高炉の回転率を高め、受注に即応しようとするJFEスチール、工場の事故を如何に防止するかが信頼を高め、併せて大口顧客の要望にきめ細かく対応している帝人東レなどだ。こうした企業は製造業でありながら、インターネットやWebアプリケーションをフル活用し、サービス機能で競争優位を確保しようとしている。

発注スタイルが変わってきた
 「当社は精密機械メーカーであるとともに、販売会社でもある。生産する機器の性能、機能、品質はもちろん、故障やクレームにいかに迅速に対応するか。まさにサービス企業としての機能が求められている」と言うのはリコーの遠藤紘一副社長だ。そのため同社は製品単位、事業部単位の管理体制を刷新し、部品調達からフィールドサービスまで、ユーザー単位で情報を共有するシステムに転換した。ねらいは「バリューチェーンの構築」だ。
 バリューチェーンを実現するには、バックヤードからフロントまで、部門間・事業所間で情報が共有されていなければならない。これまでの製品、事業部、工場といった縦割りのシステムでは、個別の管理はできてもサービス機能が付加できない。情報システムないしITの利活用に対するユーザーの意識に変化が見られる。それはIT調達の一元化、PDCA(Plan−Do−Check−Action)に基づくIT資産管理といった形で現れている。

従業員1人当りが端的に示す
 下のグラフ5は特サビ動態統計の2007年1月から2009年6月までについて、総売上高と従業員1人当り売上高の前年同月比の推移を見たもの、グラフ6は1991年1月から1994年12月まで(バブル不況)について同じように見たものだ。グラフの位置をずらしてあるのは、総売上高と従業員1人当り売上高の前年同月比がそろって0.0を割り込み、下降局面に入った時期(——線)で合わせたためである。
 そのうえで補助線→を引くと、ビジネス向け情報サービス業で今次の景気後退は2007年1−3月四半期に兆候が出ており、それから1年半後の今年7月に顕在化したことが分かる。前述のように、情報サービス業は景況悪化のファクターを内在していて、そこにリーマンショックが加わった。それは2007年の3月、6月、9月、11月〜2008年2月、3月と、従業員1人当り売上高が頻繁に±0.0を割り込んでいることからも明らかだ(★印)。
 バブル不況では、1991年6月に下落傾向がはっきり現れていたが、ジャンプ台が高かったために見過ごされた。7月に従業員1人当り売上高の前年同月比がマイナスとなったものの、季節変動による異常値と解釈する向きが大半だった。しかしその後も従業員1人当り売上高はグランド・ゼロから浮上せず、1992年5月に総売上高が水面下に突入した。ビジネス向け情報サービス業がバブル不況を完全に脱するには、総売上高は丸2年、従業員1人当り売上高は2年10か月を要している。リストラや自主的な転職などで余剰人員の整理がつき、総売上高と従業員1人当り売上高の減少率が入れ替わった1993年4月が、浮揚の転機だったことになる。
 今次の景気後退を照合すると、総売上高と従業員1人当り売上高はかなり接近した同期を描いており、バブル不況期ほど余剰人員を抱えていない様子が見て取れる。しかしこれから先、一段の景況悪化が予想されており、どの時点で総売上高と従業員1人当り売上高の減少率が入れ替わるかが焦点になる。
 ただ気がつくのは、バブル不況期は3月、6月、9月、12月のいわゆる四半期最終月に減少率が改善(上昇)→悪化(下降)→改善(上昇)という経過をたどったのに対し、今次の景気後退では減少率が拡大する一方という現象である。四半期ごとに悪化しているのは、いかに受注が思わしくないかを示す。この受注難は3〜6か月のタイムラグを持って現れる。すなわち景況悪化は緒についたばかり、先は長いぞ、というわけだ。
 では、この景気後退はいつまで続くと予想されるだろうか。またトンネルの先はどのような景色なのだろうか。不確定要素が数多くあるのだが、あえて言及すると、いまや景気循環説で論じることはできず、この景況は向こう10年は続くと考えた方がいいようだ。石炭から石油への大転換と同じ構造変化が、ソフトウェア受託開発業を襲っている。

全体の入替え戦が起こる
 こういうと驚き憤慨する向きも少なくあるまいが、考えてみれば21世紀に入ってから今日まで、これまで書いてきたように、国内外にわたる政治・社会・経済のパラダイムシフトを背景に、産業界のIT利活用が大きく方向転換していることに加え、ビジネス向け情報サービス業全体が産業界のサービスモデル化やバリューチェーン化を積極的に推進し、あるいは提案する力を失っているためだ。
 すでにビジネス向け情報サービス業の営業利益率は4%を切り、売上高の2けたダウンで収益性は34%も劣化している(前号参照)。多層化された受託型システム開発は付加価値を失っている。M&Aによる規模拡大で乗り切るのはリスクが大きいといっていい。
 ではASP/SaaSあるいはクラウドコンピューティングといったITサービスに転換できるかといえば、それも難しい。何となれば、ITサービスのビジネスモデルは装置産業に近く、かつスケールの勝負だからである。経営基盤、人材、ビジネスの方法論などが丸っきり異なる。
 となると、ビジネス向け情報サービス業は、ソフトウェア工学的なアプローチを積極的に採用し、「見える化」から「見せる化」を指向すべきだろう。すなわち建設業でいう工務店を目指すのが妥当である。工務店といっても、職種に応じた職人集団の確保で済む話ではない。ブルドーザーやクレーンといった重機を持ち、それを操作する専門技術者を配置できなければならない。当然ながら脱落する企業が出る。旧来型のビジネス向け情報サービス業が衰退し、ITサービスの衣をまとった勢力が台頭することの方が、なるほどあり得べし、なのである。